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降幡愛/Moonriseー本当のタイムスリップとトリップへの誘い

師走の足音が聞こえる季節を迎え、そろそろ年間ベストアルバムを決める時期に入ってきた。え?音楽狂は皆そんなことを考えるものである。

何が一番優れていたか?頭の中にある棚から、一枚一枚確認する。

それは、時代を象徴する一枚だろうか?違う。
それは、トレンドを抑えた最先端のサウンドを纏った一枚だろうか?違う。

僕は、今それを選び取る。

そして、僕に与えられた使命はただ一つ。
その魅力を伝えていくことである。

取り上げるのは、声優アーティスト:降幡愛のデビューミニアルバム『Moonrise』である。

とにかく聞いてほしい。

ネオンサインが輝く夜のハイウェイを行く。

月の明かりが、紫の照明に変わったら、ダンスを始めなくちゃいけない。そう、誰も踊ったことのないような、君だけのダンスを。
波打つ床に乗りながら、僕はただひとり、誘惑に吸い込まれるように、何度もこのアルバムを聞く。

時計が、時代が、カセットテープのように巻き戻っていく。
いや、ここに至るまでの歴史さえ、それは物語る。

何度も繰り返していく中で、行き着いたのはそんな感情だった。
間違いなく、本物に触れている感覚がそこにはある。

シティポップと声優アーティストの今

本物。あえてそう言いたい。何が本当か?嘘か?それは僕が、僕の尺度で僕の手を使って決める。それを、君自身の力で君も感じ取って欲しい。

世の中には、本物と偽物が存在する。
偽物は、本物に憧れて、○○風を詠う。メロンの味なんてしないメロンパンもその一種である。最も、メロンパンにはメロンパンの良さがあることは言うまでもないが。

そう言えば、J-POPという言葉も海外への憧れであったことを思い出す。

1988年、10月に開局したばかりの東京のFMラジオ局、J-WAVEが「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは「多文化的」「スタイリッシュ」な町六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった。しかし1988年の年の暮れ、同社の斎藤日出夫常務がレコード会社の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうと言う企画が発足する。レコード会社側も「洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーションアルバムを出す」などと言った目論見もあったという。
この際に「日本のポップス」をどう呼称するのかが検討された(斉藤によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないと言う)が、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティー・ポップス、タウン・ポップスなどが検討されたが、「ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字はJだ。そしてここは、J-WAVEだ」と言う意見が出され、Jの文字を用いることとされた。

上記の通り、日本の歌謡曲や昨今リバイバルを巻き起こすシティポップにはそういう面が強かった。

言うなれば、本場の音=本物を模倣することからものづくりは始まる。これは芸術においても、ありとあらゆる技術においても通説である。全く何物のパクリでもない生産物はこの世に存在しない。

そんなことを繰り返した先…それが、いつのまにか日本独自のガラパゴス音楽を形成し、海外からも注目されるようになった…と言う現代に至る流れは、大昔には想像できなかった事象であるが。

加えて、近年の声優アーティストシーンの発展は凄まじい。

御覧の通り、音楽情報を総合的に取り扱う媒体でも声優アーティストの特集が定期的に組まれている。

これは、アニソンや声優アーティストが、その他諸々の音楽と平等に取り扱われていることの証明でもある。

声優アーティスト。

水樹奈々に革命の旗を突きつけられ、ゆいかおりを愛し、水瀬いのりに運命的な衝突を果たし、様々な音を耳に流し込んできた。
ずっとずっと、飽きずにこの世界を謳歌している。

何故飽きないのか?
それは、言うまでもなく音楽として面白いからである。

声優という職を通すことでしか生まれない声の響き、演技に対して、優秀な作家達が数多の名曲を提供し、それを選りすぐりのプレイヤーが演奏していくのが基本になる。

また、バンドもアイドルもセルフプロデュースを行うことが当たり前になってきたが、声優アーティストシーンにおいてもほぼ同様の事象が起こっている。「何がやりたいか?」、「どうなりたいか?」、「何を伝えたいか?」を明確にし、運営側に伝える。その際、プロデューサーやスタッフとの連携、ファンへのアプローチがカギを握り、そこを含めて楽しむことができるコンテンツだと、僕は理解している。

