スポーツ嫌いの話
「スポーツが嫌いなんて言ったら敵をたくさんつくるから、言うのやめなさい」と母に言われて、スポーツが嫌いなのはそんなに少数派なのか…と知った。
スポーツが好きな人なんて全員頭おかしい、意味不明と思っていたけど、どうやら狂っているのは自分の方らしい。気づいたのは高校生の頃だった。
どうして。
誰も傷つけたくはない。でも、こんな日々で私はもう限界だ。
私の脳内では、部屋のクローゼットの一番奥の暗いところにある箱にスポーツ関連のつらい思い出はしまってある。普段は思い出したりしない。
でも、オリンピックのせいでスポーツの話題から逃避できなくなって、頭の中をチラついてもう離れない。だから書いて発散することにした。
子供の頃
小学校までは、自分は運動音痴な方だ、くらいに思っていた。それでも先生や母は気づいていて、よく転倒するので病院に行くべきではないかと考えていたらしい。(結局病院には行かなかったと思う)。
幼稚園から小学校低学年まではずっとプールが怖くて大っ嫌いだった。幼稚園では水着を最低限濡らして入ったことをアピールして、もう出たいです申請をしていたことだけは覚えている。
小学校のプールでもひたすら泣いて先生を困らせていた。(その後スイミングスクールに通って人並み弱くらいには泳げるようになった)。
プール以外の体育もそれなりに嫌だったが、プールと比べれば大したことはなかった。他の子よりはよく転んだり、誰かが投げたボールが顔に当たったりしていた。
幼稚園から小3までクラシックバレエを習っていた。私が習いたいと言って、やめたいとは一度も言わなかったが、ピアノに専念した方がいいということになりやめた。
小5から小6はテニス好きの親の勧めでテニスを習っていた。平均よりは下手だったが、目立つほどではなかった。ただ、テニスをする前にコートを走ることは嫌いだった。
それまでは周りの子と差はあまりなく、体を動かすことができた。
小学校の休み時間は、外に出ろと言われていた。極力図書室にいたが、外に出ろと言われたら日陰で座っていた。木の影に隠れて絵を描いた。クラスレクでのケイドロは嫌だったがオリに座っていればなんとかなった。
ドッジボールは避けるのが少しだけ上手くなったし、大縄跳びはたくさん練習したら人並みくらいにはできるようになった。
中学の時は体育が大嫌いになっていた。
特に嫌いな先生がいたというわけではないが、私はしっかり自分が運動音痴であることを自覚した。
短距離も長距離も、体力測定の結果も、明らかに周りの子と数字が違う。喘息持ちの友達よりも1000m走が遅い。先生には、病気はある?と聞かれた。
高校のとき
高校の時が最もつらかった。
学校の中で一番私が運動音痴なのは間違いなかった。
1年のクラスも、2・3年のクラスも、私の次に運動が苦手な子がいて、私はその子と仲が良くて、ペアを組む。
でも彼女たちは必ず、受験首席合格だったりとか、奨学金をもらえるような成績優秀者だった。
対して私は留年寸前の成績。附属校だからとか油断できず、なんとか下の中を保っていた。ずっと劣等感しかなかった。
体育で教育実習生がバレーボールの授業を担当したことがあった。「二人組になってラリーをして、○○回続いたら座っていいよ~!最後まで残ったペアは罰ゲームね!」というゲームがあった。
ペアの子も私も、お互いにごめんね…と言いながらお通夜のような顔でラリーをしようとするが、今までラリーなんて続いたことがなかった。最後までできなかった私たちは、変なポーズでみんなの前で10回ジャンプをする罰ゲームを課された。クラスでもカースト最下位のような私にはあまりにもつらい罰ゲームだった。休憩時間で泣いて、その後は授業は見学していた。
球技大会もバレーボールだった。私以外はみんな頑張っているのに、ここで泣いたらみんなの雰囲気が台無しになるから、絶対今日は泣かない、と思っていた。でも球技大会は結構クラス対抗意識が強くて、明らかに弱い私のいる場所めがけて強いボールが飛んでくるから本当に怖かった。
自分の出る試合直前になって、やっぱり出たくないと座り込んで泣いてしまった。出なくて済んだけど、罪悪感ばかり残った。
マラソンではおしゃべりしながらダラダラ歩いている子たちよりも遅かった。私は必死に走っているのに、彼女たちと一緒に怒られて、意味がわからなかった。
高校の毎年ある3回のマラソン大会のうち、2回は学校で最下位だった。2年生の時はおしゃべりしながら歩く子たちより少し早かった。いつも途中までは一緒に走ってくれる子が2、3人いたが、一緒に走っても私は息切れが激しく全く話せないし、私のスピードに合わせてもらうのもそれはそれで相手を疲れさせてしまうため、先に行ってもらうようにしていた。
1年の時はダンス大会もあった。曲選びも振付も生徒がやる。体育の時間以外にも、放課後にみんな外集まって練習しよ!と言われていたが、外に出たくなくて泣いていた。友達に励まされてなんとか練習に行って、ガラスに反射した自分を見ながら練習をした。他の子と何が違うのかよくわからないけど、たぶんうまくできていない。下手で恥ずかしいし、恥ずかしいと思うとどんどん体を動かせなくなって、どんどん嫌になった。ダンス大会は頑張って出た。
本当は体育を休んで成績を下げている暇はなかった。
体育の時間はよく保健室に逃げたり、ホールでピアノを弾く彼氏を眺めていたり、どうしても体育館に行けなくて暗い更衣室でずっと泣いたりしていた。
成績的には問題はあるが、授業を休む人をとやかく言わない高校の雰囲気には感謝している。
