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夢帰行8

退院

 それにしても、来週にも退院していいとはどういうことだ。
確かに痛みは和らいだ。
だが、入院してからというもの、毎日消化が良さそうで味の薄い食事を食べ、決められた薬を定期的に飲み、入院したての時は点滴を打っていたが、後はベッドで横になっていただけじゃないか。
入院するほどのことでもなかったのではないか。
それとも手に負えなくて帰されるのか。
本当は、治療の術がない末期癌なのだろうか。
明確に説明しない医者と、その医者から話を聞いて来たはずなのに仁志に説明しない姉の幸江に対して、猜疑心を持っていた。

「今日から退院の日までお前の部屋に泊まらせてもらうよ」
唐突に姉が言い出した。本気で来週の退院の日までこちらに居る気らしい。
まだ三日もあるというのに、例え母親同然の姉であっても一人住まいで、自分がいない間に部屋に入られるのは歓迎しない。
しかし、三日間ホテルに泊まらせるにはお金が掛かり過ぎる。
仁志は渋々承諾せざる得なかった。

 週が変わった。
その日、午前の検診の際に、医師から直接退院の許可が出た。
今すぐにでもこの病院を飛び出したいくらいだったが、午後にもう一度診察し、退院後の注意を受けるらしい。
姉はすでに分かっていたかのように、着替えも靴も準備をして来ていた。
着替える服の指示もしていないのに、普段仁志が着ている服を的確に選択して持ってきていた。
家を出て10年以上経つというのに、まるでずっと仁志の生活を覗いていたかのようだ。

 午後になり、外来の診察室へ呼ばれた。
薬の飲み方と、食事の制限などを指導された。
姉は横で一言も聞き逃すまいとメモまで取っていた。
相変わらず、奥歯にものが挟まった説明しかしない医者と、退院を祝う素振りも見せない看護婦。自分の知らない何かを知っていそうな姉。
仁志は誰一人信じていなかった。

四方にペコペコ頭を下げて回る姉を置いて、ひとり病院の玄関を出た。
途端に真夏の熱気に包まれた。
いつも一定の室温に保たれた病室とは違い、自然の中の真夏であった。
10日余も慣らされた室温との違いに、仁志の身体が驚いている。
しばらく停止していた仁志の身体の機能が働き出して、全身の汗腺から汗が噴水のように吹き出してきそうだった。

玄関の前で立ちすくむ仁志に追いついて、姉がやってきた。
「すぐに車で行くか」
「えっ今からすぐに?」と思ったが、口をつぐみ、大人しく姉に従った。

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