自由と自立に考えを深めることって終わりのないことです

こちらの日記をお読みの方にはおわかりかと思いますが、私個人としても社の事業理念としても自立と自由を尊重しています。社会はひとりひとりの自由意志の集まりであって欲しいと願っていますしできるだけ多くのひとがそれで充実した暮らしを送って欲しいと思っています。
チーム(社の執行組織)もその考えで運営しています。そうしていると「自由と自立」はとてもナイーブだなぁと感じることが多いもので、自由には常に敏感に反応し先行するのですが自立は見過ごされることがままあります。

行動や振る舞いを選ぶ自由は「生まれながらに」具わっているというのが現代人権思想だと心得ますけれど、それはその自由な振る舞いがすべて受け入れられることを保証していないということも知らなければなりません。
要するに、「そう振る舞うのは自由だが、それがどう評価されるか、とは別な問題で、自由は保証されているのだからその振る舞いを低評価するのはけしからん」とするのは早計だということです。
まして「社」という組織では評価は評価するシステムが自立的に行っています。
自由に振る舞った方が「けしからん」と評価するならば、その評価を引き受け受け止める「覚悟」を持って評価しているのです。
自由についてお互いが相応の自覚を持っている、この相互信頼がなければ自由と自立は成り立たないな、と思います。

昨今、「社会人教育」という名のある種の「しつけ」を目にすることはほとんどなくなりました。家庭においてすら私たちが子供のころのような「しつけ」はあまり見かけないです。
挨拶がしっかりできない、詫びるべきところで詫びられない、返答をおろそかにする、そうしたことは「厳しく叱責」されたり「強要」されたりしない世の中になりました。その選択は「自由」だからですが、その振る舞いは必ず誰かの心象となって評価されています。それは個人としても、個人が帰属する法人組織としても。
社も私も自由と自立を尊重するものです。自立に伴う責任も見つめ、自らの行い、振る舞いを律していかねばと思います。

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