でもマラソン大会や球技大会、体育祭などの大きなイベントは、本当に嫌だったが、出席しないと成績が危なくて休めなかった。何回も死にたいと思って、何日も前から当日まで数え切れないほど泣いた。
他にも体育の嫌な思い出は数え切れないある。
これまでもこれからも運動音痴
幼稚園も含め、小学校から高校まで毎週体育があって、ずっとつらい思いをしてきた。
嫌いな先生がいたわけでも、病気だったわけでも、いじめられたわけでもなかった。ただただ自分が、運動ができなかっただけだった。
両親はテニスやガーデニングが趣味でアウトドア派。妹も普通でこんなに狂った体育嫌悪はない。遺伝でもなく、身長に対して標準的な体重で、クラシックバレエもやってた私が、なぜこんなに運動音痴なのかわからない。
スポッチャは誘われたことは何回かあったけど、怖くて行けない。
チームプレイはどう考えても私が入ったチームが負けるのは確定してるし、それを考えるだけでも申し訳なさと恥ずかしさ、情けなさで泣きそうなのに、現地で泣いてしまったら、みんなの楽しい雰囲気が台無しになる。
必修で体育がない大学にも本当に感謝している。
多少高校が同じだった人もいるが、ほとんど誰も私が走っているところやボールを投げているところを見たことがない。ダイエットして髪を染めメイクをして高校の頃よりずっと垢抜けた私と初めて会って、果てしない運動音痴だと気づく人は1人もいない。
社会人になっても同じだ。自分から運動音痴だとか言わないで済むなら言わない方がいい。
電車に乗り遅れそうで走るなんてことはしない。走るくらいなら次の電車に乗るような、余裕のある人間になればいいだけの話だ。
スポーツってそんなに価値があるのかな
20年以上生きてきて、やっと、スポーツが好きな人もいる、それを仕事にしている人もいる、スポーツするのが苦手でも見るのは好きという人もいる、ということを少しずつ理解できるようになってきた。受け入れられるかはさておき、理解はした。
意味不明なことは今でもまだまだある。特にスポーツの価値について。
スポーツが好きな人たちは嫌いな人よりずっと多い。みんなもスポーツが好きだろう、他のことより優遇していいだろうという気持ちで、この世界はスポーツが好きな人に優しく作られている。
私は、乗せられてないか?という気持ちがある。
音楽や芸術などといった分野よりも圧倒的に優遇しすぎではないか?と思う。
テレビのニュース番組では新しいニュースの後にいつも「続いてはスポーツです」というコーナーがある。そこに毎回スポーツコーナーを設置する価値があるのか。新聞も、スポーツ記事って一体なんだ。
大雨とかの速報と同じように誰かがスポーツで勝ったみたいなことも、他の番組の画面の上に載せてて驚く。そんな重要な速報?
リビングでは食事の時に私にチャンネル選択権がないので、スポーツが映っていることもよくある。家族揃って夕食を食べるのが当たり前、19時のNHKのニュースは世間を知るために必要なことだから必ず見る、という家庭のため、苦手なスポーツコーナーを回避することはできない。目を逸らしながら食事をするしかない。なぜそこでスポーツを?という疑問は何年も前からあった。
野球はなぜか特別らしい。野球応援ってそんなにメジャーなの?応援のこともよくわからない。なぜ踊っているのか。
大学の野球応援に行かされたのは、正直意味不明すぎた。親からは羨ましがられたが、さっぱりその価値がわからず、ただ暑く、うるさいとしか感じられなかった。
正月に箱根を走るのも意味不明。リビングにいる正月にマラソンを見させられるのは私にとっては嫌なことだ。選手もわざわざ正月に?走るなんてかわいそうだと思う。
学校もスポーツの部活を優遇している。文化系の団体であんな優遇されているのはないのでは。
スポーツを子供に習わせて、礼儀やチームワークを学べるみたいな風潮。スポーツ以外でもたくさん学べるのに、男の子の習い事なら野球かサッカーでしょ、というのは私にはわからない。
日々疑問に思うことが尽きない。
意味不明イベント:オリンピック
希望を与える???
トラウマを思い出させて一体何を考えているんだ…。あんなにつらいことをさせられていて、選手たちがかわいそう、私だったら泣いちゃう、死にたいと思っちゃう、という気持ちしか湧かない。
でもみんなはトラウマとは思ってないし、それが楽しいと思うんだなあ、と気づけたのは最近だ。
体育くらいで、自分が苦手なだけでスポーツ嫌いとかもったいない!楽しいのに(^ ^) えーはやく楽しめるようになるといいね〜(^ ^) みたいな人とは一生わかりあえない。
私は絶対許せないなと思う。
大規模な音楽フェスも美術展も、中止になった。オリンピックも中止になるのは当たり前だと思っていた。
こんな状況でオリンピックを開催したことには絶望した。
この世界は私が思っているよりもスポーツを重要視しているらしい。私の理解がまだまだ足りない。
ただ、スポーツを見るのは苦手というのは言えるようになりたい。みんなでスポーツ見るの楽しいよね!という雰囲気に押されてスポーツを見ると精神が削られる。
スポーツをもう少し許容していかないと生きていけないと思った。
私だって、楽しめるなら楽しめた方がいいのはわかっている。
見るのはちょっと楽しめるような競技があればいいな、とは思う。今のところないが。
2021.8
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