呟きもしなかった事たちへ_No.48(2023年5月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

アクスタの注意書きに「デザイン上、とがっている部分があります」とあり、どこかデザインが過激なのかと一瞬考えてしまった。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

末廣ラーメン

秋田と言えば末廣ラーメンであり、有名店なので高田馬場にも店がある。行った人間の記憶に残るのは醤油の濃さと歌だろう。食べたいな、食べたいな、末廣ラーメン♩歌にも味にも妙な中毒性がある。

とにかくガッツリ黒いラーメンと、同じく黒いと形容した方が正しそうなチャーハンは、繰り返すがどちらも醤油の味が濃い(のにうまい)という記憶しか残らない。こんなかわいい歌で食べるものではないし、卓上の無料のネギをドバドバ乗せてようやくバランスが取れるパンチの効いた味、というのが大抵の食べた人の印象だろう。

ところが、なんと末廣ラーメンには家庭用の「チャーハンの素」があり、今だと上野にある東日本物産ショップみたいなところで買える。果たして買って家で作ってみると、醤油の味の濃さ以上に鶏ガラの濃さに驚く事になった。チャーハンの素を作っている会社が出している比内地鶏ラーメンと同じだ。そうか、この出汁と旨味の濃さをベースにしているから、ガッツガツに醤油を利かせられるのか。そりゃ美味いわ。それが秋田の味なんだな。いい風土だ。

高田馬場で末廣ラーメンに行く時は、大抵馬鹿ほど酔っぱらった時なので、こんな当たり前のことにも気づいていなかった。味の事を語るのは難しい。

リュックサック

当社でも…うわ、会社員だという事を特に前面に出していないくせに会社の話をする時に急に当社とか弊社とか言い出したぞ!やっつけろ野地をやっつけろ!こんな奴は生かしておくな!やれー!

…さておき。

当社でも(以下繰り返しだが略す)自宅に持ち帰れるノートPCが配られ、その代わり個人PCでは会社のインフラにアクセスできなくなるらしい(2019年以降になんとなく在宅環境が導入されていたものが、それがちゃんとしたものになるという話なので、それはそれでよい)。そうなると手で持つタイプのビジネスバッグだといよいよ面倒になろうという事なので、将来を見据え自然と通勤退勤中の電車では背負うタイプのカバンを持つ人をチェックする事になる。

見ていると、いわゆる「3Way」などと銘打って手で持てるようにもなっている、その代わり妙に角ばったカバン達は、なんだかんだ言ってスーツに合っていないように思う。スーツは、体にsuiteするという意味でも、思ったより柔らかいラインを出している(ので角ばったカバンが似合わない)という事なのだろう。バブル期の肩パッドが入った勇者王シリーズみたいなスーツだと、肩掛けショルダー携帯とかも似合っていたかもしれないが、現代のY体、A体に合う話ではないというのは少し考えればわかりそうなものだ…いや別に、そういうカバンを持っている人を考えが無いと言っている訳ではない(3wayの名の通り、ちゃんと決めなきゃいけない時には手で持てばいいだけの話だ)。ただ、持っている手提げを捨てるわけではないのであれば、3Wayを買う理由もない(つまり、シチュエーションに合わせてカバンを変えるべき)という気もする。散々言葉を選んだが、要はすげーダサいと思う。

女性がスプリングコートの上に背負っていて、実際フォルムもおかしくないようになっているカバンは、大体3wayカバンより少し丸みを帯びていて、なるほどやはりシルエットとしてはそうなのだろうと思う。ところが、これを超えていわゆる「リュックサック」を背負っているビジネスマン(notビジネスパーソン)も大体すげーダサい。

加減が難しい。

入水

NHKのニュースでで飛び込み選手の紹介をしていた時に、妙に小気味よくそして恐ろしいフレーズがあった。

この選手は、思い切りのいい落下と、正確な入水が持ち味です

聞いた瞬間、「え?自殺?」と思った。入水って、そういう時以外に使うのか?というところに引っ張られたのだと思う。

検証するに、着水じゃないのか?と思ったが、おそらくしぶきをあげずに飛び込む(水の中に入る)ので違うのだろう。しかし…だからと言って「入水」か…?そしてそこに呼応させるように「思い切りのいい落下」でいいのか?「浸水」…これは水が浸入するので、水に侵入する訳ではないし、「潜水」も違う。なんだろう、「入水」の代わりになる単語も見つからないのだけれど、「入水」が正しいとは思えない。

