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父は父であり師でもある
ゲームを始めてもうすぐ30年近く…。
幼稚園の頃にスーパーファミコンのコントローラーを握ったのが始まりでした。
私をゲームの世界に引き込んだのは、すでにゲーマーとしてできあがっていた父であります。
そんな父の話をします。
ドラクエとマリオとゼルダをこよなく愛していた父は、幼い私にコントローラーを渡して色々教えてくれるんですよ。
魔物の倒し方、ハンマーブロスの倒し方、マリオカートで1位になる方法、ダンジョンの謎解き、カービィのコピーの使い方などなど。当時幼稚園児~小学生だった私にとっては父のアドバイスこそが何よりの攻略本でした。
つまり父は父であり、師でもあったわけです。
勉強を教えてくれたこともあったし、自転車の乗り方を教えてくれたこともあったけど、それよりもゲームを教えてくれたことのほうが鮮明に覚えてますね。
ドラクエ6を買ったときは二人で頭を抱えながら攻略したし、マリオ64は交代交代でステージをクリアしたり(ボス戦を父に丸投げしたり)、ポケモンは赤と緑に分けて持っていないポケモンを交換したり…。親子なんだけど師弟のようで友達のような関係だったなと思います。
父は歴史が好きだったので、信長の野望をよくやってました。それを見ていたおかげで、歴史の授業に興味を持ち、社会の勉強をたくさんした記憶があります。成績が良かったのは国語と社会ですね…。
しかし私は信長の野望が肌に合わず、中学の時に無双シリーズをやりました。このあたりから別々でゲームをすることになりました。それでも自分たちがやっているゲームの感想を延々と語る事も忘れませんでした。
そして現在、父は還暦を過ぎ、今は孫(妹の息子)と一緒にマリオメーカーをしたりスマブラをしたり、元気にゲーマーしております。現在は孫(私にとっては甥)の師匠になっている形です。
最近はどうぶつの森をやっていないくせに私が作った島にケチを付けてくる始末です。早く買えよ…。
まだまだ私にとって父は師で、そしてゲーム友達です。最近は一緒にゲームしなくなりましたが、今年の冬に出る予定の桃鉄は一緒にやろうかっていう話をしています。
父はいつも、ゲームは1日1時間みたいなことは言いませんでした。
次のセーブポイントまで。ボスを倒すまで。このステージ終わるまで。
大体こうやって、区切りをつけて終わらせるように言っていましたね。自分がゲームをやっているからこその言葉だったのかもしれません。
そんな父のお話でした。
きっと死ぬまでゲーマーなんでしょう。私もそうでありたいものです。
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