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【正しい努力を継続することがいかに重要か分かる実話】~私は初心者野球少年~

これは私が中学校から野球を始めた頃の
ノンフィクションドラマ

こんにちは、のみやです。


私は小学校まで
ずーっとサッカー一筋の
サッカー少年でした。

ですが、
中学校に入り、
野球を始めました。

それまで一切、
野球経験はなかったです。

その当時の実体験を
お話しするのですが、

「正しい努力を継続することが
 いかに重要か分かる実話」

となっています。


・今、副業をされている方
・これから副業を始める方

これを読めば、
「正しい方向」への努力の重要性が
身に染みて分かると思います。

私が中学生だった頃、
こんな激動の生活を送っていました。

✅野球が下手すぎて、
 周りの先輩達に笑われ、
 バカにされる

✅野球をやめ、
 サッカーを再開した方がいいと
 間接的に仲間に言われる

✅ヘトヘトになりながら努力するも、
 成果が全く出ない日々


それでは以下よりお楽しみください。


ーーーーーーーーー

『~私は初心者野球少年~』

私は毎日【バカ】にされてきた。

「なんでお前みたいなのが
 野球部入ったの?」

「中学から野球とか舐めてんの?」

「レギューラーなんて、絶対無理だぞ」


遡ること約18年前、
私は中学から「野球部」に入部した。

千葉県の超田舎町で産まれた私は
もともと8歳からサッカーに
明け暮れていた「サッカー少年」だった。

自分で言うのもなんだが、
サッカーは周りの友達よりうまかった。

地元では有名な方で
「田舎町のキャプテン翼」
なんて言われていた。


だが、中学へ進学する前、
私は「絶望」することになる。

そう、私が小学生の時、
進学予定の地元公立中学から
「サッカー部」がなくなったのだ。


小学校の頃からの目標は、
中学でサッカーを極め、
高校はサッカー推薦で進学。

高校サッカーで有名になり、
サッカー中継でデレビに出る!

夢の中ではそうなるはずだった。

当時は夢と現実のギャップに
当時はめちゃくちゃ苦しんだ。


だから、私は両親に

「中学に入ったら、
 隣町のサッカークラブに入りたい」

「サッカーを諦めたくない」


そう伝えた。

でも、両親からの言葉は
思いがけない回答だった。

「それはダメ」

「地元の仲間と一緒に
 中学の部活に入りなさい」

「地元の仲間はこれから
 一生の付き合いになるのよ」


親が言うから仕方ない。

悩んで悩んで考え抜いたり挙句、
自分にそう言い聞かせた。

そして、
私の友達は野球部が多かったので、
深く考えず入部することに決めた。


父親・祖父も大の野球好き。

根っからの
「ジャイアンツファン」だ。

なので、野球をすることに
とても喜んでくれた。

当時、父親に初めて買ってもらった
ミズノプロの黒いグローブは
今でも大切にしている。


↓参考イメージ(似てるもの)

