犯罪者

 犯罪者と呼ばれる人の心理に興味がある。そのなかには、偶発的に犯罪を犯してしまった"一般人だった人"と、計画的に犯行に及んだ"犯罪者になった人"がいるのだろうと思う。毎日のように報道される犯罪の数々は、客観的な事実と第三者の声で構成されている。「おとなしい人だった」「まさかそんなことをするとは」ーー特に親しくもなさそうな人たちは、マイクを向けられるとそんなことを口々に話す。
 計画的な犯行であればある程、そこに至るまでには強い動機と長い助走が必要だろう。彼らがどんな孤独を味わいながら、人生に絶望して、何故それだけ強く人を憎み、罪と呼ばれる行動に及ぶのだろうか。ニュースを見て、同じように疑問に思う視聴者はいないのだろうか。

 彼らには、マイクに向かって自分の事情を語ってくれる、良き理解者などひとりもいないのである。学生時代の同級生や、たまに見かけるご近所さんくらいしか、彼との接点を報道者が見出せないこと自体が、その事実を物語っている。視る者は、無い情報からも情報を読み取らなければいけない。
 もちろん、孤独を犯行動機として許すことはできない。それでも、今はびこる罪の多くはきっと、孤立と、それによる視野の狭さから派生している。彼らに事情を語らせたら、もしかしたら自分勝手な解釈や、独りよがりな苦しみしか出てこないかもしれない。私たちが「そんなこと」と思ってしまうような取るに足らないことが、連日ニュースで取り上げられる犯罪の中核をなす「動機」となり得るのだ。彼らには「そんなこと」と思える視野の広さも、それを教えてくれる人も持ち合わせていないのだから。

 犯罪者を責めて、断罪するだけで終わってしまう限りは、根源的な犯罪の芽を摘み取ることはできない。犯行の動機が無くなるような政や教育を考えていかなければ、そのうちまた誰かが犯罪者になるだろう。その誰かは、きっとどこにだっているし、私でないとも限らない。画面の向こうのニュースの数々は、今の自分や周りの行動の副産物であることを忘れてはいけない。ただ、見方を変えれば、個人の行動ひとつで、減らせる犯罪だってあるはずなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?