見出し画像

写真のキャプションは必要か?

前置きとして、
キャプションがあることが正しいとか間違ってるとかではなく
自分としてこう考えるという記事になります。


キャプションとは?

"キャプション"とは記事の見出しや写真のタイトルや説明とググると出てきます。
たとえば作品の場合、展示したものに対してタイトルが付いていたり、説明がついていたり、
展示会であればお題があって、それに対する説明があったりと。

でもSNSでアップする場合や、グループ的な展示の場合はあったりなかったりと。

そこでキャプションってどうなの?という話になります。

キャプションがあることによる印象

キャプションがあることにより、その作品の印象が想像されると自分は考えいます。

例えば、りんごの写真があったとします。
これにキャプションがなかったとしても、大抵の人は
「りんごの写真だな」と考えます。
次にテーブルの上においたりんごの写真があったとします。
そうすると見る人によってはりんごの写真と考えたり、テーブルの写真と考えたりと考えが人それぞれとなります。
ここでタイトル(キャプション)に”りんご”とつければ、人はりんごを注視して、さらにテーブルに置かれていることで、りんごがどんな状態と考えると思います。

キャプションをつけることにより、その作品のどこを考えてほしいという、情報の操作ができると自分は考えます。
逆に制作者が意図的にキャプションを付けないことにより、作品に対して自由に考えてほしいということもできると思います。

キャプションは必要か?

さて、本題です。
ではキャプションが必要かどうかという話になります。

自分の場合、写真をアップするときは大抵はキャプションを付けます。
これは自分の今の力だと写真だけではまだここを見てもらいたい、こういうことを感じてもらいたいことが伝わらないと考えているからです。
ただ写真作品としてはあくまでメインは写真なので、キャプションはタイトルとして短めに付与します。
訴求力の補助として付与します。
(”訴求力”というワードはちょっと商売っ気がありますがあえて)

またあえて見えるものと明らかに違うキャプションを付けることによって見る人に考えさせるということもできると思います。

解釈は人それぞれですし、キャプションがあったとしても人によっては感じ方や捉え方は様々だと思います。

SNSという場でそこまでガッチリとしなくてもいいかもしれませんが、やはり「こう伝わってほしい」や「あえて考えてほしい」ということもあり、意図的にキャプションを付与します。

キャプションがあることによる弊害

逆にキャプションがあることによる弊害を考えます。

キャプションがあることにより、印象やイメージが固定されてしまい見た人の考え方が偏る可能性があります。
それが悪いということではなく、作品としてふんわりと感じてもらったりあえてどう思うのかを考えてほしい場合はなくてもいいかもしれません。

またキュレーションや審査をして貰う場合キャプション自体も評価対象になる場合もあります。
その時はやはりあまりにも写真と違うものを付与することにより、評価が下がるかもしれません。
さらに人によっては写真に写っているものと明らかに違うタイトルが付与されている場合、それは違うという反発や嫌悪(少し言葉の意味が強いかも)が出るかもです。

結局どっちなの(笑)?

その作品をどう見せたいかによって使い分けるのがいいのかと考えます。
写真や絵画、彫刻etcetc、目で見てもらって伝える作品であればどう感じてもらいたいかや伝わりたいかで使い分けるのがいいのかもです。
あとは必要か?にも書きましたが作品の訴求力の補助として使うのもありなのかなと。

作品展であれば、まとまりとしてまずは「こんな感じです」という入口になるかなと思います。

自分としてはやはりなるべくつける方かなと。
ただそれはその時撮って感じたことより、撮った写真をみて自分はこう思うやこう感じてほしいという後付となります。
わりと撮ってるときは色々と考えたり、それよりコミュニケーションを優先にしたいということもあるので。
(それでいいのかという話もありますがw)

後記

久々に文章だけの記事を書きました(笑)
最近色々と考えることがあり、まだまだ思っていることや伝えたいことがたくさんあります。

いつものことですが写真は撮っておしまい、見せておしまいではなく写真を通じてのコミュニケーションを行うものかなと自分は思っています。
写真の技術や、どんな機材で取るのかという点はあくまで撮る人の主観でありこだわりだとかなと。
そういう話もたまにはいいけどコミュニケーションを軸に写真を使って何ができるのかを考えていきたいです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?