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『水上バス浅草行き』で気になった10首+1

先日、こちらのツイートを見かけた。

『老人ホームで死ぬほどモテたい』は、誕生日にもらって読んだ。自分じゃ決して詠めない短歌に多く出会えた。自分の中の生々しい部分に触れてしまう歌集だったけれど、いい誕生日プレゼントだった。

このツイートを見て、また好きな歌、気になる歌が増えそうで、『水上バス浅草行き』を買った。また気になる歌を探してみることにした。そして、気になった歌、好きになった歌が見つかった。私が好きな歌は、自分にとってリアリティがあること、そしてそこを起点に想像が膨らむことだと、気づかせてもらった。リアリティを感じて、いろいろ想像してしまった歌を選んでみる。

気になった10首+1

犬がいる

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

Twitterで見かけたことがある歌。「ずぼら」「傘がたくさんある」をいろいろ変えて、遊ぶツイートをがたくさん投稿された。「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし」、ここまではよくあるセリフだ。でも、傘がたくさんあるから、というのは、本当によくぞそこを切り取ってくれた感じがする。もうミルクボーイの漫才くらい、できあがったフォーマットになってしまって、新鮮さは薄れたけれど、改めて、歌集の中に見つけて、嬉しくなってしまった。

街で暮らす

もう君が来なくったってクリニカは減ってくひとりぶんの速度で

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

カップルが別れる時、別れたら捨てるものがある。相手のために買った異性の下着はそうだろう。すぐに違いとなって部屋に現れることじゃなくても、部屋の中に小さな変化はある。ハミガキの減りは確かにそうかもしれない。頻繁に来ていれば、勢いよく減っていたかもしれない。一度、使い切ったかもしれない。自分よりたくさんハミガキを使う人だったかもしれない。でも一人になるとずっと減らずにある。どうしても気づいてしまうことかもしれないけれど、こうした変化に気づいて、歌にできる人でありたい。

これが夏だよ

焼けてるか焦げてないかが気になって何度もホットサンドを覗く

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

自分一人だったら、何度も覗かないかも。傘と同じで、ずぼらな人だったら、ちょっとくらい焦げてても気にならないはずだ。だけど、それを相手に出す時は、なるべく焦がしたくない。そんな気持ちは実際に同じことをホットサンドでやったことがあるからわかる。同じ体験をしたのに、私には日常過ぎて、歌に切り取れなかった。こんなことも歌になるんだなー

等分に切るはずだった豚玉のやや大きめを詫びながら出す

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

これもカップルならよくある風景の一つかもしれない。別に謝ることでもないんだけど、半分に切り分ける時、大きさが違ってしまうことはよくある。半分に切り分けられなかったのは、こちらのせいだから、最初から自分が大きいほうを取ることはないだろう。それに、大きいから嬉しいばかりじゃなくて、相手も半分で十分だったのに、多めに食べさせてしまうことになるかもということで、申し訳なく感じることもあるだろう。「詫びながら出す」はあるあるだ。コントなんかの笑いと違って、あるあるの瞬間を切り取ると、目に留まる歌になるんだなぁ。

平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

夏を満喫している感! 目の前に語り掛ける人がいない時、「ごらんよ」と言う相手は目の前のビールだけかもしれない。でも、その相手は飲まれてしまう存在ということにもおもしろさがある。こういう歌は大好き。私も自分が詠む歌でナニカに話しかけてみよう。李白は、月と影と三人で飲んだというし、酒は、そういう無駄な陽気さを伴っていていい!

