見出し画像

私の青春【キャリコンサロン編集部】#22

週の真ん中のアウトプットであるnoteのネタ元の発掘を、今までの人生の中での出来事から洗い出すことに必死な奥山です。

今年入会したキャリコンサロンの中のひとつの活動であるキャリコンサロン編集部は、平均年齢は不明ですが、常に若々しい雰囲気を持つ集団です。

今週のテーマは私の青春ということですが、記憶を辿りネタを炙り出したとしても、それを公のメディアに書くことにかなりの抵抗を感じてしまいます。とは言いつつも、公共のメディアに書けるレベルに調整して参りましょう!


私の第1次青春期

青春と聞くと、学生時代のことが思い返されます。「これぞ青春!」と言えるかどうかは別として、青春っぽい思い出を掘り返すとこんなことがありました。

あれは高校に進学した直後の4月のとある日の朝、当時はバスで通っており、バス停から教室まで歩いて10分の距離でした。長いかどうかは別として、ワタクシが通っていた高校はとんでもなく大きく、男女共学の学部が2つと男女それぞれの学部が1つの計4学部でした。ワタクシの教室は女子のみの学部の校舎の前を通る必要がありますので、その日も歩いておりましたところ、後ろから「すいません」と声をかけられる。振り返ると、その女子のみの学部の女の子がおり、名前やら中学校やら、いろいろと質問される。

当時、見知らぬ女子から声をかけらること自体初めてだったので、ドギマギしながら答える→色々なところで声をかけられ手を振ってもらう。そんなささいなことでも、当時は嬉しかったですねー

そしてまた別の日の朝、自宅近くの駅で中学校のクラスメイトに声をかけられ、帰り時間を細かく聞かれる。するとどうでしょう、帰りに中学の同じクラスの方が待ち伏せしているではありませんか。わざわざ待っていてくれた様子で、しかもワタクシの自宅は駅から5分という立地のため、暗い夜道をその子の帰り道に合わせて遠回りして帰ったりと、そんなことが続きました。

何が言いたいかというと、高校に進学した途端に女子から声をかけてもらう頻度が急に増えたと、感じたことです。当時はそれだけでも嬉しかったですね〜

ま、今でも街に行けば声はかけられますけどね。

「オニーサン、マッサージ、ドウ?」

無視して通過♡


私の第2次青春期

こちらも高校生のときのお話ですが、実はワタクシ、高校3年間は空手道部に所属しておりまして、今ほど部活指導が優しくない時代でしたので、遊ぶ時間なんてほとんどありませんでした。夏休み等は合宿と称して9時〜17時まで、実働8時間と言わんばかりの練習量でした。むさいヤロー共と多くの時間を過ごしたことは今でも良く覚えています。

当時は学校行事への参加が心配になりつつも、部活に勤しんでおりました。高校イベントの花形といえば、文化祭でしょうかね。文化祭の日だって、短時間ですが、練習はありました。

文化祭といえば他の学校からもたくさんお越しになり、うまくいけば紹介リレーが起きるキッカケにもなります。クラスの出し物はそこそこ凝ったものでして、部活のお陰でその準備になかなか参加ができなかったこともあり、若干のアウェー感を持っていましたが、文化祭当日は一生懸命はっちゃけ・・・当番を頑張りました。

中学のときにも文化祭はありましたが、義務感を植え付けられた印象がありましたし、学校内(先生・生徒・保護者)と近隣住民の交流会的なイベントでしたので、高校の文化祭は大変魅力的なお祭りに感じました。他校の方と交流ができる、なんてすばらしいイベントなのかと。

そして文化祭が終わった後の後夜祭、、、日が暮れあたりは暗くなり、校庭ではキャンプファイヤーが始まりテンションが上がります。火を見るとテンションが上がるのは、今も変わりませんね!

次第にその辺で告白でもあったのか、カップルが誕生しています。それらを見て、楽しかったね〜と余韻に浸っているとアナウンスが入ります。

「明日から通常登校ですので、早めに帰りましょう」

一気に現実に引き戻される魔法が発動していました。


私の第3次青春期

大学生のときの居酒屋のアルバイトは、「青春を謳歌したな〜」と、今でも思います。

それまでのアルバイトは百貨店の精肉コーナーの裏方でしたので、お客さんと話すといったことはありませんでした。それなのに、居酒屋のアルバイトに変更したわけですが、最初はわけもわからず仕事もできないためにシフトにも入れず、アルバイトの収入はごくわずかでした。

居酒屋のバイトで仲良くなった2つ下のアベちゃんというフリーターと4つくらい上(だと思う)の車好きのノムさんと遊ぶことが増えました。
(ちなみに今は2人とも行方不明・・・)

とある日のバイト終了後、いつもの様にノムさんの車でご飯を食べに行ったときに、シフトに入れない悩みを話すとアベちゃんが「もっと●●したほうがいいよー」と教えてくれたことがありました。それを実行してからはシフトに入れる回数もどんどん増え、3ヶ月後にはアルバイトの中でも主力として見てもらえるようになりました。

その時の上司は女性で、彼氏との電話で休憩時間がすこーーーーし長くなっても、みんな笑って許しちゃう、そんな人当たりの良い方でした。ただ、半年後には寿退社してしまいお店の売り上げは次第に落ちてゆくことが手に取るようにわかりました。

売り上げが下がるお店に人件費をかけられないからか、アルバイトだけでお店を運営することになり、アベちゃんがその責任者に抜擢されました。
(フリーターで一番時間に融通がききますからね)

そうなったら、もう天下は我々のもの!

「火の始末だけは気をつけろよ!」というマネージャーのお言葉だけを守り、閉店後は呑んで騒げの大合唱!!

減価率なんて気にしない学生らしいノリ!フリーターの自由さ!

学生らしいかどうかは別として、友好費が急降下する遊びっぷり♡

「こんなステキなバイトが世の中にはあったのか?」という、真新しい世界を見続けるのも束の間、その1年後に閉店になりアルバイトを失うのであった♡


まとめ

「これぞ青春!」と感じるエピソードでしたが、公に書けないことを含めれば、まだまだありそうです。とは言いつつも、思い返せばその時その時をめいいっぱい楽しんでいたのかなと、いう印象です。

今回の「私の青春」というテーマですが、青春は青い春と書きます。青い春と書くと、これを思い出したのはワタクシだけではないはず!


お後がよろしいようで!


あと、ワタクシの会社でアンケートを募集しております。新規事業に向けてのものですので、なんとかご協力お願いします m(_ _)m


それではまた!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?