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夢帰行13

遙の病室1

「これでも良い方なのか」
清美が吐いた言葉を頭の中で繰り返した。
ただ寝ているだけの遙であるが、息苦しさが仁志にも伝わってくる。

咳が落ち着いた遙の側を離れ、清美が病室の外に出て来た。
「今日は咳もそれほど出ていないし、熱も少し下がってるの。先週あたりは30分も寝ていられなくてね。喘息みたいに激しくせき込んで、苦しくて泣きながら咳してたのよ」
横で聞いている姉は、遙の泣きながら咳き込む姿を想像し、ハンカチをマスク越しの口に充てて嗚咽を飲み込んでいる。
「そうか」
仁志は言葉が見つからず、意味のない返答をするだけだった。

「あなたはよくなったんでしょう。退院おめでとう」
青白く化粧気のない、やつれた顔に貧しい笑顔を浮かべて清美が言った。
仁志にはその言葉さえも耳に入らない様子で、愛想のない返事をした。

清美は細い眼を精一杯開いて仁志を見つめている。
何ケ月かぶりで見る元夫の姿を秘かに観察している。
やせ細った肩、手入れも不十分な髪と、目尻の皴が目立つほど艶のない肌。
着ている服は変わらなくても、今の仁志は、入院生活で生活感丸出しになった、ただの疲れた30男だった。
ふと自分を振り返る。
地味なグレーのスエットに、リップさえ塗らない化粧気のない素顔。寝不足と看病疲れで顔色さえ青白く、女の魅力は遠くに消え失せてしまった。

 あのキラキラした新婚生活から二年半。
どこか冷めていながら、求める所は一緒だったあの頃。
周りの人達から羨望の眼で見られることを望み、若く綺麗で格好良くいたいと努めてきたあの頃の面影は、今の二人には無かった。

言葉を失ったまま立ち尽くす仁志の横で姉の幸江が清美に話しかけた。
「清美さん大丈夫かえ?遙ちゃんも苦しいんだろうけど、ママさんまで倒れないようにしてや」
遙の現実の姿を前に言葉が続かず、ようやく慰めの言葉を吐くに止まった。
「ありがとうございます。私は大丈夫です。遙だって頑張っているんですもの、疲れていられないです。遙の希望は私だけですから・・・」
清美の心の叫びのようだった。

あの清美でも母親としてこれほど強くなれるものなのか。
自分と生活していた頃とは違う清美になっていた。

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