画像2

そんな自分が入部したのは
田舎町のそこそこ強い野球部。

【野球部】と聞けば、
「泥臭い練習」「練習の鬼」
というワードが皆の中にも
思い浮かぶであろう。

その通りだ。

うちの野球部も暗すぎて
ボールが見えなくなるまで練習するし、
その後はひたすら校庭を走ることになる。


そう。

そこから、地獄の日々が幕を開ける。


まず忘れもしない「練習初日」。

新人である1年生の実力を確かめるため、
監督からシートノックを
受けることとなった。

2、3年生がそれを見る。

先輩達も1年生の実力が気になるため、
どんな奴が入ってきたか
椅子に座りながらじっくりと眺めている。


私は3塁を守ることになった。

私の友達は少年野球出身者が多く、
転がってきたボールをいとも簡単に取り、
1塁まで簡単に投げる。

ついに3番目である自分の順番がきた。

転がってきたボールを取ろうとするが、
ボールはグローブをすり抜け、
自分の後ろを転がっていく。

「ほら、もう一回だ!」

そう監督から言われ、

「もう一回ください!!」

ミスをした人が言う決まり文句だ。


でも、野球は簡単じゃない。
そう思うようにいかない。

もう一回やるも、
なぜかグローブに入らない。

友達が簡単にやっていることが
自分にはなぜかできない。

「もう一回ください!」

グローブにボールが
当たるようになってくるものの、
完全にボールに遊ばれている。

画像1

それを見ている先輩達が
私のことを笑っている。

もしかしたら、
そう見えていただけかもしれない。

でも、サッカーでは
バカにされたことがなかった私は
屈辱で仕方がなかった。

「もう一回。」

「もう一回。。。」

自分がミスしかしないから、
周りの友達が練習すらできない。

完全に自分が足を引っ張っている。

「もういい、次のやつ!」

監督がそう言ってくれて、
ようやく自分の番は終わった。

でも、いずれか自分の番が
また回ってくる。

そんな「恐怖」しかなかった。

その繰り返し。

当時、3塁ベース後ろで平然を装いながら、
手と足が震えていたのを今でも覚えている。


なんとか練習が終わり、
野球部の友達5、6人と
自転車に乗り、家に帰る。

家に向かう途中、
野球部の友達から

「のみやはサッカーを
 続けた方がいいんじゃない?」

「そうだよ、まだ間に合うよ」

「お前、サッカーまじでうまいもん」

そう言われた。

「野球よりサッカーを続けた方がいい」

「野球のセンスがない」

とは言わなかった。

みんなが言いたいことは
何となく分かったし、
中学生ながら察した。

優しい仲間だった。

「ばーか、このチームの4番になるんだよ、俺がな!」

まったく思ってもない言葉を
毎回言っていた。

いつもふざけてやり過ごしていたけど、
本心は悔しくて悔しくて
たまらなかった。


家に着いて、
「ただいま」も言わないまま、
自分の部屋に行き、
ベッドに沈み込んだ。

過去の人生で
一番泣いたかもしれない。

何度も何度もベッドを叩き、
爪が手のひらに食い込み、
流血するほど握りしめた。

「何で野球部なんかに
 入っちまったんだよ。。」

「サッカー、
 まだやり直せるのかな。。」

って、ずっと思っていた。

疲れて眠気はあったものの、
この日はモヤモヤしたまま
全然眠れなかった。


その後も同じようなことの
繰り返しだった。

練習の度に恥をかき、
悔しい思いをする日々。

先輩に笑われ、
仲間に気を遣わせる。

すると、朝起きるのも
少しずつ辛くなる。

今までのサッカー人生とは
真逆の生活だった。

野球だと何もできない自分が
情けなくて情けなくて、
まれに呼吸がし辛くなるときもあった。


ふと思った。

「このままではダメだ」

「こんな生活、嫌だ」


だから、自分自身に
「ある目標」を課すことにした。

【市の中学野球選抜チーム】

ここに選ばれることに決めた。


ただレギュラーになるという
甘い考えではない。

バカにした先輩達を見返してやる。

そして、チームのみんなから
「すげー」と言われるくらい
上手くなってやる。

私は覚悟を決めた。


ーーーーーーーーーーーーーー


中学で練習を始めるようになって、
ある人物の存在に気がついた。

坊主頭の50代男性。

野球部員よりも早くグラウンドにいて、
腕・足を組んでベンチに座る、
いかにも怖い昭和のおじさん。

しかも、挨拶しないと
ブチギレられる。

「何なんだよ、このおっさん」

「めんどくさそうだな」

直感でそう思った。

でも、野球に対する指示は
物凄く的確。

言い方はキツいけど、
本質を突いている。

おそらく、野球の実績は
相当なものなんだと思う。

「ねえ、あの人って誰なの?」

「あの人は1個上の
 山内先輩の父さんだよ」

「甲子園に出場してたことのある
