DXにまつわる、SNSの気づきのメモ

今日の日記のはじめに昨日の話題の続報として以下の報道を引いておきます。

これは、一応「裏面磁気の紙切符」の置き換えを謳っていますが、Felicaも競合だということは関係者はつとにご理解のことと思います。「本丸」から足下が危うい、ということでしょうか。

さて、今日の本題。私の中で核心としては「DX」に関わる話ですが、そこが伝わるように書けるかどうか。
棲息するSNSに「世代間ギャップ」があることはよく知られています。どうしてそういうことが起こるのでしょうか。ここには「ユーザー」がSNSに大別してふたつの「機能(便益)」を期待している、という理由があるように思います。
ひとつは「連絡ツール」、しかも主に「知人への」連絡ツールですね。ですから「知人台帳(昔でいうアドレス帳。年齢を感じさせます笑)」でもあります。
もうひとつは、その「知人台帳」に似ていますけれど「人名録」「人物名鑑」の役割です。先ほどの知人台帳と異なるのは面識がないなどそれほど近い関係ではない人物の「アイデンティティ」を閲覧することが可能だ、ということです。
そして、その名鑑・名簿に名と顔写真、日々の暮らしなど一定程度ひととなりが伺える情報を掲載することが「(ネット社会で”も”)ある程度信じて良い人物」と看做される、SNSにその信頼の提供を期待している、そういう側面があるようです。

「匿名・偽名でいられるSNS」がありますが、そこは「言論空間」であって「人名録」の機能は果たしません。
この「人名録」が以前からこの日記にも書いてきたようにDXの”D"、digitizeされた「付加価値の源泉」のうちもっともわかりやすいものです。
Old SchoolとしてのFacebook、若年層の標準SNSのInstagram、これらはいずれもMeta社のものでいずれのユーザーも(ですから中高年層も若年層も)ご存じの通り、これらふたつのSNSはIDを共通化することができますし、それは単にUI/UX上のことでMeta社自身はそれらが「同一人物」であることは把握できています。つまりかなりできのいい「人名録(台帳)」を持っている、むしろ「(世代間)分断されたユーザー」の方が不利益を被っている、と言っても良いのかもしれません。
さすが、Meta社はSNSの古参なだけに「付加価値の源泉になるDigital資産が何なのか」よく理解しているなぁと感心します。

そして。
FBがInstaに、さらに若年層の台帳基盤ではBeReal.が台頭しつつあると聞いています。
台帳は統一されている方が利便性が高いのは明らかなのに、Instaユーザー層はFB台帳への登録を嫌ってInstaを勃興させました。そしてそこでユーザー自身が「ネット空間と現実の間の、より強固な一貫性」を”空間のポリシー(利用慣習)”として確立しました。おそらくこれはInstaのメディア・システム・仕様特性から偶発的に生じたものですけれど、事業主体が社会的な効果・影響力を発見するにはあまりにもシンプルで明瞭な現象だったでしょう。BeReal.ではその特性が「意図的に」強化されている気がします。
この、「Digitizeされた名鑑」が「現実の、そのひと(Identity)のありよう」の近似性、どれだけ忠実に再現できるかということが「データが生む付加価値」のレバー比を大きくするのでしょう。
なるほどなぁ、と思います。

ところで。
個人的にはBeReal.の仕様が生み出す未来にはディストピアの霧が濃密に漂っている気がしています。
若年層の暮らしには「学校」という閉鎖空間が暮らしの大きな割合を占めていて、SNSとの距離の管理が非常に難しいことはわかります。
SNSの影響や、背景、力学の構造などを理解してそれぞれの暮らしで適切な距離をもてると良いのだろうけれど、とは思います。
あちら(事業者)側に思惑があれば、こちら(利用者)側にも都合ってもんがある。

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