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私が20代で結婚を前提としない人生を歩むことを決めた理由

私が独身で生きていこうと漠然と考えたのは中学校3年生の夏のことだった。

この人のために生きていこう、この人のためにもっと立派な人間になろう」と考えた私の思いを最悪な形で踏みにじられた私は、中学生最後の夏を壁の天井のシミを数えて過ごすこととなった。

人生を他人と比較して不幸だ幸せだといっても仕方ない。あくまで自分が今まで生きてきた中で最も生きた心地のしない時期は、あの中学3年生の夏であったとはっきりいうことができる。

この記事は私のような男性で恋愛経験に大きなトラウマを持つ人間がどのように生きるべきか参考にしてもらうために執筆したものであると同時に、もしかすると未来の私に必要なものであると考えたため執筆することとした。

まずは、私の最悪な恋愛経験について順を追って説明していこう。

私が初めて異性と付き合ったのは小学4年生のことだ。付き合った経緯に関しては割愛させてもらうが、当時は純粋な子供であり、非常に浮かれていたため仲の良い人や、家族に話してしまうくらいだった。

彼女も秘密主義にするタイプではなかったので、周りに話していたからいわゆるお互い様という状況だった。小学生での恋愛なんて子供の遊びだという人もいると思うが私は私なりにその瞬間に真剣だった。

想定外に周りに伝播してしまい、からかわれることもあったが、そんなことは気にせず彼女とは小学5年生まで交際が続いたところで事件が起こった。

彼女と私は1年間、仲良く交際を続けてこられたと思ったが、彼女が私に断りもなく1学年上の別の男に告白したという噂が耳に入ったのだ。浮気だと考えた私はすぐに彼女と二人きりのときに問い詰めた。

しかし、彼女は悪びれた様子もなく「〇〇ちゃん(私のあだ名)のことはまだ好きだし、〇〇先輩(告白した相手)のことも好きだよ」と解釈できるようなことをいったのだ。

私は呆れて物が言えなくなってしまった。私に悪いことをしたと思っててくれれば、一言でもごめんなさいと言ってくれれば、一時の気の迷いとして許せたかもしれない。

私の心は怒りで一杯だったが、悪びれていない相手に怒っても意味がないし関係を悪化させるだけだと思った。その後、私も彼女も気持ちが冷めたのか自然と会う機会が少なり、自然消滅的に交際関係が破棄された状況となった。

その間、1個上の先輩は彼女に気が合ったわけではないらしく、まだ付き合っていると思っている私に向かって「ちゃんと手綱握ってろよ」などと嫌味をいわれた。

なぜ初対面の私が年が一つ上であるだけの相手にそんなことをいわれなければならないのか今でも怒りを覚えている。

この交際がきっかけで独身を考えたわけではない。このときは、また次の機会があると信じていた。むしろ、辛いのはその後のことだった。

私の小学校は中学校からの持ち上がり制だったので、中学校にも彼女はいた。今思えば最悪なことに同じクラスだった。

もう付き合っているわけでもないので、少し話す程度であったが、それを壊して昔付き合っていたことを暴露したやつがいた。

終わった関係に対して、面白がってからかってくる馬鹿が群がってくる。交際しているときには何も思わなかったが、傷口に塩を塗られるくらいの苦痛だった

だが、その影響を受けていたのは私だけではなく彼女もそうだった。今思えば彼女もうんざりしていたのではないかと心中を察するところもある。

しかし、彼女は自然消滅的に別れた事実を捻じ曲げ、私が直接振ったと嘘をついたうえに、付き合っていたときのあだ名をやめて冷たく突き放すような態度を取るようになった。

すでに好意はないとはいえ、なぜ私がこのような態度を取られなければならないのか怒りが湧いてきた。

とはいえ、同時にこんな状況にしたのは自分たちが付き合っていることを誰にも言わなければこんなことにはならなかったと思うようになった

仮に誰にも言っていなければ、同じ結果になったとしてもお互いに二度と話さないような関係になることはなかっただろう。若さゆえに自分のやったことがどのような結果をもたらすのか分かってなかったゆえの失態だ。