 すげーうまいキャッチャー
 だったらしいぞ」

友達に聞いて、初めて知った。

「へぇー、やっぱすげー人なんだ」

当時の私はそれくらいにしか
思っていなかった。


野球部の練習は
レギュラー陣である2.3年生の練習を
1年生が手伝う。

ボール拾いや、バット引き。

まあ、言ってしまえば雑用だ。


そして、2.3年生の練習が終わった後、
1年生の練習が始まる。


山内先輩の父さんは最後まで
練習を見てくれている。

「何やってんだよ!」

「下手くそっ!」

「そんなんじゃ試合出れねーぞ!」

練習ではいつも決まって
私が怒鳴られていた。

悔しい。
でもうまくできない。

がむしゃらに身体を動かし、
ボールに食らいつくも取れない。

グローブの下を
ボールがすり抜ける。

サッカーしかやってなかった自分が
そんな簡単に周りに追いつける訳がない。

ただただ悔しかった。

自信がなく、無意識に
いつも下を向いてしまっていた。


入部から1ヶ月ほどたった頃だった。

「のみや、ちょっと来い」

練習が終わった直後、
山内さんの父から呼び出された。

「はい!」

勢いよく返事をして、
その人の元へ向かう。

「やべー、
 野球やめろとか言われるのかな?」

内心ドキドキしていた。


向かった途端、

「何でお前、野球やってるんだ?」

ど直球に聞かれた。

「仲のいい友達が多かったのと、
 素直に野球が好きだからです」

確かに野球は
小学校の頃から好きだった。

夏休みは1日中、
パワプロという野球ゲームに
没頭するほど、野球は大好きだ。

また、父・祖父が大の巨人ファンのため、
毎日巨人戦を見ていて、
野球のルールには
めちゃくちゃ詳しくなっていた。


そしたら、思いがけない言葉が。

「そうか」

「お前は、まだ下手くそすぎるし、
 試合に出れるレベルには到底及ばない。
 それはわかってるよな?」

「はい。。」

「でもな、お前は足が速いし、
 運動神経も周りよりある」

「あと、上手くなってやるっていう
 そんな目をしてるし、
 俺には伝わってくる」

「練習すればきっと周りの奴らより
 上手くなる素質がある」

「今のままでいい、
 もっとがむしゃらにがんばれ」

なぜだかわからないが思わず
涙がボロボロとこぼれ落ちる。

野球をやるようになって
初めて誰かに褒められた。

山内さんのお父さんは
もっと具体的にアドバイスして
くれていたと思う。

でも、緊張のあまり覚えていない。


「のみやの今の目標、言ってみろ」

山内さんの怖い視線が
私の目を見つめてくる。

「市の選抜チームに選ばれる」

自分の中では思ってはいたものの、
恥ずかしくて誰にも言えてなかった。

今の自分が言っても
笑われるだけだと思っていた。

でも、恥ずかしい気持ちを押し殺し、
勇気を振り絞って言った。

「僕は、、、
 市の選抜チームに選ばれることです!」

言えた。
自分の口から初めて言えた。

「おー、いいな!
 言ったからには有言実行しろよな」

肩を力強くドンと叩かれた。


そして、山内さんの父は
なぜか私に「白い鉄管」を
渡してくれた。

「これなんですか?」

そう聞くと、

「今日からこれで
 毎日300回素振りしろ」

「腕の力も鍛えられるし、
 ボールが飛ぶようになるから」

「これ続ければ、少しは
 選抜チームに近づけるぞ」

「お前は外野手だんだから
 打てなきゃ使ってもらないからな」

「え?ウソでしょ?」

心の中ではそう思った。

この鉄管は2キロほどの重さで
通常のバットの2倍以上、
長さは1.5倍以上になる。

持っているだけでも
なかなかしんどい。

まるで「丸太」を
持っているような感覚だ。

それを300回?
マジかよ。。

でも、反抗できなかった。

甲子園出場経験のある
名キャッチャー。

私はもうこの人の言うことに
従うと決めていた。

だから、

「はい!毎日続けます!」

それからというもの、
野球部の練習でクタクタになって
家に着いたその瞬間、
もらった鉄管を毎日300回振り込んだ。

家の中に入ってしまうとグータラするから、
玄関の前にバックを置き、
真っ先に鉄管を振る。

私が家に帰ってまず先にすることは
ご飯でもなく、お風呂でもなく、
「素振り」なのだ。

自分の中の第一優先が変わり、
血眼になりながら、
鉄管を振っていたと思う。


長いトレーニングバットは
野球界では通称「小次郎バット」と
呼ばれている。

貰った鉄管があまりに長いので
「小次郎」と勝手に愛称をつけて、
相棒にした。

そこから、私と小次郎との
熱い熱い練習が始まった。

来る日も来る日も
小次郎を振り続ける。

私の母は、
私が気が狂ったように
素振りをする姿をみて、
何かあったのかと不思議に思ったらしい。


私の部屋にも
自分の直筆で書いた

「中学時代の目標」
市の選抜チームに選ばれる!

