働き手だけの社会

地域社会がいったん「従属的経済」あるいは「経済的従属(依存)者」になってしまうとそこから脱するのはなかなかたいへんだ、ということをこの日記にもたびたび、話題を変えて論じているなぁと振り返ってみると思います。
徐々にそうなっていったり(茹でガエル)生まれたときからそうでしかも外の世界を見たことがない(井の中の蛙。どちらもカエルなのはどうしたわけなのか…笑)と気づきがないので「脱する」という発想にならないかもしれません、だからまず「気づき」があれば、という意図で、今日は記しておきます。門外漢なのに観光業のことについて書いてしまいますが、他意はありません。むしろ観光業は当地でも重要な産業でその動向に影響を受けない産業はないだろうと考えるところです。なのでちょっと気になる。

観光業というとどういったイメージを思い浮かべますか。宿での心温まる対応、飲食店や小売店での店員さんとの楽しい対話、行き届いた清掃、旅先でのトラブルへの支援、…、だいたい「事業者側の従業員」が存在しているのではないでしょうか。
事業家としてこの風景を見ると「どこにレバーがかかるのか?」と考えます。
「ヒトの稼働」は”まったくスケーラブルではない”ので、直接労働を売り上げに転換している仕組みでの事業執行では規模の柔軟性も事業持続性もその確保が難しいはずなのです。「ソフトウェア開発」業がそうなので、身に染みてわかります。
なので、かつてイメージされていた「観光業」というのは「ハードウェア」ビジネスだったように思います。「開発」と題して施設・設備、インフラを整えて「そこ」で売上を立てていく。スケーラブルで、レバレッジが効くのは「ここ」です。
レバレッジの効く収益源やその収益そのものを地元経済に組み込まねばならない、のですが、むしろそこはどんどん地元から離れている、気がします。(地元の有名な観光企業が買収されたりシェアが下がっていたり)
レバーの利くところは域外の他者に依存し規模柔軟性のない労働力だけを提供している、という形態を「従属的経済」と称してみています。この日記ではこの構図をときどき「植民地」にもなぞらえていますが…。

「地元経済」が「従事者の内需」と「交流人口」に依存してしまうと、もう抜け出せません。「レバーの利く部分」を域内に確保し、レバレッジの効いた「収益」を地元経済に組み込めなければ、あとは悪循環になってしまう。先般のように「交流人口」に異変があると壊滅的な打撃を受けてしまう。
「請負だけをやっているソフトウェア開発業」が陥ってしまう”自転車操業”にも似ている気がして他人事とは思えません。

決して現在の、あるいは当地の観光業の様態について良否を云々するつもりではありません。当地でも重要な産業と承知しています。
観光ほど、はっきりと「そこ(地元)こそが資源」という産業も稀ではないかと思うのです。なればこそ「付加価値創造のメカニズム」への理解を深めて、適切なモデルを地元に構築して「富の源泉」を組み込み、好循環すなわち持続可能な経済構造を作るのが大事ではないかな、と思うのです。

んー、今日は私たちの業界の抱える「労働・技能転化型」の経済プロセスの課題を記しておきたかったのですけれど観光業を引き合いにしてしまって良くなかったかなぁ。
ですが、当地ではほんとうに観光関連産業の影響が大きい。日々の暮らしにオーバーツーリズムも影を落としてきている。そんな中、よいモデルの構築につながってくれればと思いますし、地域の経済人としてやれることは何か日々探求したいものだと考えています。

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