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時速15kmのハニーチュロ

「ミスドスーパーラブ」というZINEを買った。

サイコーの表紙

Twitterで追っているデザイナーの方が寄稿したと知ったのが去年の秋。
文学フリマで販売されたその本を、「読みたいなあ」と思いつつ
その限られた販売場所になんとなく諦めていた。

それが引っ越したばかりの街、初めて入った本屋の一番目立つところに鎮座ましましていたのだからたまらない。
(それも限定ペーパー付き!)
小躍りしながらレジへ向かった。

かくいう私もミスド好きである。
(嫌いな人がいるだろうか!?)
ドーナツそのものはもちろん、ファストフードのような制服や黄色やベージュを基調としたポップな店内、おかわりし放題のカフェラテ、無駄なものを削ぎ落とした汁そば。ドーナツ店に飲茶というギャップもたまらない。
各地に点在する〇〇店を、〇〇ショップと呼んでいるのもささやかなこだわりを感じる。

ドーナツを食べるためでしかない狭い飲食スペース。そこでドーナツを片手に勉強したり仕事をしたり、談笑しあう人々を見るのが好きだ。

本にも登場するが、ミスドといえば「全品100円セール(※一部商品を除く)」。
それにかこつけて父が、母が、親戚が買ってくるあの四角くて細長い箱のワクワク感といったら。
自分で買う、頼りなさげな薄い紙袋に滲む油ですら愛おしい。

色とりどり、バラエティ豊かなドーナツの中で一番好きなのはなんと言ってもハニーチュロである。
全品100円セールでギリギリ対象外の特別感。
果たしてドーナツなのかと首を傾げたくなる姿。
昔はココナッツチョコレートが好きだったのだが、あのしゃりしゃりがだんだん味気なく感じてしまい
オールドファッションハニーやらに浮気しつつあの甘さに返り討ちにされ、落ち着いた先がハニーチュロだった。

もちろんポンデリングも好きだ。
間違いなくマストアイテムである。
ミスドに行ってポンデリングを食べないのは失礼と言っても過言ではない。
そこにハニーチュロ、そしてカフェラテ。
これが私のゴールデンセットである。

実家のある街の駅前に、ミスドの店舗がある。
もうずっと、きっと10年以上そこにあるその店舗は最近ぴかぴかの水色の壁になっていた。
高校の友人と初めてお茶をした場所。
大学時代、友人とドーナツ2個とカフェラテで閉店まで話し込んだ。
初めてできた恋人と何度も行ったし、その恋人とこの先も付き合っていくかの悩みを友人にこぼしたのもそこだった。
妹とも母とも行ったし、新卒で入った会社を休職して逃げ込んだのもミスドだった。
まだ店舗の外壁が黄色かった時代である。
大学の、そして高校の通学路だった。

高校時代のお小遣いは毎月3000円。
しかも申告しなければもらえない。
今なら1日で使い切ってしまいそうな中途半端な額だが、当時の私には間違いなく大金。
とはいえ、クラスの他の子と比べて少ないことは自覚していた。後ろの席の、名前が一文字違いの美少女は月に1万円もらっているらしい。
前の席の子は5000円。
どんぐりの背比べでしかなかったが、それでもそこには金額以上の溝がある。
私が通っていたのは女子校で、数が多い分容姿が整った子がかなり多かった。
コミュニケーション能力が高い子、海外留学帰りの子。歌がとんでもなく上手く、合唱コンクールを取り仕切るボスみたいな子。
ヤンデレ、メンヘラ、先生に恋をする子、他校の男子の子を孕んだ子。
色とりどりの花の園は、正直あらゆる「女の子」の煮凝り博覧会のよう。
案の定私はそこで上手く泳ぐことができず、満たされない自尊心とどうしようもないやるせなさをない混ぜにして毎日ミスドの前を人生呪いながら通っていた。