故に、アイドル=操り人形ではないし、アイドル声優がグラビアのついでに音楽をやっている…などと考えることはやめてもらいたい。

以上は、優秀なリスナーなら既に理解してる前提ではあるが、今一度断っておきたい。勿論、本作もその前提はクリアしている。
が、少し様相は異なる。

ジャケットから見てみよう。すぐに簡単に気づくだろう。本作が濃厚な80'sムードを纏っていることが。
書き下ろされたそのイラストは、間違いなく、あの時代を描くことに成功している。おまけに、紫色のカバーが妖艶なムードを連れてくるから卑怯である。

そこには、たった1枚のジャケットが物語る“何か”が同居している。ましてや声優アーティストのデビュー作において、自身の顔面をジャケットに使わない…と言う選択は並大抵の覚悟ではないだろう。

つまり、本作は、聞く前から異様な“何か”を我々に示してみせている。始まる前の雰囲気作りから彼女達は仕掛けている。
絶頂の瞬間を、我々は容易に想像することができるのである。

再生を始める。

何よりまず、音に耳が引っ張られる。
ただ単に古臭いだけなら、開けた蓋を元に戻す可能性すらあるが、そんなムーブが起きる気配は一切ない。新しいか?と問われれば、当然違うが。

ただ、それはきっとメロン味ではなく、皮付きの瑞々しいメロンにかぶりつくような感覚に近かった。美味い。

ルックスや雰囲気だけの産物ではなく、しっかりとした手触り、匂い、食べ応えを持って、当時を本物として見せる。
ここで咀嚼するのは、何かを再現した偽物ではない。本物なのである。
これはとても希少価値の高い音だと理解することができる。

例えば、声優アーティストに限定した時、90年代的、00年代的(これはかなり曖昧な言葉ではあるが)な表現やリバイバルであれば、一部楽曲などから感じ取ることもできる。しかし、80年代となると話は違ってくる。一気にその数は減少する。

声優アーティスト以外にその視野を広げた場合にも、80年代付近だけを、しっかりとしたコンセプトを持ちながら、徹底して表現する若手アーティストは稀に思える。存在しないわけではない。
ただ、その多くから放たれる色、匂い、質感などは、どこか当時のレプリカを思わせるし、TVショーを連想させる大衆歌とは無縁のものも多い。

それらは、大抵の場合、極めて聞きやすく、オシャレにモダナイズされた仕上がりになる。最新の音楽である以上は、“懐かしい”エッセンスを織り交ぜながら、あくまで現代の産物として提示する必要がある為、致し方ない。
ましてや、そこを見誤れば、ただ単に「古臭い」と評価されてしまうし、セールスにも直結してしまう。その為、あまり直接的すぎる表現や音像は避けられる傾向にある。

故に、ここ数年巷で流れる“懐かしい”風味の音を聞いても、心を掴まれることは少なかった。

その点、本作が訴えかける音楽は、絶妙にちょうどいいツボを突いている。

一度話をまとめる。

・シティポップ再評価熱が高まっている
・声優アーティストが作り出す音楽の純度が上がり続けている
・なんちゃって80'sの量産が続いている

以上の話を踏まえて、改めて本作に向き合う。

作品を構成する要素

まず、リアルタイムにその響きを感じ、表現し、いきものがかりやポルノグラフィティなどの音楽に大きく関わることで、その名を轟かせた本間昭光がサウンドの指揮を取っていることを、見逃すわけにはいかない。

その音の再現度、当時のムード、匂い、手触りは並大抵のものとは一線を画す。ドラムひとつ取っても、非常に面白い響きが聞こえる。それぞれに参考文献がありながら、決してコピーにはならないように、確実に当時に接近していく。

そもそも、バンダイナムコアーツが音楽プロデューサー・本間昭光所属のbluesofaとタッグを組んで立ち上げた新レーベルPurple One Starの第1弾アーティストとして降幡愛はデビューしているわけで、そこには並々ならない情熱が注がれている。

上記のインタビュー、本人の曲解説は非常に詳しく、以降の文にも引用している。

降幡:今流行っているシティポップとは音の質が違うことは、強く言いたいです。


洗練されたその音を、インタビューで自信満々に語ったのは歌唱と作詞を勤めるその人:降幡愛である。

テレビアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』にて、生徒会長=黒澤ダイヤの妹:黒澤ルビィ役を務めた女性声優である。
前作『ラブライブ!』からの勢いをさらに加速させ、作中で奮闘するアイドルが、リアル世界においても紅白歌合戦出場を決めると言うミラクルを起こしたのは、記憶に新しい所である。