この紙を毎日見れるように
机正面に貼り付けた。

60890813-脇のペンで木製の机の上の私の目標の書かれたメモの平面図です。

そして、毎日それを見てから
学校へ登校するようにした。

「誰にも負けたくない」

「誰にもバカにされたくない」

そして

「山内さんの父さんに認められたい」

その一心で小次郎を振り続けた。


ここまで
何かに熱中したことはなかった。

手のひらはボロボロ。

握力がなくなり、
手の力が抜けてしまい、
小次郎が握れなくなる日もあった。

それでも「毎日300本」。

山内さんとの約束を守り続けた。


また、素振りをしすぎたあまり、
足と地面の摩擦で深い穴ができ、
素振りの場所だと
一発でわかるようになった。

今思えば
ここまで何かに熱中したのは
人生で初めてかもしれない。


近所の人も不振がってたと思う。


でも、現実はそんなに甘くない。

いくら素振りをしても、
結果は出ない。

「なぜだ。。。」

中学から始めた野球。

基礎を知らない私が
ただがむしゃらにやってもダメだった。

毎日誰よりも素振りをし、
筋トレして体を大きくし、
ひたむきに練習してきた。

身長を伸ばしたくて、
牛乳を毎日2L飲んでいた。

朝ごはんをたくさん食べるといいと聞き、
朝からどんぶり2杯の納豆ご飯を食べた。

野球は下半身が大切と聞き、
毎日2キロのランニングを取り入れた。

それでも、結果は出ない。

周りの仲間が
どんどんうまくなっている。

打ったボールは遠くまで飛ぶし、
いとも簡単にやってのける。

勝手に周りと自分と比較してしまい、
自分の実力の無さ、
上達スピードの遅さに絶望し、
涙が止まらなかったことを
今でも覚えている。


「誰よりも練習しるのに、
 なんでダメなんだ。」


あふれ出るため息。

バカにされ悔しいことがあっても
ため息だけは出さないように
上を向いていたのに、
ついに私は下を向いてしまった。

「悔しさ<悲しさ」になった瞬間だった。


それから1ヶ月がたったある日。

私が下を向きながら
バッティング練習をしていたら、
山内さんが私に近づいてきた。

「また、なんか言われるよ」

「小次郎振っても、
 全然ダメだったじゃん」

「もう、いい加減にしてくれ」

正直そう思っていた。

甲子園出場選手の言うことを聞いても
俺はダメなんだ。

そもそも、
俺って才能がないんだ。

そう、自暴自棄になっていた。


そんな私の
バッティング練習を見ながら
山内さんがこう言った。

「打つときのフォームが
 めちゃくちゃだな」

「お前、誰を意識して
 今まで素振りしてたんだ?」

「誰って、、、
 素振りしろって言われたから」

「ばかやろう!」

「お前みたいのが、
 自己流で上手くなれるわけねーだろ!」

「すいません。。」

「上手い奴はな、
 みんなプロのマネしながら
 練習すんだよ!」

「じゃあ、
 お前は高橋由伸をマネしろ」

「そしたら、打てるようになるから」


私は「はっ!」とした。

この後、
私が打てない理由が
一瞬で明確になった。


そもそも
ボールを打つ時の「原理原則」を
全然理解していなかったのだ。

・打つときの身体の動かし方
・打つときのバットの出し方
・下半身始動のフォーム

何も理解せず、
何も考えずに、
ただ闇雲に素振りをしていた。

当たり前だが、
それでは結果は出なかった。

これはビジネスでも
全く同じ。

副業初心者がただ闇雲にTwitterを始めて、
「全然稼げねー」と言っているのと
何も変わらない。

頭を使わず、
思考停止で突き進んでいた。

今思い返せば、
なぜダメだったのか
痛いほどわかる。


高橋由伸選手とは
元プロ野球選手・元巨人監督で
左打ちの理想の打ち方。

いわば、
「左打ちのお手本」
のような選手だ。

画像4

ジャイアンツの試合を
