『しょうがない』から考える言語の面白さ

【アイルランド留学103日目】

日本文化が好きで、日本語を勉強しているフランス人の子とご飯にいってきました。

フランス語だけでなく、英語、ドイツ語が話せるようで、今はアプリを使って日本語と中国語を勉強しているというえげつないマルチリンガルです。ポテンシャル高い。

そこで、少し興味深い話が聞けました。

彼女曰く、「日本語の『しょうがない』という言葉は面白い。フランス語には、完全に同じ意味の表現はない」とのことです。

『しょうがない』

我々日本人にとっては、かなり使い勝手のいい言葉ではないでしょうか。私自身も、誰かがミスをしたり、トラブルを起こしたりしても『しょうがない』で片付けてしまうことが多い気がします。良くも悪くも。

一方、フランスでは、そうはいかず、納得がいかなければ徹底的に自分の意見をぶつけて戦うとのことです。『しょうがない』では何も片付かないそうです。笑

フランス語でも、天候が悪くて予定をキャンセルせざるを得ないというような「コントロールできない」環境要因のアクシデントが起きた際に使える『しょうがない』的なフレーズはあるみたいですが、日本語とは少しニュアンスが違います。

日本だと、労働環境や政治、教育といった社会的問題に対して不満を抱いていても『しょうがない』で済ませて、個人的な行動を起こさず、変わらぬ日々を過ごす人が多いのではないでしょうか。私もそうです。

自然環境とは異なり、社会の仕組みを作っているのは人間なので、それらは原理的には「コントロールできる」要素であるはずですが、正直、我々一般市民にとっては、あまりにその実感が薄すぎて、そのために行動をしようというところまでは至りません。そんな時に、そのことを考えるのをやめて、また元の生活に戻るきっかけとなるフレーズが『しょうがない』です。

フランス人からすると、「何もしょうがなくないでしょ!社会に不満があるなら自分たちで行動を起こさなきゃ損するのは自分でしょ!」という感覚みたいです。

まぁ、フランスでは、イエローベスト運動みたいなデモが激しかったりと、そういった「『しょうがない』で済ませない、権利を勝ち取れ!」という国民性が発端となって生まれる問題も数多くあるので、それがいいのか悪いのかはまた別ですが、国民性の違いって面白いなぁとまたしみじみ思いました。

そもそもフランス革命で絶対君主制を崩壊させて自由を勝ち取ってきたようなゴリゴリな国なので、歴史の中で、『しょうがない』なんて言葉に存在理由が生まれなかったんでしょうね。逆に日本では、『しょうがない』で済ませた方が得する場面が多かったので、その言葉が生まれたともとれるのではないでしょうか。

要するに、「言葉はその必要性があってはじめて生まれるのではないか」という仮説です。例えば、北海道では、凍えるような寒さを表現するときに『しばれる』という方言を使うそうですが、これも『寒い』、『凍える』という形容詞では表現しきれない寒さを描写するために生まれた言葉なのではないでしょうか。他の地方でこの方言が存在しないのは、必要ないからです。逆に、なぜその言葉が必要だったのかということを辿っていくと、その地域の歴史や環境も見えてくるともいえます。

言語は単なるツールに過ぎない、ということを当初は思っていましたが、それはあくまでビジネスにおける文脈に過ぎないのかもなぁと近頃は思いはじめています。その国の歴史、国民性、価値観、文化といった、もっともっと深い味わいを言語は持っています。言語を学ぶことは、その国を丸ごと学ぶことに近いのかもしれません。

世界はまだまだ面白いなぁ。




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