第1回SDGsアワード内閣総理大臣賞のまちづくり(2) 〜北海道下川町〜
※2019年4月25日初出の記事をnoteに引っ越ししたものです
旭川から車で北へ3時間。最低気温がマイナス30度という極寒の地にある下川町。今回は将来のまちづくりへの思いを掘り下げます。
話し手:下川町政策推進課SDGs政策推進室 主事 和田健太郎さん
聞き手:サイボウズ 野水
前回はこちら
5年間で人口が変わらずに高齢化率が半減した一の橋地区
最終的にどうなっていたら理想なんでしょう、町として
私の個人的な思いでもいいですか?
もちろん
まず一つ言えることは、個人的には人口が絶対ではないと思っているんです。そこにずっと永住してもらわなきゃならないとも思っていないので。
個人的には、ここに人が住み続けられている環境が整っていれば、私はそれがいいと思います。
じゃあ住みたい人が住み続けられる環境を作るっていう感じなんですかね
そうですね、住みたい人が
でも結構、移住者の方って最近多いんですよね?
多いです
移住される方って、どうしてここを選ぶんですか?
チャレンジというか、やりたいことができそうっていうところが多いと思います。
それって、例えば?
たとえば自己実現みたいなところですかね。
暮らしたい暮らしができるですとか、たとえばこういう仕事をやってみたかったけれど、東京じゃなかなかできなかったけれど、下川町だったらできそうっていうふうに感じてくれたりですとか、そういった方が多いです。
それだったら、言っちゃなんですけれど、ほかにもいろいろ候補地があるじゃないですか。日本全国、ほぼすべての自治体が「うち来い!」って言っていますから
なんでしょうかね。
私個人的にはすごく人がいいなって思っているんです。
ここで住んでいる人だとか、関わっているというか、それぞれ関わっている方たちが魅力的だから来ていただいているのかなとは思っているんです。
移住者の多い場所ってありますか?
一の橋ですね。役場から東のほうに12kmほど行ったところにあるんですが、もともと木材が非常に取れていたところで、一時期人口は2000人ぐらいいたのですが、7年前ぐらいには人口がもう100人を切ってきて、高齢化率が50%を超えてきたところです。
50%はかなり危機的ですね
環境未来都市になった時に、木質バイオマスを核にして、そこに集住化でコンパクトに人が集まっていただいて、そこから生まれたエネルギーを使って産業を起こして、仕事を作れば、地域が活性化するんじゃないかみたいな、そういった当時の担当の思いがありまして。
一の橋集落も、このままなにもしなければ、限界集落を超えた限界集落になっちゃうから、あそこでやって正解だったら、下川町の町中に展開させてこようかっていうことで始めたのが一の橋バイオビレッジという取り組みなんです。
じゃあ一種、先端都市ですね
そうですね。それを始めたのが7年前とかだったんです。平成28年に4年経過してどうだったかっていう成果を検証したんですけれど、95人いた人口はそのまま95人変わらずに、高齢化率が50%越えから25%まで半減していたんです。
増えなくて減った、しかも高齢化率が半分に!どういうことですか?
人口の入れ替わりが起こっていたんです。
どういう方が入ってきたんです?
地域おこし協力隊しっかり入れて、経済面じゃなくて社会面というか、コミュニティ面って感じですかね、そういうところもしっかりやっていきましょう、みたいな感じでやったんですけれど、その地域おこし協力隊が残っていただいたり、起業された方とか、企業の研究施設ですね。
町としてはどういう支援をしたんですか?
まずエネルギー。木質バイオマスボイラーを建てたりですとか、あと集住化の住宅を建てた。そこから生まれてくる熱を使った産業として、しいたけの菌床栽培をやる施設を作りました。あと、駅カフェとか。
そして企業誘致をしました。王子ホールディングスが薬用、薬木の研究をされてます。
そういう取り組みを通して、入ってきた人たちが何かを見つけたんですね
例えば下川町で地域おこし協力隊として頑張って来てた二人の女性が、2年前にオーガニックのハーブを使った化粧品を作るSORRY KOUBOU(ソーリー工房)を株式会社として立ち上げたとかです。
その方たちはやっぱり、もとからオーガニックのハーブを使った化粧品を作りたいっていう思いがあって、結果としては一の橋でできたので。やっぱりやりたいことが下川でできたっていうことかと。
地域おこし協力隊のみなさんも色んな思いがありますよね。
5年で高齢化率が半分になった一の橋地区の一の橋バイオビレッジ。すべてが町内産の木材でできた建物群が並ぶ。3枚目の映像で右上のほうで煙が見えるのがバイオマスボイラー、手前の建物は郵便局や集会室などコミュニティ機能を有している。
まだ見ぬ子どもたちの声を考えながら町の理想をつくる
下川町の理想って何か明文化されたものとかあるんですか?
ありたい姿は7つのゴールがあって、2030の下川町のありたい姿として策定されました。
たとえばみんなが挑戦し続ける町だったりとか、みんなで思いやれる家族のような町だとか、そういった感じなので。いろいろな町民の話を聞いていると、やっぱりそういう家族のような町だとか、お金じゃない、そういう関係を大切にしたいみたいなところは非常に出てきてます。
あとはゴールの7ってあるんですけど、「子どもたちの笑顔と未来世代の幸せを育む町」って。もともと役場の中で作ったのは、6つのゴールしかなかったんです、7は入っていなくて。でも、町民の方たちと話をしていて「子供たちの笑顔と未来のやつは入れてほしい」っていうことでこれが入ってきました。
未来の姿ですから、未来に生きる人たちのためにっていう感じになりますよね
今は(子どもたちは)いないので。それをどう予想して繁栄させていくかって非常に難しいと思うのですが。
和田さんってお子さんがいらっしゃるんですか?
2人います
その子たちが大人になった時に、どういう町になっていたらいいなって思います?
子供からお年寄りまで、たとえば仕事というか、やりたいことができているような町がいいなと思います。
たとえば、私は週2ぐらいで焼き芋屋さんをやりたいとか、週3ぐらいで裁縫をするお店をやりたいとか、そういう商品を出したいとかっていう方たちがたくさんいて、それぞれなんでもいいんですけれど、そういった人たちがお店をやったりとか、イベントをやったりとかっていうのが毎週ある、毎日あるみたいな町が、個人的には非常にいいなっていうふうに思います。
なにか大きなこととか、経済とかじゃなくて、やりたいことが実現できる町
そうですね。
北陸育ちなので、雪はどうってことはないのですが、マイナス10℃を超えた世界は別物でした。
道路は昼でもスケートリンク、数時間駐車して戻ったら車中のペットボトルは完全氷結、歩いていても厚いブーツの靴底から血管を伝って上がってくる冷感、窓ガラスの内にも外にも咲く氷の結晶たち。
下川町は大正時代に今の岐阜県郡上市から移住した25人が入植して切り開いた町ですが、電気も車もない時代に入植した先人の苦難たるや全く想像も付きません。
この北の大地に根を下ろして子孫に渡すという決死の覚悟をしていないときっと逃げ出していたと思います。
森で食べていくと決めてから、60年かけて森林を少しづつ切って植林して、そして63年が過ぎたわけですが、入植した先人の覚悟が今でも受け継がれているのでしょう。
しかし、この頑固にも見える森林経営でありながら、よそ者が次々と根付いてゆく。 記事の中でどれだけ表現できたか実のところ自信はないですが、筋の通った方針と、誰でも受け入れる懐の広さの両方を併せ持つ町の雰囲気を感じ取っていただけるとうれしいです。
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