毎日見ていた私は
そのことを知っていた。

試合を見るたびに
「また由伸が打った!」
と感心していたくらいだ。

そこからというもの
高橋選手の打ち方を
再現できるようになるまで
自分の体全体に叩き込んだ。

ジャイアンツの試合で
高橋選手の打順が回ってくると
画面に食いつくように見ていた。

鉄管を振るだけではなく、
普通のバッドでも素振りをし、
打つまでの動作を何から何まで
完コピできるまでになった。


また、そこからは
野球が上手い人を徹底的に
学ぶことを始めた。

2.3年生の中で
一番上手い人のフォームを真似したり、
ボールを遠くまで飛ばせる人を見て、
「なぜ?」をずーっと研究した。


守備練習中にボールを打っている先輩の
打撃フォームを意識するあまり、
ボールの行方を見ておらず、

「おい、のみやボール行ったぞ!」

「どこ見てんだよ!」

と怒鳴られることもあった。


「すいません!」

と謝ってはいたが、
今考えれば、打撃フォームに
相当のめり込んでいたと思う。


でも、そこから
私の野球は少しずつ変わり始めた。


バッティング練習では
今までゴロしか打てなかった。

ボールが飛んでも
内野手の手前くらいの
貧弱バッターだ。

それもそのはず。

中学から野球を始め、
右利きなのに左打ちに挑戦し、
やったこともないバッティングを
しているのだから。

そんなヘボヘボの私のボールが
内野手の頭を超え、外野手に到達するまで
少しずつ遠くに飛ぶようになったのだ。


「え、俺のボールが飛んだ?」

「ウソだろ?」


最初は信じられなかった。

でも、打ったボールが
何度も外野手の手前まで飛んでいく。


周りの友達(野球部員)も

「いいじゃんいいじゃん!」

「すげーな、将来の4番バッター!」

「俺を超えるくらいのやつ、
 打ってくれよ!」

と冗談まじりでバカにしてくる。


自分なりには進歩している。

でも、周りの仲間に比べたら、
まだまだだ。


でも、少しずつ。

少しずつだけど、
結果は出ている。

自分の中で
「何か」を掴んだ気がした。

その大切な「何か」は
分からない。

でも、心の中で
ガッツポーズをしている自分がいた。

自分のやっていることは
間違っていなかった。

そして、山内さんの言っていることは
正しかったのだ。


そこからというもの、
私の素振り時間は
どんどん増えていった。

練習することが楽しい。

いや、正確には
結果が出ることが頭で理解できたから、
もっと練習したくなっている。

そして、小バカにしていた友達を
早く見返したいという気持ちが
強くなっていった。


当時の私の手のひらは
素振りでできる
「豆」だらけだった。

豆というのは、
素振りをすると
バットと手の摩擦で
手の皮が硬くなった箇所をいう。

野球人では

「豆は練習の証」

とも言われる。

画像5

人差し指、中指、薬指、小指。

この4本の指の下に
日に日に硬いが
豆ができてくる。

この豆も最初は手の皮が破け、
血だらけになりながら
素振りをしていた。

絆創膏を貼っても貼っても
すぐ取れるため、痛みを我慢しながら
素振りをしていたくらいだ。


「絶対にうまくなってやる」

「チームの4番バッターになる」

「市の選抜チームに選ばれる」

日に日に想いが強くなっていた私は
素振りをすることをやめなかった。


練習がとてつもなく
めんどくさくなるときもあった。

「今日くらいは
 やらなくてもいいかな…」

こんなことを考えるときも
多々あった。

でも、そんなときは
自分の手のひらを
見ることにしていた。

自分の手のひらの豆を見ると

「努力を無駄にしたくない」
「絶対に負けたくない」
「俺の人生はこんなもんじゃない」

そう思わせてくれるからだ。

そうやって今まで頑張ってこれた。


=========


