咲かない花

2005年9月、日本で三例目になる「IX運営組織を複数経由する形態」で、距離だけで言えば日本最長になる、MPLSでの動画配信をやりました。
沖縄の那覇から北海道の稚内までだったので「日本最長」を謳ったのですけれど、距離以上に「複数組織を経由した(インタードメイン)」MPLS接続網を自力でアレンジ・設営することには技術的にとても大きな意義をもたせたプロジェクトでした。

背景として、2002年11月に日本テレコム(現ソフトバンク)社が広域MPLS-IX「mplsASSOCIO」をサービスし始めていました。
これは、もちろん日本テレコム社内で企画・開発されサービス開始されたものと思いますけれども、その市場投入のプロセスにあっては、「次世代IX研究会 (distix)」の影響やその果たした役割は小さくなかったと思います。
distixはインテックゲノムアンドインフォマティクス社と三菱総研社が発起人となって2001年に発足した「組織間MPLS接続の研究・実証実験」を旨とする研究会で、日本テレコム社も私たちも参加していました。

後れること3年、2004年春、北海道に北海道地域ネットワーク協議会(NORTH)の私たちが中心となって広域MPLS-IX実験組織「boreo」をつくり、事業体発足を視野にその運営と運用技術について検討・修得する、いわば「助走」に入りったつもりでいました。
その「もっとも目立つ成果」が「日本最長インタードメインLSP」だったのです。

広い北海道では、「地域IX」という観点に立てばそれだけで「広域IX」にならざるを得ず、「機器があれば ”点” として成立する」東京のIXとはまったくことなる技術要素によって「回線網により "面" で存在する」IXが必要だと考えられたのです。
そのために「そもそもドメイン内を面で運営するため」に「実回線は複数の事業体のものを横断的に構成」しながら「IX運営は単一組織」となるような「重層的(いわば仮想的)」な構成になります。
いまやほぼ「点」であるデータセンター内でもそのような重層的でプログラマブルな構成は運用の柔軟性・機動性の要請からごく一般的になっています。というかむしろ主戦場なんだろうと思います。ですのでオペレータ/データセンターエンジニアや周辺エンジニアにとってはいまやありふれた技術だろうと思います。

このあと「赤れんがギガネット実証実験」のことも書こうと思っていますので、ここでは、那覇から稚内までドメインまたぎでLSPを張り動画伝送をやった、ということを書いておくにとどめて、それをいまわたしがどう考えているのかはそのときにでも書こうと思っています。

ひとつ書いておくのは、事業の芽にはならなかった、ということです。

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