相手に冷たい態度を取られても、半分は自分の失態であるにも関わらず相手の気持ちを察して辛い思いをさせてごめんと言えなかった自分はまだまだ子供だったのだと感じた。

次は交際していることは秘密にしよう。相手を選ぶなら学外の方がバレにくいだろう。そう考えていた私は中学2年生の冬に学外での活動で6歳年上の女性と出会うことになる。

今思えば犯罪になりかねない関係だったが、私が誰かに交際関係を明かすことを絶対に良しとしない経験を持っていたため、お互いを信頼できたのだと思った。

あの人に自分の恋愛経験を話すと「そうかぁ、辛い思いをしたね」と初めてこのことで私の味方になってくれる人がいたと思って感動したのを覚えている。

それからあの人とお互いに交際関係を秘密にすることを条件に交際が始まった。相手の方が年上で経済的に余裕があるので、本来は男の私がお金を出すべきなのだがいつも奢ってもらってしまっていた。

あの人と過ごしていく中で自分の前の傷が癒えていく実感もあった。何より楽しかったので、いつしか私は「はやくあの人に支えられるような力が欲しい」と思えるようになった。

これまで本気で勉強をしたことがなかったが、あの人のために勉強をするようになり、成績がみるみる伸びていった。周りの大人も褒めてくれたし、自分の自信にもつながったが、何よりあの人に褒めてもらえるのが嬉しかった。

そのとき「今は甘えてばかりだけど、いつか自分も〇〇を支えられるように努力するから待っててくれる?」と聞いて、あの人にいいよっていわれたときはこれまでの人生で一番嬉しかった瞬間かもしれない。

あの人との交際は楽しかった。まだ子供の自分には分からない色々なことを知っていた。一人暮らしをしている彼女の家に遊びにいったとき、初めて大人になるための経験をして人生が幸せで一杯だったのを覚えている。

これはきっと小学校高学年から今まで受けた痛みを我慢し続けたご褒美なんだとさえ思った。このままいけば上手くいくはずだって、あのときの私は無邪気にそう思っていた。

しかし、私のその思いは最悪の形で裏切られることになる。

突然、あの人が妊娠したという話が僕に伝わり、その直後からあの人との連絡が取れなくなった。せっかく手に入れた幸せが音を立てて崩れていくのが分かった。

心当たりのある行為はあったが避妊はしていた。もしそれでも何かの間違いでできたとして、なぜあの人は私との連絡を断絶しているのだろう。様々なことが頭を巡っているとき、その一報は私をどん底に突き落とした。

あの人のお腹の子供の父親は私ではなく、どこぞのチンピラ崩れのようなどうしようもない男で、私は交際を始めた時点で確実に2股以上かけられていたという事実だった。

ああ・・・全部嘘だったのだ。自分が感じていた幸せも、あの人が待ってくれるっていったのも全部嘘だった・・・次は失敗しないように秘密にしたのに、誰にも相談できない状況を作り出して、もう自分が何をしても恋愛で幸せになるのは無理なんだ・・・そう思った。

そこから、冒頭のシミを数えて終わった中学3年生の夏休みへとつながったわけだ

結局、あの人から連絡は返ってくることがなかったが、小学生時代の経験を思い出すと話にいっても無駄だと思った。

思わぬ形であの人の生活圏を通ったときに再開したこともあったが、あの人は出会った時よりも痩せこけていて、ろくな人生を歩んでいないことが分かった。幸せそうにしているなら文句の1つも言いたい気持ちはあったが、黙ってその場を後にした。

これが私の最悪な恋愛体験だ。その後は現在に至るまで誰とも恋愛関係になったことはない。正確にいえば今に至るまで誰とも恋愛関係になりたいとも思わなくなり、結婚願望も無くなってしまったのだ。

中学3年生から、私は独身で生きていくことをぼんやりと考え始めた。しかし、大人になればなるにつれて分かるのは結婚に対するデメリットだけだった。

大学への進学が当たり前になり、子供の養育費用だけが膨れ上がる。ただし、収入は増えないので世の中で人並みと呼ばれる生活を送るためには苦しい生活を余儀なくされることも多い。

その代償を「好きな人と自由に結婚できる」というやりがいだけに頼って、十分な支援のない世の中の仕組みには辟易した。恐らく今の結婚というシステムは本当にどうしようもなく好きな人がいない限りはしない方がいいと思った。

ただ、それが幸せな形だと思っているから、今の自分にはないものだからといって、今ある幸せに気づかず新しい幸せを求める。そして、こんなはずじゃなかったといって、離婚をする人や我慢をしながら生活をしている不幸な人が増えていくのだろう。

ろくに後先を考えずに地獄へと突き落とされる先人の話を聞かされながら、私は気づけば大人になった。ある意味で私は子供のうちに最悪な経験をしたのは幸運だったのかもしれないと思っている。

