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おれの2020年、色々あったな

これは誰かのためよりも、自分のために書くここ2年と2020年の記録。
2020年、多くの人にとって、大きく変わった1年だったと思う。
例にもれず自分もその一人だ。

世の中の状況、自分の置かれた状況、感情、誰かの状況。

色々が始まった頃から振り返ることにする。

2018年11月 ー カナダ留学を決めた

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誰もが言うけけど、時間はどんな状況でも進むもので、早いものであれから2年以上が経った。

2018年は中国出張が多い一年だった。
GW明けから始まり、1ヶ月中国行って、 1ヶ月日本で過ごすという繰り返しで2019年6月まで一年間過ごした。

そんな2018年11月、2回目の深セン出張。
ある人に出会った。4ヶ国語を話すファッションデザイナーだ。
拙い英語で何とか会話をする。
「お前は話せないんじゃない。話さないんだ。」と何度も言われた。

彼女は、大学卒業後、フランスに留学して4年間ファッションを学び、韓国でデザイナーをした後、中国に帰ってきたそう。

やりたいことをやりたいようにやってきた人生だった。挑戦し続けてる。
毎日、毎日、大変で辛いこともたくさんあった。
だけど、楽しくて仕方がない。

彼女は目を輝かせながらそう話してくれた。

そのとき自分に問いかけた。
「おい、おれ挑戦したことあるか?もう何もできないと思ってないか?」
何にも挑戦してきた記憶がない。
そのときに決めた。

そうだ、カナダに行こう。

帰国後、すぐに母、そして当時同棲していた彼女にカナダに行くと伝えた。

この件について詳しく知りたい方は会って話しましょう。
いろんな事があった。

2019年 ー 準備

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交際が終わった。同棲も終わった。

原村から下諏訪に引っ越した。
下諏訪はいい街だ。以前から好きだった。人の近くにいたかった。
だから、下諏訪にした。
マスヤゲストハウスに行ってみてほしい。

留学の準備を始めた。
中国出張が終わった頃、高専卒業から5年間勤めた会社を辞める旨を上司に伝えた。
何度も引き止められた。
けど、やりたいことがあって辞めるなら、止められねえなと笑ってた。
上司・同僚に恵まれた会社員生活だった。

準備の期間にウェブの勉強を始めた。
カナダでウェブ系のエンジニアとして働きたかったからだ。
ITバブルが起こっているバンクーバーの波に乗りたかった。

半年の学習を経て、クラウドソーシングで初めての仕事を受けた。
時給で換算したらひどいものだった。

2019年8月 ー カウチサーフィン

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このままの英語力では留学なんて無理だと感じていた。
そんな折、8月にカウチサーフィンというものを知った。
とりあえず登録して、家の写真を載せ、プロフィールを設定した。

すると、お盆休みに行きたいと連絡が来た。
英語でのやり取り。日本語が話せるようで安心した。

初めて来たのは東京に住む同い年の女性。アメリカと日本のハーフの子だった。
日本語を交えながら英語を教えてくれた。
3日間色んな場所を案内した。途中、メキシコ人の友だちもできた。

一人目が来てからはもうほぼひっきりなしに人が来た。
ほぼ毎日会社では日本語、帰宅してからは英語という生活が3ヶ月以上続いた。

おかげで日本にいながら英語はそれなりにできるようになった。

10月に来た彼は日本人だった。上の写真は彼だ。
2人でいるとき100%英語で会話をした。
彼は英語マニアだった。
音節、発音、アクセントなど多くのことを彼から学んだ。
彼のおかげで英語ができるようになったと言っても良いと思う。
近くに暮らしていたので週に一度は会って、英語のmeetupをやったりしていた。

カウチサーフィンであった様々なこと、詳しく知りたい方は直接会いにきて聞いてください。

準備期間のことはこのブログでかなり書いています。よかったら。
留学GEAR OneProject

2020年3月 ー 渡航直前のコロナウィルス

3/27フライトでモントリオールに行く予定だった。
最終出社の2日前、カナダがロックダウンされた。
渡航はできなくなった。

数ヶ月もすれば元通りだろう。みんなそう思っていた。
自分も例にもれずそう思っていた。

バンクーバーのITの専門学校には入学金を支払い、行く気でいた。
政策金融公庫からの借り入れもあった。

何も持っていない。すべて売るか、友人にもらっていただいた。

いつでも行けます。

1年以上助走をつけてきて、いざ飛ぶ瞬間に立ち止まることになった。
助走で付けたスピードがなくなり、停止した。
眼前には大きく暗く、深い穴があるように感じた。

2020年4月 ー 働かないと

仕事を辞めていて当然お金は入ってこない。ただ生活にはお金が必要だ。
副業でやっていたウェブ制作でなんとかお金を作ろうと営業活動をした。

老舗印刷会社からコーポレートサイトのリニューアルの案件をいただけた。

どうやら海外に行きたいという点で興味を持っていただけたようだった。
社長は本当に良くしてくれて、「海外行くなら安定したお金必要でしょう」と月々の契約までくれた。
いきなりメールを寄こしたまったく知らない26歳のロン毛ピアスに。

