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車椅子でお花見

昨日は子どもたち連れて、特急に乗って、両親に会いに行った。
すごくあったかくて、車窓からは桜や桃の花がいっぱい見えた。

高齢の両親は施設に入っていて、父は難病、母も病気や認知症をかかえ、なんとかかんとか日々生きている。ふたりを施設から運び出し、姉夫婦も来て一緒にひさしぶりに実家に集まって、ごはんやおやつを食べたり昔の写真を見ながら思い出話をして笑ったりして過ごした。

ポポコ(長女)やピピコ(次女)が小さかったころによく父母と散歩しに行った公園がある。車椅子に乗った父が「あそこまでみんなで行こうか」と言い出した。えっ!大丈夫かな!?徒歩10分くらいのところにあるけど、両親にとってはけっこう大変な道のり。姉が父の車椅子を押して、わたしとポポコで母の手をしっかり握って、一歩一歩あるいていった。公園は桜が見頃で、青空とのコントラストがすごく美しかった。子どもたちが野球をしたり親子連れがピクニックしたり犬が散歩していたりして、すごく穏やかな時間が流れていた。立派な望遠レンズのついたカメラをかかえているおじさんに何を撮っているのか聞いてみたら「池に来るかわせみを撮っているんだよ」と、撮った写真を見せてくれた。目の覚めるような青の、ものすごく綺麗な鳥だった。

ベンチにみんなで座って「あの桜はすごく色がきれいね」とか「チューリップかわいいね」とか話しながら、なんかすごく貴重な時間を過ごしているような気がした。父も母も、普段施設の中だけで過ごしていて、まさか公園で桜見が出来るとは思ってもみなかっただろう。帰りは行きの何倍も時間をかけて、ゆっくりゆっくり歩いた。時々立ち止まりながら。疲れてしまった母を励ましながら。

はーー、いい日だった、いい仕事した!って思った。いや別にただ子どもたち連れて両親に会いに行っただけなんだけど。姉も義兄も、ポポコもピピコもわたしも、父も母も、なんだかもうそこにいるだけで100点満点だった。それぞれが絶妙で素晴らしい働きをして、素晴らしい春の1日になった。夜遅く、山梨に帰ってきた。ヘトヘトだけど、やりきって良かった。

母はきっと昨日のことをすぐに、すっかり忘れてしまうだろう。でもきっと、一瞬だけでも楽しくて幸せな気持ちに包まれただろう。覚えられなくてもいいんだきっと。その一瞬、それがすべてだ。ポポコをわたしの姉の名で、ピピコのことをわたしの名で繰り返し呼んでいた母。過去と現在、あっちとこっち、現実と夢がすべて入り混じったような、不思議な1日だった。思い出すのはピンク色の春の風。わたしはこの日を、ずっとずっと忘れないような気がする。


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