大人になってから私のような経験をすれば、お金の問題や、離婚調停、互いの両親、様々な人を巻き込んで周りまで不幸にしてしまう経験をしたかもしれない。精神的なダメージもより大きいものになっただろう。

結局、私のように恋愛で傷を負い、幸せになれない人間に結婚にメリットは1ミリもないと悟るようになった。

よく「結婚しないこと=老後を考えないこと」と言う人がいるが、私から言わせればそのような発言をしてしまう人ほど、よっぽど老後のことなど考えていない。

今は結婚をしていても3組に1組が離婚をする時代だ。もし、老後のことを真剣に考えるなら、離婚に対するリスクヘッジも必要だろう。離婚したと仮定して、子供達は父親と母親どちらにつくのだろう? 

基本的には一緒に過ごす時間が長くなりやすい母親の方だ。もし、老後の介護を期待して結婚をしたのであれば、介護してくれる妻も子供もいない状況で独身と変わりなく自分で何とかするしかなくなるわけだ。

このような考え方は少子化を加速させるという人もいるが、そもそも少子化は個人で解決できるような問題ではない。個人が幸せの追求のために結婚を無理に選択肢に入れるのは本末転倒だろう。

もし、少子化を食い止めたいのであれば、十分に時間とお金に余裕がある状態で誰もが育児に望める環境を作ることが先決だ。自分の権利の中でどのように生きようと他人に迷惑をかけていないなら指図されるいわれは何もない。

私はこれまで生きてきた知見から結婚へのメリットはないと判断し、他者から言われるであろう反論をすべて正論でねじ伏せられるほど、将来について考えたからである

実際に、結婚を前提としないライフプランを進むと決めたら、正社員として安定した収入を得て仕事をする必要がないことに気づいた。

個人事業主となりフリーでライターをしながら自分のやりたいことを全力で取り組みながら生きる方が楽しいし、何よりも自分らしい生き方ができている気がした。

周りは10代や20代はできるだけ可能性を広げて生きていく方がいいというかもしれない。10代はよほど強い気持ちでこれしかないと思えるものがない場合は大人の意見を聞く方が無難だろう。

しかし、何も考えずに可能性を広げる生き方は選択を先延ばしにする生き方に他ならない。その生き方を続ければ、最終的には自分で考えて何も選べない人間になるだけだ

20代も漠然と生きて、可能性を広げるという名目で選択を先延ばしにするよりも、もっと自分の人生に向き合った方が楽しい道が広がっているものだ。

もし、私と同じように過去にトラウマがある人やそもそも恋愛や結婚に興味がない人は、人生の選択肢から結婚を最初から外したうえで人生計画を考えると取れる選択肢が広いことに気づくかもしれない

以上が私が結婚を前提としない人生を歩むことを決めた理由だ。

もちろん、失恋をきっかけに「すべてを引きずって自分が自分であるために生きよう」と考えるのはあくまで私がたどり着いた結論だ。

ただ世の中でよくいわれる「失恋を乗り越えて新しい恋愛を始めよう」という誰にとっても耳障りの良い結論だけが正義ではないし、こういった選択肢もあるということも知ってもらいたい。

では、執筆した2つ目の理由だが、「もしかすると未来の私に必要なものであると考えたため執筆した」ことに関してだが、万が一私が老後にアルツハイマーなどを患ったときに抗うためだ。

私はトラウマを機に自分の人生への向き合い方を変え、独自の哲学や思想を持ったうえで人生を歩んできた。皮肉ではあるが、過去のトラウマという記憶は現在の私という人間を構成する大きな核である。

もし、この記憶を忘れてしまうことがあれば私は私ではなくなるだろう。自分が自分でなくなることほど恐ろしいものはないので、できる限り自分の考えていることを文章として残しておきたいと思っている

私が老人になっているころには人類はアルツハイマーを克服しているかもしれない。また、自分は発祥しないかもしれない。それは実際に老人になってみなければ分からない。

そして、私は独り身であるため、薬や自分の努力をすべて試したうえで抗えないなら、周りに迷惑をかける前に自分自身で人生に決着をつけることも最悪なケースではあるが考えなくてはならないだろう。

自殺の良し悪しに関しては議論するつもりはないが、私は自分で生きられるなら最後まで抗い続けたいと思っている。

ほとんど自分の経験や考えを羅列した自分用の記録だが、誰かの人生の役に立つことがあれば嬉しいので公開する。

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