「個の時代」をとり間違えると・・・
私たちは孤島に1人で生きているわけではなくて、日々たくさんの人との交流の中で生きています。
嫌でも「他人」との関わりを無視しては生きていけません。
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私がこれまでの(人生)経験から学んだのは、
「人は誤解する(誤解される)ものなんだ」
ということです。
とても悲しいことだとは思いますが、真実だと思っています。
「え?・・・全然そんなつもりじゃないのに」
自分の意図を誤解されて、何度そんな風に思ったことか・・・。
こういうの、本当に理不尽ですよね。
そこで「なんでわかってくれないの?」とか「誰も私のことなんてわかってくれないんだ」と悲しんだり、怒ったりしても、そうやって生まれた誤解で何らかの「不利な状況・好ましくない状況」に陥るのは「自分」です。
誤解した周りは(たぶん)困ってません。
「なんか、もっと違う人だと思ってた」
「第一印象と違うね」
そんな風に言われたことも少なくないです。
多少のギャップなら、むしろ人間らしくて好感を生む場合もあるでしょう。(「しっかりしてるかと思ったら、意外とそそっかしいんだね(そこが可愛い!)」みたいな)
でも、必ずしも好意的にとってもらえるとは限りませんし・・・。
逆パターンで、すごく嫌な第一印象を持たれてしまって、後から「実はいい人だったんだね!」というのもあるかと思います。
でも、だったら最初から好印象の方が、何かとスムーズにいったんじゃないか思うので、これはこれでやっぱり納得がいきません。
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「自分で見た自分」と「他から見た自分」は必ずしも同じじゃない、というのは意外に多いと思っています。
誤解が誤解を産んで、人間関係が難しくなってしまうことも珍しくないです。
「自分」がとても生きづらくて、つらくなります。
「他人の目から見た自分」の姿を把握するのは、そういった誤解を防ぎ、良好な人間関係を築くために、大事なことだと思うのです。
「自分はこれでいいんだ!間違ってない」
「他人の目を気にして自分を作るのは間違っている」
そういう意見もあると思います。
私も(基本的に)賛成です。
でも、ちょっと待ってほしいんです。
「自分」が前に走りすぎると、それがどんなに正直で悪意のないものあっても、どんなに「正しい」とか「みんなのため」と思っても、周りから拒絶反応が出てしまうこと、ないですか?
そうなってしまったら、すごく残念だと思いませんか?
自分の信じるところを正直に生きるのはいいのですが、自分の思い込みで突っ走るのは、現実的にみて賢明とは言えない気がします。
私はこれを「高速道路の逆走行」と呼んでいます。
「自分は運転に自信があるし、ちゃんと走っている。なんでこんなにたくさんの車が逆走行してるんだ?! これじゃ危ないだろう!!(怒」
・・・と思ったら・・・
逆走してるのは、自分です・・・
たぶん・・・
いえ・・・間違いなく。
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人は社会の中で生きている以上、他人からどう思われているか、というのは無視できない要素だと思います。
もちろん、他人の目を気にしすぎて、自分に嘘をついてまで周囲に迎合するのはどうかと思いますが、他人の目は時に自分を映す鏡となってくれます。
「個の時代」という表現もありますが、それは「自我の時代」ではない、と思います。
お互いの「個」を尊重しあうのを忘れて、「自分はこれでいい。自分のやり方は間違ってない。周りはこのまま受け入れろ」というのは、傲慢な気がするのです。
20年以上の海外生活に終止符を打ち、2020年後半には日本へ帰国します。サポートは皆さんとお会いするときのお茶代として還元させていただきます。