3日目、早くも「事件扱い」で確定した例の件

紛(まが)りなりにもIT・ICT業界の末席に名を連ねるものとしてこの週末に起こった「事件」について日記に書き留めておかないわけにはいかないでしょう。
まずは備忘録としていくつかのリンクを記しておきます。
すでにWikipediaに独立したタイトルができています。


いくつか論点を記しておきたいと思います。これは今日の段階では私自身のうちに何らかの意見を形作っているものではなくて、むしろそうするべき項目としてのメモです。
1.
これは今後もますます増えるであろうクラウドサービスへの依存の「懸念」のひとつだと考えられます。それはこの日記でも触れていて、私は「自律分散」を支持するものですが、これには「市場原理」が関与するものだと思っています。
この30年間「日本では」安さを求め、そのトレードオフとして甘受すべき「質の低下」を拒絶し続けてきました。供給側はそれに応え続けてきましたが「歪み」は目に見えないカタチで蓄積しています。いつか不可逆な変化をもたらすのではないかと危惧していますし、もうすでに起こっているかもしれません。
ともかく、この「本来・本質的にトレードオフであるもの」にあって「表面的には、質を維持したまま、安くする」ということで内包された「万が一のときの”問題の手に負えないほどの重大性”」、要するに「フェイルセーフやフォルトトレラントから経費を省く」ことで実現された「質と価格のバランス点の低廉化」、これに対しては誰がどのようなカタチで責任(負担)を負うべきなのか、一消費者としての立場としても重々考えなければならない課題だと思います。
2.
今回、CrowdStrikeやFalconという名称を初めて聞いたというひとがほとんどではないかと思います。IT・ICT業界にはそのような「知る人ぞ知る ”巨人”」が多く存在します。
”多く存在” する理由は、ITもICTも「技術の専門性が高い」ため「実際に行われている情報処理」や「伝送サービスの領域・境界」が「極、細分化され、複雑に重な」っている(となりの畑は何をやっているか、漠然とは知っているけれど、具体的には知らない。それこそ私がこの日記に先日も書いた「知っている、やればできるということとそれを生業にするということは”ぜんぜん違う”話」)から、そしてミルフィーユのように重なったその層ごとに「依存を深めている」から、でしょう。
さて、前項の「一消費者として」などと言っても、このような「業界構造」など知る由もないのです。なので「責任・負担の所在」「消費者としての正しい態度」などと言われても「知ったことか」という気持ちもあるでしょう。
「ブラックボックス」にしておく利点もあるでしょうが、業界はもう少々「市場の理解」を得るよう努力すべきかもしれないという気はします。
3.
このようなことを考えていると、三段目四段目くらいには「事業と労働」ということに思考が至るのですが、現代社会では事業は雇用にもレバレッジが効いているので必然的に「社会的存在」にならざるを得ません。「事業と労働」を考えることは「事業と社会」を考えることと隣接しているわけです。
前項、前々項を考えるとき、事業の「行くべき先」「あるべき姿」に考えを巡らせるのですが、社会が併せ持っている「消費者の一面、労働者の一面」の矛盾に事業はどう向き合うのか考えさせられます。

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