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PANK PONK magazine vol.15 お笑い不感症のディスコミュニケーション

困ったものだ。俺は「お笑い不感症」だ。「そんなの関係ねー」の人以来笑った記憶がない。
気づけばまわりはお笑いに溢れている。がわたしには関係のないことだ。
と断言出来る強い心があれば良いが、いつの間にやらこれだけお笑いが溢れ皆が皆お気に入りのお笑い芸人のひとりやふたり持っている世界においてこれだけ疎いと寂しい気持ちにもなる時がある。どんな人ともある程度共通の話題にもなって便利でもあろう。なんたって今の僕の知っている最新のギャグは「ダメよーダメダメ」なのだ。なんて骨体!ダメだこりゃ。

自分はまったく観ないので分からないのだが皆さんは「お笑い」見る時は「さあ、今から笑うぞー!」とテレビのスイッチをいれチャンネルを回すなりyoutubeなどでそういったものを検索するのであろうか?僕はまずそれが無理だ。「さあ、お笑い観るぞー!笑うぞー!!」という第一段階でハードルが上がってしまってまったく笑えない。5分後に自分が笑っているという予想された未来も気持ち悪く感じてしまう。
10代実家にいた頃はそれなりに「ダウンタウン」や「とんねるず」「うっちゃんなんちゃん」「ボキャブラ天国」などを観ていてそれなりに好きだと思っていたのだが上京してひとり暮らしになったらまるっきり観なくなった。観たいとも思わない。考えてみたらそれまでは弟が観てたから(僕は3人兄弟の長男)横で一緒に観ていただけであったのだ。ひとりになって初めて気づいた。ユリイカ!
この時にはじめて「欲望とは他人の欲望である」ということを認識したのである(嘘)

なので今でも飯屋やサウナで勝手にかかっている、などの状況だとわりと楽しく観てしまう。自分で「お笑い」スイッチ押さなくて良いからハードル上がらない。数年前実家に戻った時「M1グランプリ」を家族で観ていたら結構面白くて実家から戻って部屋に帰って続きが気になったのでテレビのスイッチを入れて最後まで観た。生中継だったので僕がソファでごろごろ観ている同じ瞬間にまさに人生が変わる人がいるのだということに妙に感動した。当然ながら僕がいないところでも世界が動いているんだ!!

昔、一緒に住んでいた友人がお金に困って所持しているDVDを売りに行こうとしてたのでその中からラーメンズのDVDをまとめて3本ほど購入したことがある。その友人はいわゆるサブカル趣味で当時彼はパソコン持ってなかったのでCDをレンタルしてきては僕のパソコンでCDを焼いていた。その頃僕はもうサブカル的な価値観にもうあまり魅力を感じなくなっていたのだが、パソコンに彼の好きな曲がたくさん入っていたのでたまに聴いてみてた中で唯一気に入ったのが菊地成孔だった、というどうでも良い脇道に逸れてしまったが、ラーメンズのコントをその時にまとめて観てみた。今のところそれがまとめてお笑い的なものに触れた最後の時だ。
全然笑えなかった。いや、面白くはあったのです。ただ話の流れとかに「なるほどなあ、ここからこうもっていくのね。ふむふむ。」みたいな分析的な見方をしてしまって、本来のお笑いの役割の「笑う」ということには全く効力を発揮しなかったのです。
「そんなの関係ねー」の小島よしおさんははじめて見た時に心の底から笑えて何度もYouTubeで繰り返し観てしまった。失礼ながら芸にまったく知性(というか僕の思考からはまったく導き出せない流れだった)を感じずに済んだのでいつもの分析癖が外れて素直に楽しめた。
プロフィールに早稲田大学卒業と、なっていますので知性的な方だとは思うのですが芸からは(僕にとっては良い意味で)まったく知性を感じれずそれが良かった。ハリウッド・ザ・コシショーさんにすら芸に知性を感じてしまう。

決して笑うのが嫌いな訳ではない。「お笑い芸人」や「お笑い番組」が苦手なだけだ。不思議なことだが感情がジャンルになっているのは「お笑い(コメディ)」だけであろう。「泣ける映画」みたいなものはあるが広告的にそうしているだけの部分もあり、よく行くTSUTAYAに泣ける映画の棚はない。あくまでドラマや恋愛のサブ属性として「泣ける」みたいなのが付いているだけだ。しかしコメディの棚はどこにでもあると思う。喜び番組、怒れる番組、悲しい番組というのが一大ジャンルとして築かれているのは、とんと聞いたことがない。結果としてそういう気持ちになるものがあるというだけだと思う。
コメディやギャグ漫画のレッテルが貼られていないものでさりげなく出てくるギャグの方が気負わずにみれるので好きだ。例えばよしながふみさんの「西洋洋菓子店」とかギャグに適度に品があるのに笑えて大好き(ストーリーも一級品!読んだことない人は是非読んでみてください!!)


でも僕も実生活では僕もジョークも言うしけっこう笑う方だと思いますよ。今まで書いたこと全部否定するようですが人生で一番影響受けてる漫画(というかアニメ版)は子供の頃に観た「おぼっちゃまくん」な気がするし(駄洒落大好き)。土曜日に学校から帰ってお昼ご飯食べながら毎週のように吉本新喜劇を観て育った。小学校のころの僕の鉄板ギャグは風呂上りにフルチンで弟のところに行って「ダビデ象!」とポーズを決める(筋トレ趣味の小学生だったのでムキムキだった)とかなり受けてた。

上京してびっくりしたのですが吉本新喜劇って全国放送だと思ってたので皆んな知ってるものだと思ってました。そのせいなのかどうか分かりませんが関東の人ってけっこう話にオチがなくて会話していて最初は「えっ?」ってなりました。これからどういう話になるのかなあ?と思いながら聴いていたらいきなり話がぶつっと終わるのでカルチャーギャップ。話って基本的にはオチをつけるものだと思って生きてきたので、オチがなければ無理やりでもつくる、なんなら嘘をついても良い。実際に起こったことがオチとしては少し弱いと思ったら話を次郎のように増し増しにするもの。オチがない話をするのって基本的に失礼に当たるんだと思って20年くらい生きてました。

目の前の友達が犬のうんこ踏んだり、頭に鳥のフンが落ちてくる方が、どんなに気の利いたお笑い芸人のギャグより笑える。最近あまり笑ってない気がするので誰かよろしく!!
※今思ったのですがもしかして「ギャグ」って死語??


何度観ても最高に笑えるニューオーダーのPV。大マジなのに突っ込みどころ満載。何この手元のドアップ!?しかもたどたどしい!最高!!ダサいのにかっこいい!「ダサかっこいい」じゃないよ、ダサい!かっこいい!ジョイ・ディヴィジョン→ニューオーダーに変わったら真逆みたいなバンドに変わったのも面白い。僕はニューオーダーの方が好きです。


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