まあ僕には、その程度の前知識しかなかった。
しかし、何も知らなくても引き込まれてしまう世界がそこには存在した。

それは、どんな理性を以ってしても抗えない気持ちであった。

降幡:一昨年ぐらいの夏に、行きつけのお店で、岡村靖幸さんの楽曲が流れているのを聴いて、めちゃくちゃ衝撃を受けたことがきっかけです。そのときは今の曲なのか昔の曲なのかすらもわからなくて、携帯のアプリで調べたら、それが「イケナイコトカイ」という曲だということがわかって。そこから岡村さんの音楽がすごく好きになって、昔の楽曲とかも聴くようになり、派生して80年代の音楽を改めて意識して聴くようになりました。なので本格的に聴くようになってからは、まだ2年ぐらいではあるんですけど。

そんな彼女が描く物語に、岡村靖幸ファンの僕が、恋の感情を覚えるのは当然のことであった。

彼女は、大人に求められたわけでもなく、ごく自然に80年代を愛し、そこから溢れるインスピレーションで作詞を行う。それがいい。

数回、彼女のトークやラジオで話している内容を聞いたが、当時に対する知見も愛も、選曲も超マニアックすぎて、正直ついていけなかった記憶がある。

何より、彼女が紡ぐ言葉は、驚くほど濃厚に本間昭光の作り上げる音と混ざり合い、絶妙なグラデーションを描くことに成功している。

ところで、岡村靖幸と言えば、まさに80年代にデビューし、歌手活動を開始、その奇才っぷりで当時のスターに登り詰めた人物である。以降は紆余曲折するが、現代に至るまでその才能を発揮し続けている。それと同時に、古くはシティハンター、近年ではスペースダンディ、血界戦線などのアニソンタイアップを務め、サブカルチャーとの繋がりも非常に強い人物だと言えよう。

その岡村靖幸と同じく、現在進行形でアニメ文化を背負う降幡愛が、2020年における重要な一枚をリリースしたことに、奇跡、必然めいたものを感じるのは僕だけだろうか。

閑話休題。

「作詞は初めて」と語る彼女ではあるが、既に職人の域を感じさせる。

短い言葉で情景を映し、感情を匂わせていくような間接的表現が上手い。そうかと思えば、急に大胆に抱き寄せるような直接的な一面も見せ、非常に魅力的な言葉選びをする才能を持っている。

さらに参考文献を追加する。

本間:実際に80年代に音楽をやっていた連中が今の時代に改めて80'sを作るってあんまりないじゃないですか。だったら僕も含めて80年代に音楽をリアルタイムで作ってきた連中を集めて、2020年版の80'sをマジでやろうじゃないかと。当然、そこに今の降幡さんのセンスが加わることで、最新モードの80'sになるだろうし。

これ、まさにこれなのである。この音の正体を可能にしたのは。
以下、メンバー紹介。

guitar:林部直樹
saxophone:竹上良成
chorus:会原実希
※ライブでは以下の通り(コーラスは同じ)
Drums:江口信夫
Bass:根岸孝旨
Guitar:町田昌弘
Keyboards:nishi-ken

もちろん、優秀なプレイヤーを採用するのは常套手段であるから、特筆すべきではないかもしれない。しかし、そこをしっかり守ってくれたのは信頼に値する選択である。

特にライブで実際にベースを弾いていた根岸さんは、岡村靖幸ツアーへのサポート経験もあり、さすがに「そこまでやる!?」と驚かされた。
町田さんは中村一義のバンド100sのメンバー。まあプレイヤーに詳しいわけではないから、多くは語れないのだが。

つまり、本作は、降幡愛、本間昭光という二人の天才+優秀なプレイヤー及びスタッフの邂逅が奇跡的に実現した結果であると言うことができる。

そして、そのこだわりが“やりすぎ”レベルになっていくことは、アルバムを通していくことで明らかになっていく。
以下全曲解説に移る(お待たせしました?)。

※今回は、ゲストにフォロワーの【なめかたさん】をお呼びして、彼のツイート引用を交えながら進行する。彼の考察、指摘があまりに素晴らしく、本作を紐解く上で重要だと判断した。

楽曲解説

①CITY

たった数秒、音が鳴り出した間に、時計がめまぐるしく逆回転してしまう錯覚に陥る。

「今は本当に2020年だろうか?」

レベッカのフレンズを彷彿とさせるようなイントロから展開されるリード曲ではあるが、煌びやかでありながら、丸いフォルムで人懐っこい。それは、歌謡曲が持つ親近感そのものに違いなく、本作の音色が当時と遜色ないことを証明する。

