それはいわゆる「ひとを呪わば…」というやつでは?

ここ数日、私のTLでも「"技術的には可能です" というのが伝わらない(笑)」という話が目立っていました。
「これが "技術的な側面以外では不可能" だとなんでわからんの?(笑)」という論調を含んでいる気がしてならないのですが、それはエンジニアの地位や価値を貶めることにしかならないからやめた方がいい。
この論法をふりかざすことにはふたつ危うさがある。
ひとつは、「不誠実さ」。「技術的なこと以外の評価はできない」ということを前提にほかの要素での実現性の可否については触れない、だから「可能です」と言ったのに、後出しでほかの要素を持ち出して「いや、予算や時間の条件が違うだろー(笑)」というのは「不誠実な論法」、技術論云々以前にひととひととが話をする上で、やれば信頼を失うやり方だと思う。
もうひとつは「逃げ」。前述の通り「エンジニアが自分の直接かかわる領域として、予算や時間にも制約があって事実上不可能だ」とわかっていて「不可能です」と伝えることから逃げている、のではないでしょうか。
これには多くの言葉を費やす必要はないと思いますが、誰しも「断る」のは怖いものでしょう。でも、そもそも自分のテリトリーのうちにある「不可能」性から逃げて「可能」と断じるのはエンジニアにあるまじき論理破綻なのに論理破綻よりも情緒を優先した「逃げ」からも「逃げている」。
そのようなひとがエンジニアとして評価されるでしょうかね…。

ソフトウェアエンジニアがよりよく生きられる社会になるよう、がんばっています。ソフトウェアエンジニアの働きがいのある、働きやすい会社を日々目指しています。そうなるよう社会から共感を多くもらえるような事業運営を心がけています。エンジニア当事者も振る舞いには気をつけましょう。「働きやすい」と矛盾するような窮屈さかもしれませんが、そこは一緒に考えていきましょう。

「技術的には可能です」の裏で本来言いたかったことの方を丁寧に話すべきではないですか。

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