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小学生のなつやすみのはなし。



小学生のころ、夏休みの宿題はためてためて前半を全力で過ごしていました。私には大好きなお兄ちゃんがいるので、夏休みに限らず休みの日はいつもお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達と遊ぶのが当たり前でした。夏休みを満喫するために朝早く起きてお母さんのいつもの朝ご飯を食べるんですが、お母さんはワンプレートで朝ご飯を作ってくれるのにはまっていたんです。ワンプレートにはレタスとミニトマトとソーセージと目玉焼きがあり、食パンはセルフでした。ちなみに私の家は超熟派でした。今は近所のお酒屋さんにパン屋さんが内設されて、おばあちゃんが切らさないように買ってくれていています。実家にいたときは分厚くてチーズがたっぷり詰まったもちもち食パンを毎朝もさもさ食べる贅沢を文字通り味わっていたわけです。
話がそれました。
それでワンプレートの朝ご飯をお兄ちゃんと競うように食べながら教育テレビをつけるんです。夏休みはいつもの番組がちょっと変わったりしてなんだかつまらないような気がしたのですぐテレビを消して、今では考えられませんが日焼け止めを付けずに外に飛び出していったんです。私は肌が弱いので日焼け止めを塗らないと大変に顔や肌が赤くなってしまうんですが、そんなことは後のことで、今飛び出して太陽を浴びながら友達の家に遊びに行きたい私にはもう全く関係ありません。靴紐なんかないバリバリのサンダルのかかとをつぶして足早に出かけるんです。おばあちゃんが自転車を横庭に用意してくれていたので、自転車に飛ぶように乗ってさあ冒険へと出かけます。といってもお兄ちゃんについて池公園の向こうにあるお兄ちゃんの友達の家に遊びに行くだけなんですが。

お兄ちゃんの友達は面白い人ばかりです。フィリピンと日本のハーフの子や双子、大きな畑の主の孫、それはもう典型的なオタクなどなど、幅広く取りそろえられています。ある時は双子とカブトムシ狩りに出かけ、ある時はハーフとテレビゲームやPSPにいそしんだり、当時は全くなじみのなかった海外のオンラインゲームを隣で見たり。同世代の女の子がどうやって遊んでいたのかわかりませんが、恐らく普通に女の子と過ごして居ては手に入らない経験をお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達はたくさんくれました。当時はDSライトでポケモンの通信対戦をしたり、デュエルマスターズで遊んだりするのが多かったです。それはもう一日中そうしていても飽きない集中力がありました。

ちなみにそんな彼らの影響あってか、私は立派なベイブレードプレイヤーとなり、爆丸プレイヤーとなりました。ペンギンの問題およびコロコロコミック愛読者でありました。スベッカム。

家の中で遊ぶときは薄暗い部屋の中でゲームをしていると、友達のお母さんやおばあちゃんがアイスをくれて、好きなアイスをめぐってまたゲームで対戦して、私が負けそうになったら手を抜いてくれて(これは最近気が付いたことです。)結局お気に入りのアイスは私のもので。少し溶けたアイスを大事に少しずつなめながら夕方が来なければいいのにと思いをはせるのです。

外で遊ぶ時もありました。私の実家の周りには派手なものは何もないけれど、公園や神社が充実していて、遊ぶところには困りませんでした。ある時は公園で隣町の敵(?)と喧嘩をしたことがあります。詳しい事情は女の子だったこともありあまり教えてもらえなかったのですが、どうやら隣町とはバチバチしていたようで。ちょうど隣町の夏祭りにお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達と一緒に行ったときにばったり遭遇してしまい、喧嘩になってしまいました。その喧嘩というのも大したことではないんですが、屋台で爆竹が売られていたのでそれらを使って威嚇されていたのを今でも覚えています。私を見て隣町の少年たちのリーダーに

「女の子は危ないから下がってな」

と言われたのも衝撃的で印象に残っています。何分女の子だからと容赦されることがあまりなかったものですから、そんなに直接的に女の子扱いされるとさすがに驚かざるを得ません。当時はあまりに驚いたのでお兄ちゃんの友達である双子の片割れに「ちょっとベビーカステラ買いに行ってくるね」と言ってその場を離れました。屋台と言ったらベビーカステラです。異論は認めます。余談ですが出身の新潟県にはポッポ焼きという黒糖蒸しケーキなるものがあり、家族で屋台があるところに行くときは必ずポッポ焼きを買っていました。30本入り1000円でおなか一杯食べられます。黄色い紙袋に緑の包装紙、そして白のビニール袋にソウルフードです。
話がそれました。
というわけで女の子である私は喧嘩の場を離れて大好きなベビーカステラを買いに行ったわけです。ベビーカステラには種類があり、ポケモンやキティちゃんやドラえもんがあります。私は生粋のポケモントレーナーでありましたから、それはもうポケトレとしてピカチュウを選ばないという選択肢はまずありません。高々と「ピカチュウ、500円で!」と言うのです。おじさんは決まっておまけしておくねと言ってくれます。あれはきっとみんなに言っているのでしょうが、私は目に見えて調子に乗ります。「私がかわいいからだな!」私はちょっと変な子でした。多分今もそうですが。そうしてサービストークから少し重いベビーカステラを抱いて喧嘩現場まで戻るのでした。喧嘩現場ではもう喧嘩は終了したのでしょうか、なんだかワイワイしているだけで先ほどのような緊張感はありません。あれれと思いながら、まあいいやと思うわけです。私は単純な子でした。ベビーカステラの香りが喧嘩上等な私の心をふわふわあまあまにしてくれたというわけです。そんな感じでちょっとキケンな隣町の夏祭りは貴重な経験となったわけです。