初めて案件を頂いた東京の制作会社の方とはずっとつながっていた。
カナダいけなくなっちゃいましたと言ったら、お仕事をいただけた。
心強いですと言ってくれた。
その方に育てられたと言っても過言ではないくらい、お世話になっている。
ありがとうございます。

2020年5月 ー 外出自粛

外出自粛が続く中、家で作業をする。

5年ぶりに実家で母と暮らす。
ご飯を作って母の帰りを待つ。母の作るご飯を2人で食べる。
海外に行くはずだった息子と機せず2人で暮らすのは母は少し嬉しかったのかもしれない。
自分も当然嬉しかった。実家大好き。

5年間離れて社会人をしていたからか、やはり考え方の相違を多くあった。
お互いにそれは感じていたので、そこであまり言い合ったりはしないようになった。
あなたはあなた、自分は自分。
多様性ってそういうことだと思う。

その頃、コロナ自粛に伴い、マッチングアプリのTinderがTinderパスポートという位置情報を好きな位置に設定できる機能を無料で提供していた。
そのせいか、海外の方とマッチングしまくり、英語力の維持はできていた。

いよいよ、カナダに行くのか行かないのか。
このままぼーっとゆるくウェブ制作をしながら生きていけるのか。
いつまでこの生活なんだ。そんなことばかり考えていた。

2020年6月 ー 京都

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外出自粛のムードが5月で終わった感じがあったのを覚えているだろうか。
GoToキャンペーンも始まった。
正直、家に閉じこもるのも限界だった。

5月の終わりから6月はもう外出る!と決めていた自分は定額で提携施設に泊まれるHafHに登録した。

どこに行こうか、西に行きたい。離島に行きたい。
そうだ、とりあえず京都に行こう。

とくに計画もせず、荷造りをして、夜行バスに乗り込んだ。
久しぶりの遠出。
まだ完全に自粛ムードが冷めきらない中で、ほぼ空席のバスで浮かれていた。
その直後、イヤホンを忘れたことに気づき、絶望した。

会社員を辞め、どこでも仕事ができる状態になって、初めての遠出だった。
出張以外で10日以上の旅行は初めてだった。

早朝5時に京都駅についた。早すぎた。
京都駅から歩いて、丸太町まで行った。大きな荷物を背負って。
朝の光が気持ちいいなんて清々しいものではなく、汗だくになりながら歩いた。

NINIROOMに泊まった。
他にゲストはおらず、自分だけだったため、個室を用意してくれた。
たくさんの出会いがあった。楽しかった。

久々に母以外と食べるご飯。
住み込みで働く彼との共同生活。
一緒にご飯を食べて、銭湯に行き、将来の話をした。

毎日、本当に良くしてもらって、楽しくて、延泊延泊で2週間いた。

あ、ここ住みたい。

元々京都は好きで出町柳の辺りが特に好きだった。
丸太町も知ってしまった。

教えてもらって店に行き、そこでまたおすすめを聞く、そしてまたその先で。

抹茶を飲んだり、寺社仏閣を巡ったりといった、いわゆる京都らしいことはとくにしていない。
人と過ごした。

京都にいるときなんとなくShopifyを始めた。
それが今のメインの仕事となっている。

2020年6月 ー 福岡

京都の後は福岡へ。初九州である。

福岡に着くなり、すぐに人に会った。
conemaというフリーランス向けのマッチングプラットホームで、連絡をくれた方だ。

福岡はなにせ飯がうまい、安い。
いろんな場所に連れて行ってくれた。

無料のコワーキングスペースがあったり、行政がIT誘致を積極的に行っている。

あ、ここ住みたい。(2回目)

ふらっと立ち寄った居酒屋、いや、店の前で呼び込んでいたお兄さんに釣られて入った居酒屋で友だちができた。

ノリの良さが異常だった。いや、自分も例にもれず。

一度、福岡を後にした。また戻ってくるのだが、最高だった。

2020年6月 ー 五島列島 福江島

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福岡の次は決めていた離島だ。

福岡から深夜発のフェリーに乗り込む。
フェリーは初めてだった。思いの外、乗客がいた。
はしゃぎながら夜の海を眺めたりした。

ひとり旅には慣れている。
一人の楽しみ方をしっているのだ。

朝、福江島に到着した。
歩いてすぐのところにあるHafH直営のThe Pierに泊まった。

あいにくの曇り。天気予報を確認した。曇、曇、雨、曇、、、

離島に来たけど、室内で作業する。
まあ、OKだ。問題ない。

3日目、曇天の中、歩いた。海まで歩いた。50分ほど歩いた場所に海水浴場がある。
着いたが曇天。まあでも海はきれいだった。
そこには他に人はいない。カニを追い掛けたりして遊んだ。