続いて、耳は音に溺れたまま、その歌声を追いかけていく。

超人的に上手いわけではないが、心のフックにちゃんと引っ掛けてくれる印象を与える。低音がしっかりとした安定感を持つが、高音はほんの少し頼りなく、でもしっかり聞き取れる。声優さんの歌は聞きやすいのである。
まるで、その当時流行ったアイドルの歌声、少し背伸びしたようなあどけなさも残している。上手い。

また、彼女が選ぶ言葉のセンスが良いので、自然と歌詞カードに目が行く。ハイウェイサインと街の灯り、夜風、高速で変わる景色、珈琲と煙草の焦げた匂い、右肩に感じる貴方…
この気持ちは?それすら掴めない少女のダイアローグに想いを馳せていくと、もう次の曲に変わっている。

何が起きたかわからない。
「この気持ちは何?」と歌う少女と僕は同じ気持ちに至る。

ただ、言葉では説明できないほど、美しく煌めいていることは理解できる。

それが恋であることを、彼女も、僕もまだこの時は知らない。

②シンデレラタイム
ほんの少しの頼りなさを感じさせた少女のボーカルは、曲間の中で進化し、大人の階段を確実に登ったことを、歌詞を読ませる前に感じさせる。

最初に聞いた時「あっなんか最近のサカナクションがやってそうな雰囲気だな」と感じた。所謂『新宝島』以降、『忘れられないの』に通じるようなネオシティポップへの接近を見せてきたここ数年のサカナクションである…と言うのが自分の印象である。

昔懐かしいのではなく、この辺りは現代のトレンドをしっかり踏襲している。

経験したことのない階段を 貴方とかけあがる瞬間を
ルームライトを消してー
マイナスの距離を行き交う 愛し合う手段が増えただけで
若い二人は微笑み合う

歌詞は明らかにベッドタイムの描写であり、彼女が当時のテレビスターであり、お茶の間にこの曲が流れることを妄想すると、なんとも言えない気分になってしまう。「マイナスの距離」だなんて表現が出てくるあたり、素直に感心してしまう。

一応、今をときめく女性声優さんのデビューアルバム、その2曲目であることを踏まえれば異例も異例である。

基本的には、若ければ若いほどフレッシュさは許され、夢を語ることも求められる。だが、そんな曲は一切出てこない。
数多の女性声優を追ってきたが、こんな風に仕掛けられたのは初めての体験である。

これはね、ライブで降幡さん本人がカバーしているの見て、改めて納得した所。非常に様式美が似通ってる。

とは言え、ここまでは、あくまでモダナイズされた80年代“風”と言われても納得できる。問題は次なのである。

③Yの悲劇
イントロのギターリフから放たれる匂いを吸い込んだ瞬間に、笑いさえこみ上げてくる。古臭い。いや、笑ってる場合ではない。降幡愛はこれを大真面目にやっているのだから。

もはや70年代と表現した方が賢明かもしれない。「オサレシティポップやってます♪」では済まされない。売れると思って作ってないのがバレバレである。

降幡:このタイトルはスタッフさんとのお食事会で決まったもので、特に「Wの悲劇」を意識したわけではなくポンと出てきたんですけど、そのタイトルからイメージして歌詞を書いてきました。サウンドもすごくパンチがあって、70年代の歌謡曲っぽいところもあるし、サックスがバリバリ入っていて。自分の歌声とサックスソロが重なるところも素敵ですし、実際に楽器のRecも見学に行ったりして、レジェンドの方々の演奏に刺激をもらったうえでレコーディングをしたので、歌もイメージしやすかったです。

やはり想像するのは70年代。そうそう、このサックスがたまらんのです。

そして、前述の2曲とはまた違うボーカルワーク、少し尖った印象を魅せる。先日オンラインライブで披露された時は、その鋭さにシャウトやドスの効いた低音をプラスしており、さらに聞き応えがあった。色んな声が出るらしい。(声優アーティストを聴く醍醐味!)

