敬意の信頼を失わないように

一度身についてしまった癖、とくに悪癖というのは抜けにくいものなのでしょう。あるいは一を聞いて十を知る、というか李下に冠を正さずというか、ひとつ得た気づきからほかの行動にまで思いを巡らせて矯正する、ということがヒトはなかなかできないものです。

事業とその執行組織は成長するならば大きくなる必要があります。
それは「人数が増え」てほしいということです。人数を増やすためにはいくつかの要素があるのでしょうけれどもつまるところ組織(チーム)に「魅力」を積み増していく、ということだと考えています。
あれこれと一所懸命に魅力的な執行組織になるよう努力しているのですが、私個人も不完全ではありますし、あちこちで綻(ほころ)んでいてチームのすみずみまで徹底できていない…思い(理念)は通じていると思うのですが…。

私も「敬意を持たれていないな」と思う組織とはお付き合いが難しいなと思います。
取引先も職を求める人も、執行組織の一挙手一投足を評価しています。自分がその立場のときのことを思えば、すべてを評価しているわけではないにしても、どの行いが評価されるのか、それは評価する人それぞれですから、どの行動にも気をつけなければいけない。一方ですべての行動を都度都度適正かどうか考えることは難しいですから、どこか根っこの方で、「考え方」「理念」みたいなものを適正にしなければなりません。
こういったことは抽象論に終始するしかできないので、各自が自分のものにするしかないのでしょうね。(とはいえ、折に触れて抽象論、観念論を振り返るのは重要です)

敬意を向けてくれているなぁというのは、ある種の「信頼」です。そして信頼を失うのは一瞬です。
ヒトを見て対応を変える人、とくに敬意の払い方が変わってしまう人は組織を壊してしまいます。チームの魅力を著しく下げてしまう。
敬意を表す方法には考えを巡らせることができるのですが、何をすると相手が敬意を向けられていないと感じるのかということには意外と無頓着なんだなぁと、傍で見ていて思います。私自身も他山の石にしなければ。
「感謝の表明を忘れてしまう」
「否定の言葉から発言を始める」
「相手の話を最後まで聞かずに被せ気味に自分の話をする」
などなど
何をすると相手が敬意を向けられていないと感じるのか、「業務」ということを離れて社会を構成する一個人としてもとても大事なことなので、しっかりと身に付くと良いなぁと半世紀以上生きていても思うのです。

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