中学2年生の秋。


夏の大会が終わり、
3年生が部活を引退。

新チームでの初めての公式戦である
「秋季大会」が始まった。


試合開始とともに、
私はバッターボックスに向かう。

バッターボックス

「1番センターのみや君、背番号8」


女の子のアナウンスと共に
私は相手ピッチャーと対面する。


そう、
私は背番号「8」をもらい、
グラウンドに立っていた。

ポジションは足が早いこともあり、
外野手のセンター。

また、打順もチームの顔である
「1番バッター」を任された。


監督からも

「お前がチームの顔として、
 打線に勢いをつけてくれ」

そう言われた。

こんなこと言われるなんて
野球を始めた頃の私からしたら
考えられない。


友達からも、

「お前が1番だよな」

「のみやが1番練習してたの
 俺らも分かってるぞ」

なんて言われた。


そして、山内さんからも

「良かったな」

「すべてお前の努力の成果だ」

「秋の大会は暴れてこい」

そう言い、
背中をいつもより強めに叩かれた。

「はい!」

私もなぜかいつもより大きめに
返事をした。


監督・チームメイト・山内さん、
みんなの想いと期待を胸に
バッターボックスに立った。



そして、秋季大会で
私は想像以上の活躍をした。

1番バッターとして
とにかくヒットを打ち、
塁に出た。

私の打率は5割を超え、
チームで1番のヒット数・打率だった。


その結果、
チームはどんどん勝ち上がり、
市の秋季大会でまさか優勝し、
県大会へ進むことになった。

監督・友達・家族、
みんなの笑顔が弾けた瞬間だった。


とある平日の練習後、
監督のミーティングを行っている最中に
その事件は起きた。

「今日はみんなに
 重要なお知らせがある」

「うちのチームから2人が
 市の選抜チームに選ばれたぞ」

「ごくり」と唾を飲み込んだ。

「もしかして…」と淡い期待が
私の脳をよぎった。

でも、中学から始めた私が
選ばれるのか?

そんなまさか…

そんな感情をよそに
監督が話し続ける。

「そのメンバーは…」

「…」

「中塚!」

中塚はうちのチームの
エースで4番の大黒柱だ。

みんな選ばれて当然、
納得しているという感じだ。

肝心なのは、中塚以外の
もう1つの椅子だ。


「もう1人は…」

「…」

「のみや!おめでとう。」


「え?」

思わず、声が出てしまった。

自分の目標にしていた
市の選抜チームに
まさか選ばれてしまったのだ。


仲間からも

「のみや、おめでとう!!!」

「お前、秋の大会スゴかったもんな」

「優勝できたのも、
 のみやが打ったからだよな」

感動のあまり
その後の言葉が出なかった。

自分の努力が報われた気がして
自然と涙が頬をつたう。

「ありがとうございます!」


選ばれたと同時に
この結果を真っ先に伝えたい人がいた。

山内さんの父さんだ。

翌日、練習場に来ていた
山内さんの父に早速報告をする。


「山内さんのおかげで
 念願の市の選抜チームに
 選ばれました!」

「本当にありがとうございます!」


「バーカ」

「あれだけ打てば
 選ばれて当然だろ」

「でも、良かったな」

普段笑わない山内さんから
笑顔が垣間見えた。

山内さんと私は
固い固い握手を交わした。


市の大会を優勝したものの、
県大会では2回戦で接戦を制せず、
破れてしまった。


でも、うちの野球部は
そこから更に練習を加速させた。

チームとしても
「しっかり練習すれば勝てる」
ここが分かったからだ。


そこから
春季大会・夏の大会と連覇し、
中学校創業以来・初の
「大会3連覇」を果たしたのだ。


そして、私は3大会連続で
市の選抜チームに選ばれた。


正直、
ここまで結果を出せたの理由は
1つしか思いつかない。

ひたむきに練習をしてきた
努力の証?

