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短歌が詠めないと思っていたけど、外に出れば詠めそうな気がした

最近、短歌が詠めなかった。

短歌をはじめた日から、一日一首ペースで詠むことにしている。はじめた当時は、毎日一首、歌の形にするルールだったが、毎日、短歌の形にすることが負担で、いつのまにか一日一首のペースで詠むということにした。

その日あったこと、歌として切り取りたい場面をメモしておく。
家から出ずに仕事だけしてた日は、部屋の様子、外から聞こえる音、テレビ番組の感想、ちょっとでも歌になりそうなことを毎日、少しメモしておいて、月に一回、それを短歌の定型、三十一音にする作業をしている。
(短歌結社に短歌を毎月送るものは、そこからそこから10首を選んで、推敲をしている)

前に文章を書く時期は、短歌が詠めないというnoteを書いたことがある。

「あっ!」という場面を切り取る短歌と、理由や原因、その後の展開を明らかにして論理の飛躍がないように進める文章を書く作業の二つの相性が悪いというのが、私の見立てだった。確かにそういう側面もあるだろう。

実際、最近、3つほど原稿を抱えていたので、詠めない理由は、それだと思っていた。

でも、今日、仕事を終えて、外に出て、近所の隅田川の夜桜を眺めて、隅田川で渋滞する何艘もの屋形船を見ていたら、短歌の芽になりそうな言葉がいつくか浮かんできた。

あぁ、外に出ればよかったんだな。

最近は、花粉が飛んでいたので、外に出ることも億劫だった。
(私はスギだけなので、もうそろそろ大丈夫)

それに、自然のことを詠むことは多くない。花鳥風月を歌に織り込むことが大事だとも思っていない、だから、外に出る必要はないと思っていた。

歩くこと、風に触れること、視界に広い景色を入れること、どれも大事なんだろう。それが刺激をくれる。

もうすぐ散ってしまうけれど、花粉も気にならなくなるので、もっと外に出よう。そして歌を詠もう。

こっそりと満開の桜 背に置いて
「きれいだよ」って照れずに言った



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