私の夏の思い出はまだまだあります。先ほど紹介したお兄ちゃんの友達に双子がいるのは覚えていらっしゃるでしょうか。現在はビットコインに片割れがはまってしまいちょっとキケンな子に成長してしまったのですが、当時はその片割れももう一人の片割れもすごくかわいい子でした。双子の家にお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達と遊びに行ったときに、私とお兄ちゃんと片割れのビットコインのほうと一緒にカブトムシを見ていたんです。そこまでカブトムシに苦手意識はなかったので普通に見ていたんですが、突然ビットコインの野郎がカブトムシをぶん回し始めました。それはもうハンターハンターの蟻編でフィンクスが披露したリッパーサイクロトロン並みに腕を回転させて解き放ったわけです。本人曰く、「こうすると予測不可能な動きを見れて面白い」とのことだったんですが、確かに不思議な動きを見せた後、は私の背中に止まりやがったわけです。これで完全にトラウマとなった私は泣きながら小屋を飛び出して帰宅準備をしてさっさと帰ろうとしたところ、偶然違うところで遊んでいた双子の片割れとそのほかの友達と双子のお兄ちゃんが帰ってきて心配そうに話しかけてくれました。泣きながら何があったか説明し、「大丈夫だ俺たちが叱っておく」とのことで帰してくれたのでその後何があったかは知りませんが鉄槌が下っているといいなと思った小学一年生の夏でした。

先ほど触れた双子の二個上のお兄ちゃんに関するエピソードもあります。ある日いつものように先ほどお話ししたメンツで双子の家で遊んでいると、何があったかは覚えていないのですが私が何か気に食わないことがあったんです。多分誰かに何かされて男の子のノリに乗り切れなくなった女の子に成長してしまった小学三年生の私は泣きながら「もうかえる!」と言って家を飛び出してしまいました。今思えばなんだかかわいいなあと思いますが、当時はとにかく涙しかでず、何で優しくしてくれないんだろうと思ってしまっていたんです。自転車にまたがって帰ろうとした私を追いかけて家から出てきた双子のお兄ちゃんのほうがお兄ちゃんと双子と友達たちに言いました。

「よく見ろ、あれが負け犬の姿だ


!!!??!??!??

当時の私は悲しい通り越して驚きまくったことを覚えています。そのまま泣きながら全力で自転車をこいで帰りました。途中にいつものメンツでよく遊ぶ公園や神社を通り過ぎて帰るので、どうにも悲しくなってしまい、涙があふれて止まりませんでした。

その日を境にお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達とは遊ばなくなってしまいました。私にも少しだけ同級生の女の子の友達がいたのでその子と遊んだり家でゲームしたりして日が過ぎていって、私の地域の夏祭りの日になりました。その夏祭りは8月31日に大体は開催されるもので、それが終わったら小学校が再開するため正真正銘夏休みの最後のイベントです。お兄ちゃんの友達とは隔たりを残したままだったため、あまり行く気にはなれませんでした。それでも最後のイベントだしサメ釣り(ちょっと凝ったくじ引き的な屋台です。)したいし、といった理由でおばあちゃんやお母さんに見送られて夏祭りに行きました。会いたくないなと思いながらも神社の近くに行くと、あの日私を負け犬呼ばわりした忌まわしき男が私を見つけて駆け寄ってきました。何だ?デュエルスタンバイか?と思いましたが(思っていない)普通に驚いて言葉も出ませんでした。駆け寄ってきて彼は私に「ん!」と言ってスティッチにポーチとペンを渡してくれました。不思議に思って顔をあげると、「ごめん、あれは大人げなかったよな、これで元気出してくれ、ほんとごめん」と申し訳なさそうな顔で誤ってくれました。「全然、私もあんなんで泣いてごめんね」と仲直り。季節の最後に後悔を置いていかない彼の性格に救われた日でした。

今回はそんな感じで。小学校の頃の夏休みの思い出はわんぱくでいいですね。その期間だけ戻りたいなと思う今日この頃のわたしでした。

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