集金

 僕が出社すると上司から集金に行ってくれと頼まれた。どこの家か聞いた。
 ──おう、ここ。この貧乏人の家。夜勤で依頼があって遺体を家に運んだあと打ち合わせしたけど喪主は火葬を2万で出来ると思ってたらしい。なもんで打ち合わせに行った奴が他の業者を勧めて流した。けどシーツとか病院からの搬送費とか請求しない訳にはいかないからな。
 僕は渡された地図を見た。どうやらアパートに住んでいるみたいだ。僕は考えた。世間体を気にして一丁前に葬儀をしたものの支払えない人なども居た。それに比べればまだこれは切実な問題かもしれないと。けれども同情は出来なかった。『どんな事情があるにしても必要最低限のお金が無いのは罪なことだ』
 僕は総務の所に行き、請求書とお釣りの袋を貰った。その時総務の人から声を掛けられた。
 ──こういうが、心痛まんけ?お金がない人から集金するが。
 ──別に…。
 ──ああ、なんて人なが。

 アパートの前に車を停めて二階に上がる。この時少しだけ妙に緊張する。相手はどんな人間なんだろうか。素直にお金を払ってくれるだろうか。もしかしたら切羽詰まって暴力を振るわれるかもしれないなどなど。妄想は膨らむ。そうして○○と部屋番号の書かれた扉の前に立つ。このアパートであっているか、部屋番号はこれであっているかキョロキョロあたりを見回して、インターホンを押す。そしたらすぐ男の人が出てきた。身なりは思ったより普通。善良そうな顔つきだった。
 靴を脱いで中に入ると、部屋の隅に白い布団があった。僕はもう火葬されているものだと思っていたからびっくりした。『そうか、まだ業者に頼んでなかったのか。そういえばいつ亡くなったのだろう』集金だけ命じられたものだから、先ほど上司から言われたこと以外何もわからなかった。『なにもわからない』
 ここに座ってくださいと言われ、ねちゃねちゃする床を気持ち悪いと思いながらなんとか座った。向かいにはもう一人男の叔母さんらしき人が座っていた。
 男が口を開いた。
 ──すいませんね、給料日が今日だったもので。さっき下してきましたもので。それでいくらでしたっけ?
 ──5万4千円です。
 ──はあ、そうですか。そしたらこれで。
 彼は6万円出した。僕はそれを預かって領収書とおつりを渡した。
 それで僕の仕事は終わった。後はもうこの場を去ることだけだった。だがなぜかいたたまれない気持ち(それは憐憫に近いものだろうか)に支配された。何か言わなければならない、何か言わなければいけない気持ちを引き起こさせた。
 ──それで、これからどうするんですか?業者にはもう頼んだんですか。
 ──いやそれがまだで…その体ってのは一週間くらい置いといても大丈夫なんですか?
 男は恥ずかしそうに答えた。『果たして正気でそんなことを言ったのだろうか?』僕は予想もしない返答に困った。僕は遺体の方を見てその安らかそうな顔を見た。おばあちゃんが寝ていると言ってもおかしくない感じだった。『生きることだけが苦しみなのだろうか』死体だけが無関心そうに横たわる。あまりにも白い布団は薄汚れた部屋の中で異質な存在であった。光を放っているようにも見える。だがそこから何の声も聞こえない。何を考えているのかわかるはずもない。
 ──ドライアイスも置いてないのでせいぜい2日ほどでしょう。1週間はとても無理だと思います。
 向かいに居たおばさんがそれに同意した。
 ──そりゃそうやろ。早く業者に電話せんと。ねえ、おたくは火葬だけやったらいくらかかるの?
 ──多少前後するので何とも言えませんが20万円はないと…。けどほかの業者でしたらもう少し安いかもしれません。他社にいる訳でないのでよくわかりませんが。
 ──はあ、20万も掛かるんか。何にそんな掛かるの?
 ──まず遺体を運ぶ運賃ですね。棺も7万円ほどしますし。なんだかんだでそれくらい掛かってしまいます。
 しばらくの沈黙。気まずくなり僕は真っ白な布団を見続けた。
 その後の事はよく覚えていない。男とおばさんが何か話していた。適当に僕は相槌を打っているだけ。もう何もできないと思いその場を去った。男は玄関まで見送ってくれた。

 会社に戻り総務にお金を持って行った。
 ──どうやった?
 ──お金が無さそうでした。
 僕はそれだけ報告した。それに何かを付け加えようと思ったが何も思いつかなった。

 仕事が終わり家に帰る途中考え事をした。
 『もしあの時僕がこのお金要りませんなんて答えたら、喜んでもらえただろうか。貧者を救うことができたのだろうか。善意を表に出すことのできる唯一の機会だったのかもしれない。人を助けることのできないこの世の中においては稀なことだ。けれども6万円ほどか…。確かに高いな。そこまで生活に余裕があるわけじゃないし、それで自分が苦しむことになるのは如何なものか。それにあの家は生活保護を受けているわけでもない。だとしたらどこかでお金を無駄遣いしているのだろう。僕が負担したところで浮いたお金を無駄にするに違いない。貧乏人は永遠に貧乏なまま。それから抜け出すのは難しいからああいう生活をしているのだ。あのような救いがたい人間は…。』
 僕は偽善者ですらなくなっていたことに驚いた。
 『これじゃあ、単なる悪魔だ。あの件はあれで終わったのだ。終わったことをくよくよ考えたところでもうどうにもならない。僕と彼とはもう無関係なのだ。だが何が僕と彼を…いや、あの一個の死体を引き合わせたのだろう?仕事という単純なものだけだろうか。それはいい…。あの死体は何かを語っていた。その何かとは何だろうか?死人に口なしというが果たしてそうだろうか?確かに耳からは何も聞こえない。しかし、物質を超えた存在があそこにはあって…。これも生者の勝手な妄想か。これでは死者に適当な意味づけをするなまぐさ坊主と変わらない。死に意味は無い。ただ生まれて死ぬ。簡単なことだ。単純すぎる。』
 夕日が白い山に落ちていく。ゆっくり、ゆっくりと。
 『日が昇って、落ちていく。そんな当たり前のことに何も意味がないのと同じだ。だがもう日が昇らないとしたら…。死という概念はそういう不安を付きまとっているのだ!だが死んでしまえばそうした苦悩が消えてしまう。あの安らかな顔がそれを物語っている。では生きる者の苦しみは何だというのか!生きるとは!生きる意味とは!』
 日が沈んで暗くなった。それでも僕の脳裏にあるあの白い布団がチラチラと輝き続けていた。(終)




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