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【不登園記録#1】3歳3ヶ月行きしぶり。登園拒否。

いつからだろう。朝がくるのが怖い。夜になると明日もまた朝が来るのかと胸が締め付けられる。

あぁこの感覚、新生児のときもあったな。夕日が嫌いになったんだっけ。毎日変わる真っ赤な空が、今からまた孤独な戦いが始まることを告げにくる。


◇ 3度目の春

彼は、0歳から保育園に通っている。当時はコロナ禍で先生はみんなマスクをしていた。

1歳児クラスに上がる春。厳密に言えば2月頃、担任の先生から「4月以降も0歳児クラスに在籍するようにしますね。」と言われた。ご飯の時にえずくことが心配で先生の配置が少ないクラスに上げられないとのことだった。

バタバタしていた朝。はーい!宜しくお願いします!と明るく答えて何も質問をせず、すぐに園を後にした。育休復帰して2ヶ月。やっと慣らし保育も終わり仕事が楽しくて仕方なかった。

というより、自由に自分の意志で動ける。やりたいことを遂行できるのがこんなにも気持ちの良いものだったのか。と身ひとつの感覚を噛み締めていた。

夜になり夫が帰ってきて、話した。「0歳児クラスに留年だってよ〜。」と、"0歳児"と"留年"という言葉が相性が悪くて可愛らしくて、茶化して伝えて話はすぐに終わった。

2度目の春、先生たちの顔からマスクが消えた。この先生はこんな口だったんだぁ。と、どの先生もよく笑うから口元をつい見てしまう。
大学時代に歯科助手のバイトをしていた頃からの悪い癖だ。

2歳クラスに上がる3ヶ月前。ぎりぎり同学年の子と合流できた。だいぶ保育園に慣れてきた頃だった。

新しい担任の先生は、私がずっとこの先生は素敵だなぁと朝の送り出しの対応を見て思っていた先生だった。

「担任になります〇〇です。」と自己紹介された時に、胸の中でガッツポーズをした。「よろしくお願いします」

その先生に私はとても信頼をおいた。かっぷくがよく、笑うと目がちっちゃくなる先生。絵本にでてくるお母さんのようだ。話していると安心感と共に元気が湧いてくる。

彼はというと、三輪車で小さな丘を滑り降りる遊びに夢中になっていた。

3月頃からは、来年度から年少クラスに上がるための練習が始まった。

リュックに自分たちで荷物をいれる。お兄さんお姉さんクラスでお昼ご飯を食べたり、お昼寝をしはじめた。

「朝も自分で靴を履いてリュックを背負って登園してきてくださいね〜。もうすぐお兄さんクラスですね。」と先生は目を小さくしてにこやかに言う。

どうか来年度も先生が持ち上がりますように。と心の中で唱えながら、はい!と返事をした。


3月も末に近づくと、小さい子たちに三輪車を譲ろうね。と言われ、彼はそれで遊べなくなっていた。

朝の登園では私の声かけが始まる。
「もうすぐ、お兄さんクラスになるんだよ。歩いていけたらかっこいいねー。」と、新しく買った靴がまだ馴染まない足を地面につけようとする。
ギューと私の体にしがみついて1mmも地面に近づけない。

その横を、元気に同じクラスの親子が手を繋いで1組、2組と通り過ぎていく。

保育園で元気がない。担任の先生は彼に三輪車を特別に使っても良いと言ってくれた。

この頃からか、私は毎朝歯磨きで嗚咽するようになった。二人目を考えてしばらく経っていたので「ついに?」と思ったが、真っ赤なアイツが期待を裏切る為にやってくる。


4月。門には園庭から集められた草花が優雅に散りばめられた【入園式】と書かれた縦看板が出た。

彼は0歳の12月に入園したので、入園式はやっていない。だからこの看板を見ると羨ましくなる。園を後にする時に、きれいに装飾された看板を1枚写真に撮った。

◇ 戦友たち

4月は玄関から一番近い0歳児クラスが大賑わいだ。春の名物詩のようなもの。慣らし保育中は、小さな体で全力で泣くのに、ひょいっと軽々先生の腕の中に収まってしまう子ども達が可愛くて仕方がない。