ちがう。

それは「山内さん」の存在と
アドバイスがあったからだ。


それから、
私はある決意をした。


「山内さんが卒業した高校に入り、
 俺も甲子園に出場する!」


その高校は文武両道をモットーに
野球だけでなく、
勉強にも力を入れている。

いわゆる頭が良く、
「偏差値の高い」公立高校だった。


私の学力は中の下だったので、
少し上のレベルだった。

「絶対に合格して、
 山内さんを驚かせるんだ」

その想いのもと必死に勉強した。

がむしゃらに勉強した。

来る日も来る日も図書館に籠もり、
朝から晩まで勉強した。

勉強の仕方は
野球部の1番頭の良いやつから聞き、
徹底的にマネした。

自己流ではダメなことは
野球で学んだからだ。

そこからというもの
私の学力はぐんぐん伸び
見事、山内さんの母校に合格。


高校では甲子園を目指し、
中学時代以上に野球へ
向き合うこととなった。


山内さんも喜んでくれて、
母校の練習試合のときは
必ず観にきて、アドバイスをくれた。


「しっかり鉄管振ってんのか?」

「最近、スイングがあめぇーぞ!」

アドバイスの仕方は
相変わらず毒舌に変わりない。

でも、言ってることは
間違ってない。


山内さんからのアドバイスを
忠実に実行し、とことん練習した。


その結果、
甲子園には行けなかったものの、

・高校2年の春大会から
 背番号一桁(9)をもらい、
 レギュラーとして活躍

・2年生の秋季大会、
 3年生の春季・夏大と
 3大会連続で県ベスト8


そして、最後の夏は
チームの「4番」に抜擢。

野球を始めた頃、
友達に言った自分の言葉が
ふと蘇ってくる。


「ばーか、このチームの4番になるんだよ、俺がな!」


背番号と共に
監督から「4番」を告げられたときは、
感動で涙があふれそうだったが
なんとかこらえていた。


目標としていた甲子園には
届かなかった。

でも、最高の仲間と
最高の時間を過ごした
最高の高校生活だった。


今でも実家に帰るときは
母校の前を通るようにしている。

そして、
今までの努力や辛かった日々を
思い返すようにしている。


すると、今の自分が
まだまだ甘えてると思えるからだ。


中学でもサッカーを続けていたら、
今頃どんな人生になっていただろう。

サッカーで有名な高校に
入っていたんだろうか。

ふと頭をよぎる。


でも、サッカーをやめ、
野球を始めたことに
一切の後悔はない。


あのとき、

「中学の仲間とは
 これから一生の付き合いになるんだよ」

そう言った母の言葉は
間違ってなかった。

今でも春・秋のシーズンは
中学時代の仲間と
草野球をしている。

みんな歳を重ねて、
体力も力も衰えている。

でも、みんな野球が好きで好きで
仕方がない。


あのとき野球を始めて、
本当に良かった。

あのとき野球を諦めなくて、
本当に良かった。

野球を通して最高な仲間に出会えて、
本当に本当に良かった。


「どんなときも上を向き続ける」

そのきっかけを私に与えてくれたのが
『野球』だった。


これからも私は
ずーっと野球を続けていくだろう。

最高の仲間達と共に。


———————–


いかがだったでしょうか。

私が中学から野球を始めた時の
当時を振り返り、
どこか懐かしみながら書いてみました。

ビジネスの原理原則を
学んだ今だからこそ、
振り返ってみると

「野球もビジネスも一緒なんだな」

と思います。


もちろん、
ひたむきに努力できることは
本当に素晴らしいと思います。

でも、先人の知恵を借り、
上手い人をマネして練習した方が
圧倒的に早く上達します。


・高橋由伸選手を完全コピーできるまで
 フォームを頭に刷り込んだ。

・ボールを遠くまで飛ばせる
 先輩の打ち方をひたすら見続け、
 研究した。

・そのフォームを意識して、
 手のひらの豆が固くなるまで
 素振りをし続けた。


この「上手い人をマネる」
意識があったからこそ、
練習効果が上がったんだと思います。


長文でしたがお読みいただき、
ありがとうございました!


最後に

ここまで読んだ方は
私と同じ変態です。

※良い意味で


この自己紹介記事で

「刺激になった!」
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など、思ったことや
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これからも
共に頑張っていきましょう。

のみや


↓「のみや」の人生記録
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