帰ろう。と思った瞬間、突如晴れ間が差した。

それまで大きく覆いかぶさっていた雲は消えて、美しく水面がキラキラ光っていた。
涙が出た。理由はわからない。ただ、美しさだけではない。
もっと多くの感情がこぼれてしまってずっと泣いた。
涙を拭くこともせずひたすら泣いた。

陽が傾いてきて、辺りがオレンジ色になった頃、軽かった。
とても軽快に帰路についた。

ありがとう。

2020年6月 ー 五島列島 中通島

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福江島で残り2日。福江島から福岡に戻ろうと思っていた。

すると、一人のゲストが来た。
彼はスペイン人。コロナの影響で、日本に来て帰れず(帰らず)、旅をしていた。

彼は福江島の後に中通島に行くようだ。
なんだか楽しそうだったので一日遅れて着いていくことにした。

中通島に着き、宿までバスに乗る。
晴れ、晴れ、晴れ。最高の天気だった。
美しい。バスから見える景色が全て美しい。

510バックパッカーズぽれに泊まった。
宿に着くと、裏手がビーチになっていた。

昼食後、彼と合流した。
彼も昼食に行くと言うので、ビーチで遊んで待つことにした。

1キロ以上はあるビーチでひとり。完全に独り。
砂でお城を作っていた。
流石に遅い。2時間以上経っていた。

遠くから男女が歩いてくる。見覚えのある男性。
スペイン人の彼と見知らぬ女性だった。

Bumbleというマッチングアプリでさっき知り合ったらしいその女性は日本人。
中国上海でファッションデザイナーをしており、日本に来たら帰れなくなったそうだ。

3人で遊んだ。
大人3人でいろんな話をしながら砂のお城をもっと大きくした。

翌日は車をレンタルし、3人で島を回った。

また絶対に会おう。

福岡に戻るとスペインの彼も後から戻ってきて2人でクラブに行ったり、朝まで飲んだり、楽しく過ごした。

2020年7,8月 ー 日常に戻る

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旅は終わった。

7月に入り、気温が上がる。
その頃にはもうカナダには行かないと決めていた。
学校はキャンセルし、金融公庫にはお金を返した。

一ヶ月の旅が気持ちの変化を作ったのは間違いない。

日常に戻る。
新しい日常だ。会社には行っていない。外出も控えなければいけない。

旧友とBBQをした。
仕事を変えたいと2人に相談された。

やりたいことがあるなら辞めていいと思うよ。と助言したが、やりたいことがないんだと言われてしまった。
ただ、辞めてなにかやりたい情熱はある。

留学が予定通りにいかず惰性的にフリーランスになった自分はなにか言えるのだろうか。

ただ、ここ2年くらいで感じたことを話した。

なにかしたかったらとりあえず人にそれを伝えて、動き出せば、周りが勝手に動き出す。
だから本当に何か変えたいならとりあえず動け。

7,8年ぶりに高校時代、バンドをやっていた頃の友人に再会した。
歳は9個上である。
当時から何も変わらない見た目。

長野市に戻って来て間もない自分をいろんなコミュティに連れて行ってくれた。

その1つでBBQに行き、そこで知り合ったFPの方にお世話になっている。
考え方が近く、目標の設定の手助けをしていただいた。

2020年9,11月 ー 北海道

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9月

暑い。毎日、暑い。
ああ、北海道行けば涼しいんじゃないか。

宿泊先ではとくに何もなかった。
そういうときもある。

着いたのは夜8時。
何か食べたいと思い、ふらふらしていると狸小路の一番お尻側、6丁目までは明るいのに7丁目からアーケードの明かりが一気に暗い。
その7丁目の本当に一番最後にある雑居ビルの最上階の一番奥のレストランバーへ入る。

入るなり、「なんでこんな一番奥の変なところ来たんやコイツは」感が出てた。
始めはひとりで飲んでいた。

30分くらいしたところで、いきなりカウンターに座っていたお兄さんに言われた。
「お兄さんは男女どっちでも恋愛対象ですよね?」これ一言目。
「はい、そうですね!」

そこから仲良くなって、もう、次の日も行く。
店の人も含め閉店後、飲みに行く。そんな場所が初日にできた。

2日に1回以上のペースで行った。
常連さんがたくさん来る。仲良くなる。

到着して日付が変わって、自分の誕生日だった。
12時を過ぎてみんなに祝ってもらった。
まったく知らない人たちも祝ってくれた。
その瞬間から知らない人ではなくなった。

