「運用自動化」の尽きぬ心配ごと

先日の会合で見聞きしたことをちょっと記しておきます。

どこも苦労なさっているのは「VLANの管理」なんですね。とくに「削除」。不要になったものというのをどう定義するのか。新設を申請したひとが使い終わった後にご自身の責任で「削除」を申告してくれれば良いのですけれど。

また、技術担当者の会合ですと、結局、事務方・事務手続きをターゲットにその方面の担当者が自律的に処理が行えるよう、目的・意味論から操作を完結できるよう抽象化を進める試みを共有しているわけですが、どうも抽象化が高度化するとさらに解決不能な問題に直面することになりそうな気がしています。その「思いつき」のメモを。

高度に抽象化が達成できたとすると
「技術的理解から解放された事務担当」(1)
「抽象的な選択肢を技術的に翻訳"は"できる技官」(2)
「事務実態も技術もわからない"ポリシー(事業)責任者"」(3)
に分かれるでしょう。(2)の試みは既知の課題、またその類型に対しては、おそらく(1)のエイドにはなるだろうと思います。
問題はシステム化未実施の課題が現われたとき、通常それは(3)が解決すべき問題なのですが、(3)はなにせ現場の実態すなわち(1)的事情も、またそれを技術上の解法に転換した際の具体的な(2)的比較もできないので、おそらく「現場の良いように」と(1)に投げるでしょう。その後、(1)と(2)の間で「共有可能な、(2)のための選択肢」を作り出すことができるのか。日ごろから組織毎固有の事情を技術情報に「翻訳」する、という作業から遠ざかった(1)、また「与えられた要件」のソフトウェアへの翻訳には慣れても目的・意味論から抽象的な比較概念を作り出しそれを技術に構成し直すこと、また複数の技術構成を目的や意味論に抽象化する対話訓練をしていない(2)の間のコミュニケーションはいっそう難しくなる、ように思われました。

ちょっと荒っぽい論旨・仮説ですが、後で忘れないためなのでお赦しを。

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