覚えているのは、あの秋の土曜日。
午前授業で特に部活動などもなかった私はそのまま自転車を漕いで自宅へ向かった。
5km、だいたい20分の距離。
「全品100円セール」ののぼりを誇らしく掲げたミスドの店舗が目に飛び込んできた。
膝丈のスカート、革の固いローファー。
ずるずる下がるハイソックス。
駅前の銀杏はまだ緑色だったが、夏の終わりを告げるように涼しい風が吹いていたのを覚えている。
(自転車通学のJKは風の冷たさに敏感だった。)
特に何か嫌なことがあったとか、誰かに何かを言われたとか。
決定的なことがあったわけではなかったけれど、あの頃はただ死にたかった。
心臓に針を一本一本、ゆっくり刺されていくような不快感。
なにかしらの根拠があればもう少し自分なりに折り合いをつけられたのだろうが、生憎そこまでの賢さは持ち合わせていない。

ミスドに入ったのは、というよりも「そういえばあったな」と気づいたのはその時が初めてだったのではないだろうか。
ずっと目の端にあったけど、認識していなかった。
1年に1回、食べるか食べないかのドーナツの値段を当時の私はまだ知らない。
甘いものは、美味しいものは高いものだ。だからたまにしか食べられないし、贅沢品である。
贅沢品だから嬉しいし、幸せな気持ちになる。
それが100円!自販機で買うお茶より安い。
へえ、と自転車を停めて、店内へ入った。
あんまりなにも考えていなかったのだと思う。
午前授業終わりでお腹が空いていたことだけは確かだった。

ドアを開けた瞬間、甘い匂いとあたたかく柔らかい空気が全身を包み込む。陳列された色とりどりのドーナツだけによるものではなかった。土曜の昼間、子供連れでドーナツを頬張る人の顔。
確信する、ここには幸せな人しかいない。
ドーナツを食べるときーー正確には、食べている最中。不機嫌な人がいるだろうか。

ポンデリングをちぎる指の感覚、ドーナツポップにピックを刺す瞬間、オールドファッションがざらりと舌に触れるあの感じ。
どうしようもなくぽろぽろとこぼれるゴールデンチョコレートのゴールデンの部分。
エンゼルフレンチのあの頼りない食感。
今まで食べたミスドのドーナツの記憶が次々と蘇ってくる。

私には今、自由に使えるお金がある。
あの幸せを自分で選んで買うことができる。
それは間違いなく救いであり、青臭い高校生のくだらない鬱屈を吹き飛ばすには十分だった。

制服で、しかも親が昼食を用意していることを考えるとイートインは難しい。
思いつきで入った手前、買い食いなんてしたことがない真面目な高校生(笑)だったのでどうしたらいいのか戸惑いつつドーナツを選んだ。

その時選んだのがハニーチュロである。
なにが決め手で100円セール対象外のそれを選んだのか、その理由までは覚えていない。
トレイにハニーチュロをひとつだけ乗せて、会計をして。そのミスドには駐輪場がなく、違法駐輪場が黙認されているような場所だったので急いで自転車に乗って帰路についた。

左手にはさっき買ったハニーチュロ。
理由は覚えていないのに、ハニーチュロを買った事実だけを覚えているのは自転車を漕ぎながら食べるのにちょうどよかった記憶があるからだ。

柔らかすぎず、クリームが入っているわけではない。ポロポロと崩れもせず、こぼれもしない。
しっかりと甘く、しっかりと歯ごたえがあって、正確に脳の幸福中枢を刺激する。
ああ、正解だ。と思ったのを覚えている。

自転車に乗るのに、今日の気分に、土曜日の昼、家に帰る途中で。
初めての買い食い。しかも自転車に乗りながらぱくつくなんて行儀の悪いことをするのであれば、少し高くて、邪道の気すらあるハニーチュロがいい。
堅そうな見た目で、実はかじりつくと音もなくそれを受け入れてくれるようなやさしさを持ちつつ。
強烈な甘さが、油の染みた生地が、背徳ですらある。


あのハニーチュロがもしふにゃりと柔らかかったら、私はここまで脳を焼かれていないだろう。


それからコンビニの肉まんやら、カレーパンやら、いろんなものを買い食いしたが
自転車に乗りながら食べたハニーチュロの快感に勝るものに未だ出会えていない。
(近いところまで行ったのは、バイト終わり・寒い冬・徒歩で家に帰る途中に食べたあたたかいカレーパンである)

そういった救われた経験や、ミスドにまつわるあらゆる感情が詰め込まれたエッセイ。

読んで、どうしてもミスドが食べたくなった私が秋葉原店と千駄木店をハシゴするのに1時間弱歩いたのはまた別のお話。続く。

いうほど頼りなくない袋

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