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助けてといえる人#67

恋人とか、友人とか、親友とか。いた方がいいのはわかる。

でもこのSNS最盛期時代、そのつながりはあまりにも広く、把握できないくらいに薄っぺらくつながっていく。

その中で必要なのは何か。

私は助けてといえる人がいるかどうかだと思う。

1人でも、状況に合わせてでも、助けてっていえる人がいれば、なんとか生きていける。

そんなことを考えたのは、自分が最近ピンチになったからだ。

私はここ3日くらい、頭痛で寝込んでいた。3連休3人ワンオペ。

分かってはいたけど、実家、義実家、旦那単身赴任で遠方というのは、こういうときに致命的である。

ずっと寝込んでいると、自分がなまけものなんじゃないかと自分を責めてしまうし、しんどくても子ども3人分3食用意、お風呂、洗濯をしないといけない。

カロナールを飲んでも、漢方を飲んでも、ずっと目頭と首を温めても全く治らない。

私は、旦那に、SOSを出した。

たった二日で泥棒が入ったようになった家に義母は召喚できないし、遠方の実母も、少し近い義母も仕事がある。もちろん旦那にも仕事があるが、これを緊急事態とせずしていつが緊急事態なのだろう。

無理???と聞いた。

とはいえ、期待せず、連休を乗り切る分の総菜を買い込み、再度寝込んでいた。

そんなとき、旦那がなんとか都合をつけてきてくれた。

船に乗り、一泊もせず、家のことと子守をするためだけに仕事を休んでくれた。

もしかしたら、旦那が来ずとも乗り越えられたかもしれない。

でも、家にはすごく嫌な雰囲気が漂っていた。

余裕のない私は、子どもに怒鳴ってばかりで、空気は最悪だった。

旦那が戻ってきたら、その重い空気が嘘のように晴れた。

部屋は片付き、子どもたちは笑い、ケンカしあっていたのが助け合ったり、それぞれに余裕が生まれた。

私は、SOSを出せてよかったと思った。

私が最初からあきらめて何も言わない夫婦関係なら、3連休は子どもたちにとっても辛いものになったと思う。

旦那と結婚したのは、助けてって言える人で、助けてくれる人だと自分でも思えたからなのかもしれない。

10年以上前、付き合って間もなくの頃、20代で3ヶ月に1回は事故を起こす私は首を負傷していた。

首を動かすと異様に痛くて、首を支えながらではないと起き上がれない状態だった。

その時、首を支えて起こしてくれたのも、今の旦那だった。

助けてって言っても、言われても、できることはちょっとしたことかもしれない。

でも、それを言える人が近くにいるだけで、なんとか明日も生きていける気持ちになれる。

助けてと言える人でありたい。

そして、誰かが助けてと言ってくれたとき、どうにか誰かを支えられるようにいたいと私も思う。

まずは、助けてばっかりの子ども3人を支えていかねば。

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