「愛」とは?

Twitterでこんなのを見かけました。
「愛の定義は?」という質問です。

質問も、そしてそこに書かれたコメントも、とても興味深く読ませていただきました。どれも「なるほど」と思う内容で、共感もします。

それらを否定するとかではなく、このツイートに刺激されて

『愛』ってどんなもの?

というのを、改めて私も考えてみました。
定義というほど堅苦しい感じじゃなく「自分はどうよ?」みたいな感じで。

結論から言うと、

その人(もの)の前で、自我が消滅すること

私は、これになりました。

「無償の行為」を「愛」と呼ぶのは簡単ですが、「無償の行為をしている自分」に陶酔していたら、たぶんソレはなんか違いますよね。

周りから見れば、陶酔してるかどうか分からないことも多いだろうし、行為だけ見ればきっと「愛に溢れた人」かもしれません。
「愛」でも「恋」でも、なんなら「欲」でも、自分は本心を知ってるはず。
周りの目に映る自分を意識している時点で、それは違う気がします。

周りを意識しない、心から純粋な善意や愛情からの行為もあるでしょう。
「愛」と呼んでもおかしくないかもしれません。

でも、好きな対象、大事な対象に「…てあげる」みたいな感覚があれば「与える者」としての意識が残ってる気がするんです。
つまり、自我がまだ強く残ってるんじゃないか、と。

どんなに善意や愛情からだったとしても「…てあげる」というのが少しでも入っている時点で、私にはどうしても「それはちょっと上からじゃない?」という気がしてしまうのです。(人と状況で高さに違いはあるでしょうが…)

私個人の感想ですが、

自分の存在を完全に忘れて、その対象の益しか考えられない

というとき、それは「愛」じゃないかな?…思うのです。

もっと言えば、

「自分のことはどうでもいい」という表現や意識さえ、まだ自我が残っているように思えます。

自分(自我)が消滅した境地

に「愛」があるんじゃないかな…と。

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「愛」はほんとうに永遠のテーマですね。
とても、とても深いです。

こうしてTwitterを通して、改めて愛について考える機会に出会えたこと、とてもありがたいです。

20年以上の海外生活に終止符を打ち、2020年後半には日本へ帰国します。サポートは皆さんとお会いするときのお茶代として還元させていただきます。