一方、親はしっかりと後ろ髪を引かれている。心のなかで「私達頑張っているわよね。ウィンク!」と、エールを送る気持ちの余裕がこの頃はまだあった。

4月も末になると、保育園はすっかり落ち着きを取り戻した。たまに数組廊下で格闘している親子も居たが、だんだんとそれもいなくなっていく。

我が子はまだ、抱っこで登園をしている。シクシク泣きながら。

玄関付近で、朝一番なのにテンションができあがっている他クラスの先生に「あれ〜?お兄さんなのにお靴は?リュックは?」と明るく声をかけられる。

「あら〜ほんとうだぁ〜」と明るく抱っこをしている我が子を見ながら私は返す。

園から帰宅すると、月に数回しか出社をしない在宅ワークの私はPCを開いてすぐに打刻をする。

朝の格闘で散らかった部屋には、泣き叫ぶ彼の声と腫れた目で行きたくないと必死に訴える姿が鮮明に残っている。

もって行き場のない気持ちが、一呼吸毎に胸を締め付ける。

既に1日分の気力と体力は80%ほど使い果たしていた。でも仕事では言い訳はしたくない。成果を出すために根性を燃やしながら1日、1日を働いた。

ひとまずは三連休まで頑張ろうと、長く長く感じた1週間を乗り切った。

◇ 裸登園

朝、毎日飲ませないといけない薬がある。喘息の粉薬と吸入ステロイド薬。

2歳からの日課だからもう本人も私も慣れている。でも、保育園は嫌だと癇癪が始まり飲ませられない日が続いた、朝ご飯も飲み物も拒否。

とうとう洋服も着てくれない。

諦めて、パシャマのまま保育園に連れて行き先生に着替えさせてもらう。
でもそのうち、保育園では着たくない!という。だから保育園の玄関で、毎朝着させるようになった。玄関に入る前に一口でもと思いパンを口の中に入れ込む。

「あの後も結構泣いてしまって、朝ご飯を吐いてしまいました。すみません」と感染対策のため、そのままの状態で汚物入れに収められた洋服がお迎え時には返ってくる。


月曜日になる。金曜日に持ち帰った昼寝布団やら上履きやら着替えを持っていかないといけない。荷物がとにかく多い。

保育園で着替えさせるのは大変だから、勢いで家でパジャマを脱がせた。そしたらもう着ないと泣き叫ぶ、泣き叫ぶ、暴れる。ああやってしまった。門が閉まる時間が近づいてくる。

大暴れして泣き叫ぶ彼の意思を100%無視して抱きかかえて車に乗せる。

裸のままだと皮膚がチャイルドシートに挟まって危ないと思いお尻の部分にタオルを巻いたが、そんなのは数秒で取れる。

裸の彼をお布団で隠しながら保育園に入る。泣き叫び続ける中、無心で真顔でどうにか着替えさせようとする。

そこへ、いつもクールでメイクがバッチリな美人ママが二人の子どもと登園してきた。

邪魔にならないように直ぐに端に寄る。

その方はいつものクールな表情で「お布団、運んでいきますね。」と私の返事も待たずにスッと持っていってくれた。

子どもにどうにか、パンツとTシャツを着せてクラスまで引きずった。朝起きてから一度も作っていなかったであろう笑顔で、先生の目を見て「いってきまーす!お願いします!」と。直ぐにその場を立ち去る。

まだ、園を出ていないのに目から涙が出ていた。急いでいるふりをして下を向いて小走りに玄関を目指した。

玄関を出るのを待たずしてボロボロ、ボロボロ涙が落ちた。目が真っ赤になっていることは見なくてもわかる。

もう登園時間はだいぶ過ぎていて、駐車場には誰もいない。泣きながら急いで家に帰った。


直ぐに冷凍庫を空けた。保冷剤を取り出し、目を冷やす。あと2分で週始めのチームミーティングが始まる。ギリギリまで冷やしながらPCをセッティングする。

何事もなかったように、15人くらいが映る画面におはようございます!と言う。このミーティングは人が多くてありがたい。

私の目がまだ赤いことはきっと誰にもバレていないだろう。


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