自浄作用と淘汰

先日、「職業観」という単語を持ち出しました。今日は、「会員限定記事」で恐縮ですが、以下の記事を引用して、そのことについてちょっと考えてみたいと思います。

若くて、ちょっとできる人は勘違いしやすいのかもしれませんが、個性をだすことと、会社の経営方針に従うことはまったく別のことです。むしろ、その勘違いを指摘して、個性など殺して、「会社のやり方を徹底しなさい」というアドバイスをした上司に出会えたのは素晴らしいことだと、僕は思います》

《というのも、「会社という枠組みの中では自分の個性が発揮できない」と、こぼしている人は、確実に失敗するんです。そして、そんな勘違いを正すことは、上司の務めのひとつだと信じています


ユニクロ柳井正がカチンときた「絶対に言ってはいけない言葉」カン違い社員への忠告が厳しすぎて涙目になる
小倉健一:イトモス研究所所長

「限定記事」のしかも限定部分を引用してしまうのは、引用元を明記していても問題があるかもしれません。その場合はのちのち該当部分を削除することもあるかもしれませんがご了承ください。
象徴的なところを引用しましたが、ほかにも印象的な発言が記されているので、会員登録などして読んでみると良いと思います。

ここでは「組織の中で"個性"は、その目的に由来して必然的に一定の制約を受けるもの」だということが述べられています。組織のカタチでことに当たるから、ということもありますし、なかでもとくに「株式会社」というものの「(法的)責任の所在」ということもあって、「企業(株式会社)組織の中での個性」というものが民主主義の基本的人権のように制限の緩いものではない、ということは、年長年少、感覚の古い/新しいという問題ではということは理解の及ぶところだと思いますし、わかってもらわなければならないところでしょう。
ちょっと話題が飛躍するかもしれませんが、「私にはできるんだ」ということと「それをシゴト(生業)にできること」には、かなりの隔たりがあるのです。

昨日書いた「選ばれるか選ばれないか」。諫める側も諫められる側も、こうしたことがわかっているか、わかるか否か、ということがその選考のひとつの要素ではあるだろうと思います。
求人難は、採用段階ではこうした基準を下げる方向に作用するとは思いますが、組織のうちを見てみると結局は淘汰されるように見えます。
また、そうした自浄作用が機能しない組織は組織ごと淘汰されてしまうのでしょう。
恐ろしいことです。

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