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「心理的安全性」の意味をきちんと理解したい

ふと、最近多用していたにも関わらず、心理的安全性の「意味」をきちんと理解していなかった Kaori です。

最近、「言語化」することを非常に意識しています。加えて、言語化する上では「どういう言葉を使うのか」や「使う言葉の意味」を理解した上で、使うことが大切である、とも考えています。というのも、結構意味を間違えて、とか、理解せずに、自分の感覚で誤って、言葉を使ってしまっていることがあるからです。

そこで「心理的安全性」についても、調べてみました。すると、その過程で見つけた一つの記事が目に止まります。

タイトル「やさしい職場が「心理的安全性」が高いわけではないのです。」

あれれ?そうだとすると、私も「心理的安全性」の意味を、少し歪んで捉えてしまっていたかも...。そう気づき、共有することにしました。

まず、こちらの記事では、心理的安全性について、提唱者であるエイミー・エドモンドソンの定義を引用されています。

「心理的安全性(psychological safety)」(中略)ハーバード大学のエイミー・エドモンドソンの定義によれば「無知(ignorant)、無能(incompetent)、否定的(negative)、邪魔(intrusive)だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」という「信念」(belief)を意味します。

何と!私は「心理的安全性」とは「心理的安全性」が担保される「環境」だと、思い込んでいたのですが、発信者側の「信念」なのですね!

そうして、もう一箇所。

エドモンドソンの言う「心理的安全性」とは、罰を受けたり(punished)辱められたり(humiliated)しないということです。意見を受け入れたり、共感したりするとまでは言っていません。

なるほど!常に「共感される、意見が受け入れられる」とは、言及されていないのですね。何となく「心理的安全性」という響きから、私は、情報発信者が、受信者から「批判されない」「否定されない」「共感される」といったワードを思い浮かべていました。

確かに、記事にも例示されている通り、エドモンドソンの問題意識の源が、医療ミスなど、危機的状況において、率直に意見がなされないことで解決策が出なかったり、ミスが起こってしまったりすることだとすれば、重要な場面で、もしも間違ったことを言えば否定されるのは当然です。逆に、そこで間違いを「指摘できる(意見を否定できる)」ことこそ、「心理的安全性」が確保されている、ことになります。

とても勉強になりました。

私は、下の記事のような説明を読むと、常に「自分の意見は否定されない」という視点で、意味を都合よく捉えて、しまいます。

心理的安全性とは、他人の反応に怖がったり、恥ずかしいと感じたりすることなく、自然体の自分を隠さずすべてオープンにできるような穏やかな雰囲気のある環境のこと。

この穏やかな雰囲気とは、自分の思いや感じた内容を素直に伝えられるということですので、その場に安心感や共感がなければ、一人ひとりが自分をさらけ出すことはできません。

でも、コミュニケーションは双方向ですから、自分の発言に対して、必要な否定もあるはずで、それを、された時に「心理的安全性が確保されてないじゃないか!」と憤慨するのは、「違う」ということですね。

やはり、言葉はきちんと調べ、感覚だけで使うのは気をつけた方が良いなと感じました。この「心理的安全性」を例にすれば、「安全」という言葉に対して、自分がもつイメージだけで、語彙を理解したつもりになっていると、間違えて認識してしまうこともあります。皆さんも、もしかすると、そういうことがあるかもしれないので、少し気をつけてみてください。

それでは、本日は今までで最遅の投稿になってしまいました。何となく、書きたい事はあるのに、うまく頭の中でまとまりませんでした。ふぅ。ギリギリ...w。これで、ゆっくり眠れます。おやすみなさい。
皆さま、良い週末を。

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