見出し画像

Twitterについて

Twitterの使い方は人それぞれだと思うが、恐らく多くは自分の心の中にパッと浮かんだことだったり気持ちを、なんとなくつぶやいているのではないだろうか。

それはそれで別にいいのだが、なんというか、こう、パッと思いついたことをいつでもぽいっと外に出せる環境って、これまであっただろうか。

私の地元(ど田舎)の友達は、ほとんどTwitterをしていない。なので、地元の友達とは主にLINEでやりとりをしている。

そうすると「これは是非とも伝えたい!」だったり「この人に言いたい」みたいな、伝えたい相手のことを想像して発信している感覚がある。

一方Twitterは、独り言のように「誰かが拾ってくれたらいいな」くらいの淡い期待を乗せて溢れでるようにTwitterに流している感覚がある。

そこに、少し寂しさを感じることがある。

誰とも言えない誰かに、届くとも言えない、届いて欲しいとも言えない想いをだらっと流す感じ。

話す相手がいない独居老人のような。。。

また、Twitterになんとなく疲れて、Twitterを見ることをやめた瞬間から、これまでTwitterで絡んでいた人たちと、交流するところがなくなり、「あの付き合いは、Twitterの中だけのことだったんだな」と思わされたり。

本当に会いたければ、Twitterをしなくても会いに行けばいいじゃないか。

そう思うこともあるだろうか、Twitterを離れた時、それでも会いたいと思う人が案外いないことも気づく。

Twitterをやめた時「そう言えばあの人最近見ないね」って、うっすら思ってもらうことはあるだろ。しかし、そこで別の方法を使ってでも連絡を取ろうとしてくれる人はどれくらいいるだろうか。

Twitterを毎日やっていて、お互いのことをよく知っているような気になっていたが、よくよく考えたら相手のことなど全然わかっていなかった、みたいな。

インターネットの世界というのは、本当に不思議である。

遠くの人とも繋がれる、繋がった気になれる。

もちろん、それで繋がれた人もいるだろう。リアルに友達になり、今でもリアルで交流があるほど、仲良い人脈ができた人もいるだろう。しかし、私はだが、インターネットに触れ出した時に比べると、今はあまりインターネットの世界が面白く無くなってきている。

インターネットがなかったころは、友達と学校だったりバイト先だったりで毎日リアルに会っているから、お互いが今どういう状況かがわかった。しかし、今はわかっているようでわかっていない。

例えば、私が何かイベントを企画したとして、Twitterで告知しなければどうやって同業の人に知ってもらうだろう。こんな時はTwitterにアップしたら知ってもらいやすいから便利だと思う。

しかし、今書いているこのnoteを、投稿したとして、Twitterにシェアしなかったら、多分いつもTwitterで絡んでいる人たちは、知ることもないのだろうなと思うと、Twitterの寂しさを感じてしまうのだ。

日々ラーメンを食べることができたらそれだけで幸せです。