社会的男らしさについて

2020年 10月 21日

多分わたしはジェンダー的に急進的な考えをもっている方で「フェミニズムを叫ぶ前にマスキュリニズムを緩和してあげるべき」論を提唱してるので、いわゆる「社会的男らしさ」というものは求めない方だと思う。もちろん「動物的性差」はあるので、重たい荷物は男の人に持ってほしいと思っている。でも「男は一家の大黒柱で女は家で子育て」みたいな社会的圧力を押し付けるのはやりたくない。男性自身がそれを望んでやってるならいいけど、わたしの周りの男性の中でもできることなら専業主夫になりたいって人も少なくないから、それがあまり許されてない「社会的男らしさ」は気の毒だなあと思う。

しかしジェンダー急進派のわたしでも自分の中にあるこの凝り固まったジェンダー意識はなんなのってハッとしてしまうことがしばしばある。たとえば今の生活でも、私が働いてて旦那さんが主夫してること自体にたまにイラっとすることがある。私の選択で今の形にしたのに。この頃はもう慣れてきたのでイラつくことは少なくなってきたけど、最初のほうはそれを逆手に何か相手のことが癪に障ったら「じゃあ自分が稼げば」なんて言ったような、言ったような、言ったような。自分の都合で日本に引き連れてきたのに卑怯すぎる(笑)

一方で、取引先の未婚男性が「結婚したら奥さんには専業主婦になってもらいたい」なんて言ってるのを聞くとなんて心が広いんだと感心する。男が専業主婦、女が外で稼いでくるのも全然オッケーなんていいながら、当たり前に専業主婦を推奨してる男性たちみたいな100パー寛容の心では自分が受け止めてられてないことに気づかされる。ほんと、このジェンダー的思考はいつのまにどこからきて植え付けられてるんだろうって、不思議だ。

ただ、働きながら妊娠するとなると働くのも女、産むのも女で困る。男の人にも妊娠する権利が与えられるべきなのに。

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