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逃げ回っても目の前の現実に戻ってくる


何事も気にせず、気分を一定に保てる人には関係ない話かもしれません。でも、気分が下がることは誰もが普通に生活しているとよくあると思います。

急にしんどくなったり、突然辛くなったり。

そもそも何してるんだろうと考えてしまうと一気に急降下する感覚。そこでずっとさまよっている人もいたりする。



●現実逃避をしたい

ネットで成功法則とか幸福とか調べて、不安をどうにかしたくて探すんだけど、どれだけ探してもピンとくるのがないんだよね。

自分が探しているものって、現実逃避みたいなものだと思うんよ。


「全てから解放されたい」


この欲というのか、全てから解放されるというのを実現しようとすると死しかないんだよね。どこ行っても、何をしても結局いろんなしがらみってついてくるわけですよ。

それを意識するかしないか。楽に対処できる捉え方をするかどうか。というようなことでしかないんだよね。


いわゆる成功法則とかって、自分を高めて自分の存在を圧倒的に肯定した上で、堂々と行動していくって感じなんですよ。ざっくりいうとね。

で、自分の存在を圧倒的に肯定するってある意味幸福にもつながっていくんですよね。自分は生きてていいんだみたいな感覚って、今を生きてる人ではあるし。

つまり、こういうのって物事の捉え方をよりよくしていくっていうのでしかなくて、現実そのものが変わるわけではない。


もちろんその上で、生きやすくなるやろうし、好循環が生まれるから雪だるま式に楽しくなるっていう話だと思うんですけどね。

何が言いたいかって、現実の対処法なんですよ。全部ね。

自分が探していたものって全てから解放されるというものですよ。



●全てから解放される方法

これって、探しても見つからないんですよね。言い換えると、重力の消し方とか、空飛ぶ方法とか、魔法を使う方法みたいなことを永遠探していたんですよ。

そういう風に言い換えると、自分が探していたものってないんだと気づくわけです。全てから解放されるなんて無理じゃんって。


だから、死を選択するのも別におかしくはないと思うわけですよ。全てから解放されるにはその選択しかないから。

現実世界に存在する理由がない人にとって、ここにしがみつく意味がないと感じてしまうわけ。

ここの認識がない人にしてみると、これから先まだまだ楽しいことがあるのにとか可哀想とかいう発想が出てくる。


ある意味、幸福を求めて飛び立つわけですよね。

そこまで考えてないかもしれないし、辛い現実から逃げる選択肢としていくだけの人もおるかもしれないけどね。


●目の前の現実を生きる

自分はこの一連の流れに対して、どういう解釈をしたかというと

「どうせいつか全てから解放されるし、その間まではここの現実で楽しもう」ということにしました。

どうせ、みんな行き着くところは一緒なんですよ。この全てから解放されたいという欲求も、いずれは叶うことなんです。

ならもういいや。とりあえず現実と向き合ったろうやないかい!っていうような感じですかね。


全てから解放されるっていうのを分解してみると、楽したいっていう欲求も含まれていたんですよね。

楽して生きようとすることがしんどい原因でもあったりするのかなと思ったりする。

だから、欲しい現実を少しずつ手に入れることができるように目の前の現実を一生懸命やるしかないんだわな。


「このくらいでいいやろ」っていう感覚ではなくて、「これがいい」「ここまでやれば最高やろ」っていう選択を取っていくことで、現実を対処していく感じよね。

逃げ回っても、目の前の現実を受け入れなければいけない。

魔法みたいなすごいものはないから、全てから解放されることはないけど、軽やかに羽ばたけることはできる。


ぼちぼちとゆっくり歩いて行こう。そのうち空を飛べるから。






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似たような考えの人を発見した時の安心感ってあると思います。人間的な苦しみをしている人って意外と探せば近くにいる。


傍観者の戯論





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