そもそも水泳の「飛び込み」というのもなんというか、おかしさもある。「アクロバットダイビング」とかに名前を変えた方がいい気もする。

「思い切りのいい落下と、正確な入水。周囲をうならせる飛び込みでした」は、うまい表現ではないが…何か太宰的なものを感じる。太宰はそういう意味では飛び込みは下手だったのだけれど。

包丁

安いながらも研ぎ育てていた包丁が、さすがに安物で10年以上使っていたからかついに壊れた。刃を抑えるグリップ部が駄目になり、根元へ負荷がかかるようになって、ついにパッキリ行った。まぁ仕方ないが、パッキリ行って刃が落ちた瞬間は本当に肝が冷えた。

実は知人からもらった良い包丁は前からあって、早々に切り替えてこっちを研ぎ育てていけばいいだけだったのに、何にこだわっていたのかは自分でも分からないし、新しい包丁はグリップと刃が一体のタイプだ。これから生活を向上させていこう。

肉と卵

すき焼きを嫁と食べに行った。良いすき焼きを食べた事が無かったからだし、それは良いすき焼きが怖かったからだ。

だって、おかしいだろう。良い肉に卵を絡めるとか。

そんな事が普通なら、良いステーキに目玉焼きを乗せてもいいはずだし、焼肉屋も卵黄をドンドン出すはずだ。そうではない…いい肉は塩と香辛料で良いだろう…というのが他の料理では言われてきている事だし、焼き鳥だって卵黄つくねは良くて1本だ。それが、和牛に、砂糖どっさりの甘いタレを絡ませて、卵にくぐらせる…どう考えても過剰だ。どういう事なんだ。しかも知ってるだろうか、良いすき焼きの肉は大きいのだ。どう考えてもやり過ぎだ。

そりゃぁ、良い寿司はちょっと意味分からないくらい旨味が凝縮されているし、良い天婦羅は油が香り食材が主張するように、料理には「足し算」がある。濃すぎたって足し算だっておかしくはない。理論的にはありえる…とはいえ、和牛に、砂糖醤油に、卵(それも多分ちょっと良くて濃い卵)は…ちょっとやりすぎではないか?

この疑問に終止符を打つために、割と良いすき焼き屋に行ってきた。酒は別に、食事だけで一人1万5千円。まぁ検証としては妥当なラインだろう。

結論として、すき焼きはとんでもなく美味しかった。だが、「濃い肉に卵を絡める」というのは、少し違う。すき焼きはいわば「脂は溶かす料理」だからだ。

1枚目の肉は、しっかりと脂が溶けるまで焼く。脂は肉からある程度落ち、鍋をテカテカにする。ここで白滝とねぎと豆腐が入る。脂を落とした(と言ってもまだ残っている)肉を一度卵でいただく。ここまで脂を落とすと濃すぎず、うまい。そしてその後、鍋の中の脂は白滝とねぎと豆腐に吸い込まれて行く。白滝なんて、もはや富士宮焼きそば(※油かすを入れる)に匹敵する濃さになるが、これが卵にちょうどいい。ネギも脂を吸ってくたくたになった頃に卵と絡めると、脂と砂糖と醤油とネギの香りを卵でいただく、いわゆる親子丼の最高の部分になる。ああ、これは確かに鍋料理だ。鍋の中で具材が味を吸って仕上がっていく。そしてサシの入った牛ではなく、脂身が赤身と分離している牛肉を使う理由も分かる。脂が混じった濃い肉に卵を足すのではなくて、肉から濃い脂を落とし、その脂を吸った赤身や香り野菜や白滝などのしっかりとした食材を、卵で食べ進めていくという事。ステーキを食べるのとは理屈が違うし、しゃぶしゃぶを食べるのとも違う。伝統ある高級料理なのだから当たり前なのだが、かなりよく練られた料理だ。

知れてよかった。もっと年をとってからでは難しかったかもしれない。

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4月はどうにも調子が上がらない…というより端的に言えば仕事がしんどくてかなりダウンしていた…ので慰みで新作を書いた。

基本的にはこのシリーズは「未来はいつか明るいものが来るよ」とは言うようにしている。現代の多くの仕事はクズだとしても、それでも、あるいは。だからこれは、生き残るための文章だ。呪詛を吐きながらも生きていくための希望だ。

GW明けに仕事が辛い方のために、シリーズでどうぞ。

ちなみに元気だとこういう怪文書を書く。


↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。