ライブに「混ざる」楽しさ
私のような人間はどこに行っても存在が浮いてしまう。
故に帰属意識を感じたことがほとんどない。
そんな私がそのへんの人とうまくいくはずもないから、人間関係も選びに選び抜いている。
だが根底にあるのは好きに近づいて、好きに離れるという精神。
自由で孤独だ。
だから、帰属意識なんて持てないんだろうと自分でも思う。
しかし、そんな私でも、唯一他人と「混ざる」瞬間がある。
ライブだ。
フロアのエネルギーは何もかもを呑み込み、それすらもまた新たなエネルギーへと昇華する。
ボルテージの高いライブ空間は最高だ。
「個」だった自分の輪郭がもっと曖昧になっていくのと同時に、より鮮明な「個」としての感情体験も味わう、不思議な空間。
「共にいる」「共に分かち合う」が自然と発生する。
迸る生命のエネルギーに圧倒され、感動し、喜び、私という生命のエネルギーが放出される。
起こるのは循環。
人が体感する孤独というものがどれだけ「独りよがりな不器用」であるかを痛感してしまう。
生命のエネルギーを直に浴びると「寂しさ」「哀しさ」「生きづらさ」を悲観として見ることは、
あるがままを見ることからかけ離れていることに気付く。
そのままで良いとか悪いとかではなく、十分なんだなと思える。
足りないと思ってたものさえ、本当は足りていたという感覚。
それは、自分や他人になにかを言われるまでもなく、空間、大地、そういった無形のものから与えられる「受容」の感覚。
生身の素晴らしさは人の身体が存在する限り、きっと絶えない。
飽きるまで、いや、飽きても私はライブに足を運ぶのだろう。
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