また、元ネタは諸説確認しているが、上の通り本人も「特に意識してない」と公言しているので、スルーする。ただ、サーチを重ねて、行き着いたのはこんな動画である。

こちらは、1981年に発売されたホンダの小型自動車:シティターボのテレビCMである。CMソング『in the city』を歌うのはイギリスのバンド=マッドネス。うん。よく似ている。だんだん本間昭光が僕は怖くなってきた。

歌詞を見てみよう。

会社に届いた封筒に目を走らせる毎日
中身は “嫌がらせのパズル”

それは何?つまり彼と私がいるところを写真に撮ってパズルにして送りつける女ってこと?やばくない?当然ピースは足りないんですよね??そんな女いる?wwwいやあでも、この作品、作風なら納得できるからすごい。

もう、YADA・YADA・YADA・YADA
だから、YADA・YADA・YADA・YADA
P.S. 彼を渡さないわ

もっとやばいのは主人公の女である。何をされても彼を渡さないらしい。怖っ、なんやねんこの曲…声優アーティストデビューアルバム3曲目になんでおるん?おかしいやろ好き

ちなみに歌詞中のYADAは108回登場し、煩悩の数を表している。

④ラブソングをかけて
現代ではあまり取り上げられない(?)トロピカルポップスを下敷きにした楽曲。元ネタが一番わかりやすい曲でもある。

降幡:この曲は『うる星やつら』の「ラムのラブソング」をイメージして本間さんに作っていただいたんですけど、パンチのある大人っぽい曲が並んでいるなかに、こういう異質な可愛いらしい曲があるのもいいなと思いまして。(上記リスアニのインタビューより)

本作が素晴らしいのは、様々なテイストの楽曲が収録されている点であり、不気味な昼ドラを見た次のデザートに、この曲は最適に思える。声色もまた変えてきているから恐ろしいし、かわいらしい。まさに、昔懐かしいアニメのEDを聴くような安心感を得る。

フュージョンってのはかなり合点がいく。てかインスト盤出してほしい。

歌詞内容は失恋。甘いケーキとほろ苦いコーヒーのようなマリアージュを、降幡愛はあくまでポップに書き上げる。と思ってたら違うらしい。

降幡:最後のほうに“輝いてはずせない指輪”というフレーズがありますけど、もう結婚前提だった彼に振られた絶望感をちょこちょこ入れていて。音だけで聴くとラテン系の爽やかな楽曲なんですけど、歌詞を見ると「お星さまになるってどういうこと?」っていう、いろんな仕掛けがあるので、ぜひ歌詞にも注目してほしいです。

??お星さまになる?・・この謎は次の曲で明かされる。

⑤プールサイドカクテル

イントロを聴いた時、僕が思い出したのは90年代の名曲であった。

テンポを早めれば、かなり近いはず。作曲を務めた織田哲郎もまた、当時をリアルタイムで知り、表現してきた音楽家であるから、あながち間違いでもないだろう。

困ったので、元ネタの解説はフォロワー氏に頼もう。

いや、これサブスクで聞いた時…心の底からよく見つけてきたなあと感心した。しかもYMOや、その周辺までもが、彼女の庭だとすれば、今後の新曲もより一層楽しみになる。

キライになんてなれないわ
だってまだスキなんだから
知らなかったでしょ
本当に悲しいときは甘い涙が流れるの

失恋の後で忘れられない君を追い求め、彷徨う。トロピカルなアルコールを飲みながら歩く街並は、やがてプールサイドにたどり着く。「甘い涙」とはまた良い表現。本作の中で最も爽やかに夏を彩った楽曲。ではないらしい。

濡れた身体を乾いたタオルで拭う
酔って眠る彼はもう起きない
白く冷たい罪を感じる私

サウンドの輝きと歌詞内容が相反しすぎていて、初めて聴いた時は意味がわからなかったが、気づくとゾッとする。

降幡:それこそ最初に作った「CITY」は、自分のインスピレーションで歌詞を書いたんですけど、そこから本間さんに「もっと恋愛の情念やドロドロしたものを入れ込んでほしい」というお話をいただいたので、5曲目の「プールサイドカクテル」は“そばにいてほしい”とか“ついてゆくわ”とか、しつこい女の人をイメージできるような言葉をたくさん入れたりしました(笑)。この曲は(主人公が)無理心中するようなイメージで書いたので、最後もワーって昇天するような終わり方になっていて。なので今は歌詞を書いても自然とバッドエンドになってしまって、明るい曲が書けないのがちょっと悩みではあります(笑)。意識してそう書いていたぶん、それが染みついてしまったみたいで。