北海道にも居心地の良い場所ができた。

その頃に気づいたこと。
これは自分の長所だ。どこに行っても誰かと仲良くなれる。

帰ってからもその店ではたまに”なおき”の話しが出てくるらしい。
それがたまらなく嬉しかった。

このとき札幌で人生初のシーシャを体験した。
連れて行ってれくれる人がいた。

シーシャの良さを知った。
雰囲気、空間、カルチャー、好きだった。

11月

二回目の北海道はHOTEL KUMOIのモニター宿泊のために行った。

層雲峡のホテルをリブランディングし、オープンしたそこは札幌から電車とバスで4時間の山奥だった。

4泊5日、本当に良かった、楽しかった。
いままでにない宿泊体験だった。

そこでできた友人は全国から集った人たちだった。
1月にはまた何人かと会えそうだ。

言い方が正しいかはわからないけど、感度が高い人達しか来ない場所だった。
誰にでもわかるものではなく、ターゲットに刺さるものだった。

札幌に戻る。
とりあえずいつもの店に行く。

シーシャ屋を開拓しようと調べて良さそうな場所に行ってみた。
正解だった。

いろんなことを教えてくれて、自分がシーシャ屋をやろうとしていた気持ちがここで固まった。

こんな空間が作りたい。

2020年8,10,12月 ー 金沢

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6月の旅の後は金沢へ行った。

HafHを利用して、Emblem Stay Kanazawa(現在はLINNAS Kanazawa)に宿泊した。

ここで出会う人は全員もれなく面白い。
どうしたらこんなに集まるんだろうか。

今年は3回、金沢に行った。
毎回、新しい出会いがあり、新鮮さもありながらホームの暖かさ。

これからLINNAS Kanazawaとなり、またさらに進化していく場所。

ここで話していると自分のやっていることの小ささや、考えの甘さがはっきりと見えてくる。
良い意味でたくさんの刺激をもらっている。

シーシャ屋を始めるきっかけのキーパーソンは間違いなく、LINNAS Design代表のあきさん。
「場づくり」がしたくなった。ありがとうございます。

金沢に行けば人がいる。楽しい。
そういう場所をもっと増やしていきたい。

先日行った際にみんなで話した。

2020年11,12月 ー 長野 Pise

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11月北海道から帰ってきて、すぐにPiseというゲストハウスを知った。
コロナで閉業していたが、オーナーが再開したのが11月中旬。

長野市に帰ってきてすぐに思っていた。
長野の若者は一体どこにいるんだ。大学が2つもあるのに彼らはどこにいるんだ。
若い人たちが集まる場所がないとずっと思っていた。

あった。Piseだ。あったのではなく、できた。

生きてきて初めてこんな大人になりたいと思えた人がオーナーのサンボさん。

すぐにサブスク会員になった。
コワーキングスペースとして使い、夜は集まってくる人たちと話す。

これは行ってみないことには伝わらないと思う。
もし、興味のある人は連絡ください。案内します。

日本人はもっとハグしたほうが良い。
長野を中心にハグのハードルを下げていこうということで、やたらハグする。
辛いことがあった、嬉しかった。すぐにハグする。

自分にとって長野が面白い場所になったのはPiseがあるから。

2020年、どんな1年だった

これまで1年を振り返ってみた。

色々あった。
カナダに行けず、目標を見失い、どうするか。
ぼーっとしながらもがいていた。

うっすらだけど今は見えてきた気がする。

生きていく上でもっとも大事にしているのは、
この瞬間に自分らしくあれ

自分らしいってなんだろう。軸はブレないようにいたい。

そのときにやりたいことをやれるのが最も自分らしいと思う。
幸せだと思う。


大抵のことはなんとかなる。なんとかするから。
2020年で最も感じことかもしれない。

でもひとりでは何もできない。
お世話になった方がたくさんいる。
本当にたくさんいる。

人に生かされている。
だから誰かを生かしていける人になりたい。

2021年、どんな1年にしたい

アメリカでは変異したウィルスが確認されたようだし、
コロナウィルスの危機はまだまだ続く。

2021年やることを簡単に書く。

・シーシャ屋で場作りをする
・商品を作って、オンラインストアで販売する

それ以外は2020年やってきたことを大きくすることに注力する。

正直、8月以降、生きれているからとりあえずいいやと、行動を起こすことが少なくなった。

2021年はもっと、さらに、挑戦の1年にしたい。
なぜやるのかが明確ならばそこに人は集まると思う。

最後に、
生きていく上で大事にしていることがもう一つある。

自分と関わって人間、全員幸せであれ

本気でそう思っている。

ただ、個人の幸せの基準はバラバラで、それを理解せずにエゴで動いてしまったこともたくさんある。反省だ。

みんなでハッピーに過ごそう。


何も得られない駄文だけど読んでくれた人がいるならば、嬉しい。
ありがとうございました。

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