トリックが明かされていく。だとすれば、『ラブソングをかけて』の意味も変わっていく。

プールサイドの2つのカクテルみたいに
水の中で2つ並んでいたいのよー
Lonely Night swimming…
今までありがとう
私もついてゆくわ

死を選んでまで一緒に居たいと思える愛は、古くから伝わる風習で、現代思想にも強い影響を与えている。これに僕は賛同することはできないが、滅多に聞くことができないタイプの歌を聴いた感動と、音との対比の中では何故か美しく映る死に耳を奪われた。

ここまで、様々な題材を楽曲に取り扱う彼女を見てきたが、予想外のアプローチに開いた口が塞がらない。

やがて、夜の闇と共に消えていくそれを眺めながら、アルバムは進む。

⑥OUT OF BLUE
音、音がもう本当に、こういうバラード大好き…としか言いようがない。
ほら、昔のビーイング系のバラードで聞くような音?これが大好き。

これリンドラムっていうのか・・学びがある。似てる似てる。ホイットニーヒューストンね、これが入ってるアルバム聞いたけど震えあがるほど良かったので感謝。

ついにタイトルにまで岡村靖幸を仕込む、と言うかそのままの楽曲でアルバムは幕を下ろす。

雪の結晶のようなイントロが作り出す寒空と乾いた空気に、ドラムの音がよく響く。その雪の上に、初めての足跡を付けるのは、天使の羽のように優しいボーカルである。

ここまでの物語を振り返るように、どこか俯瞰した立ち位置から眺める主人公。あの頃には戻れず、最愛の人を思い出す。マフラーの音があなたを連れてくる。

あの時、ああしていたら?未来は?無駄な後悔を人は思うだろう。
それは、無意味だと人に言われても、降り積もる雪の下で僕らが抱きしめられるのは、暖かい思い出に過ぎない。愛しい人の身体ではない。

どうかこのまま、許されるなら

-fin-

総評、遡る時が僕にくれたもの

何度聞いても、聞き終えた後の満足感が凄まじく、とても24分程度のミニアルバムだとは思えない。濃厚なストーリーが頭から離れない。
1曲1曲の存在感、それを繋げていくテクニックも含めて、素晴らしいとしか言いようがない。こういう作品は何度でも聞ける。

出会えてよかった。

さて、長々と語ってきたわけだが話はまだ終わらない。僕はまだ、1番言いたいことを書いていないのである。本作の最も優れた点と、その感謝を。

それは、超名盤『moonrise』から辿る音楽の旅に出た時に、初めて意味がわかる。

最近、色んな古い音源を聴いている。それは、間違いなく、本作が僕に最高のきっかけをくれたからである。
そこから開け放たれた扉の先を、僕は今旅をしている。「シティポップ 名盤」で調べれば簡単に出てくる。中にはサブスクにないものもあるが、それをまたレンタルや購入するのも楽しみに思える。

ずっと気になってたジャンルであるからこそ、優しく背中を押してもらえたような気分で、僕は降幡さんにお礼が言いたくて仕方ない毎日を過ごしている。

全然関係ない話をするけど、僕の親父は、僕と同じくらいには音楽に狂ってる。彼から教えてもらったこともたくさんあるし、それが後の音楽人生を豊かにしてくれたこともある。特に彼が鼻息を荒くして語るのは、70年、80年代であった。サザンはすごいと何度聞かされたかわからない。

きっと年末に帰省した時は、僕もやっとあの頃の話ができる。そして降幡愛さんを紹介できたらいいなと思う。少しばかり古臭いと敬遠してきたその世界の話を、今なら聞けるし、話せる気がする。

きっと、何を語ったとしても、聴いたとしても、「80年代には素晴らしい音楽がたくさんあるんだから、今の音楽を聴く必要はないし、今になって80年代を再現することに意味なんてない」などと考える人もいるだろう。

意味はあると思う。僕のような人間に、古い音楽の良さを優しく教えてくれた。背中を押してくれた。そう言うサポートができる作品は、とてもとても大切である。古かろうが、新しかろうが、そうやって大切なことは語り継がれていくのである。

もはや、新しいとか古いって価値観すら関係ないのかもしれない。
僕は、この作品に出会って一皮剥けた気がする。

ここから、もっともっと自分が聴きたい音楽を見つけ出す旅を続ける。

時を遡って、旅を続ける。その先に未来を見据えよう。

改めて感謝を。

ありがとう降幡愛さん。

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