ターャジス

さわれないたとえのひとつ反対の車線を走り去るターャジス

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

左からじゃなく、トラックやバンには右から書いてある社名や商品名を見かける。現代人として、普通に左から読めば、ありもしない単語だけれど、読み方一つ違っているだけで、確かにそれは存在している。他にもこういう短歌を見かけたことがあった気がするが、「ターャジス」のインパクトには勝てない。見たこと、聞いたことがある、でも日常使うことはない語。歌の読みは「スジャータ」と読みたい。

砂利

Googleが教えてくれる最短の経路をあみだみたいにすすむ

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

これ、やったことがある。正解はわかっているから安心して道を外れられる。時間が決まっていない時、思ったより約束の時間まで長い時、でも目的地は決まっている。Googleで調べるくらいだから、普段来ない場所だ。見慣れない風景に出会うことで、小さく自分の世界を広げてくれる時間。歩いて得られて見つけた発見じゃなく、その手前の行為も歌になる。

声を待ってた

にこいちで飼えば可愛いねこたちに愛の偏りうまれてしまう

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

同じ猫でも、愛情に差が出るのはしょうがない。同じ時期に一匹じゃさみしいからと飼った猫であっても、差が出てします。けど本人たちには、そう悟らせてはいけない。いや、両方ともわかっているかもしれない。より愛されてるほうも、少し愛されていないほうも。動物は愛を敏感に感じとる。人間の親だって、兄弟や、もしかすると双子の子であっても、そうなることはあるだろう。事実だけど、ちょっとかなしい事実かもしれない。胸が少し苦しくなる。こういう事実に気づく、他の場面や登場人物を変えても、同じ法則になることを見つけられるところは素敵だ。

ほんとうの記憶

何度でもめぐる真夏のいちにちよまたカルピスの比率教えて

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

毎年、繰り返すこと、毎回することであっても、覚えていないことがある。「カルピスの比率教えて」は、あぁそういう場面あるなーと思う。毎回聞いちゃうこと。
他の歌では気にならなかったひらがなと漢字のバランスが違和感になって、余計に目に留まった歌。
「何度でもめぐる真夏の一日よ またカルピスの比率おしえて」
じゃダメだったのかしら。「いちにち」というほうが1シーンを切り取った感があるのかな。確かに目には留まった。

パスワード

シルバニア家族が肩を寄せ合ってメルカリに出るための一枚

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

「シルバニア家族が肩を寄せ合って」まで読んで、お、子どもが並べてる微笑ましい様子かなと想像して、下の二句で、あぁぁぁ、と嘆息してしまった。そうやって見直すと、最初の肩を寄せ合うイメージがより、きれいに映ろうとしているようで、余計にかなしくなった。メルカリで、売られているものを見ると、何で売ろうと思ったんだろうと考えることがある。シルバニアファミリーは、私が子どもの頃、3歳下の妹に買ってあげたことがある。決して安いものでもないので、予算に合うように、家具を選んだり、小物を選んだりした記憶がよみがえった。かなしくなった。

レジャーシートの冷たい麦茶

うんまいときみが唸った うんまいの「ん」はおそらくバターの部分

『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

うわー、そうかも!!!

コクの部分 香りの部分、うんまいの「ん」には、絶対、そういう部分がいる! 醤油でもない、ニンニクでもない、でもバターの部分と言われて「それだ!」と思ってしまった。そうかもしれない、と思った気持ちがありありと残っているので、異論は認めない。もう正解でいい。分析もしません。

読んだ感想

浅草行きの水上バスは、浅草に急いで向かうための乗り物じゃない。むしろ乗らなくてもいい。そんな乗り物。

あとがき | 『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

浅草の近所に住んでいるので、たまーに乗らないこともない。台場や葛西に行った時、たまたま乗ってみようと思いたって乗る。数年に一度のことだけど。観光客だって、目的地があれば、いつでも走っている電車に乗る。本当に必須ではない乗り物だ。

なくても生きていけるそんな存在、この歌集もそうであるといいという「あとがき」の言葉が素敵だ。短歌のおもしろさは、生活のどこをどう切り取ったということでもある。日常にちょっとおもしろさが潜んでいることに気づける、気楽に手に取れる存在があるのは、とてもいいことだと思う。

そして、歌集の楽しみの一つは、自分の世界を広げそうなきっかけ、とっかかりになるようなヒントに出会えるところだろう。自分が知らない単語や、作品が登場すると、ちょっとググってみたくなる。

『リリイ・シュシュのすべて』は知ってるけど観てない映画だし、草野マサムネは、誰だっけ? となったし、「ザネリ」って誰だっけ? ともなった(「銀河鉄道の夜」かな)。

恋人じゃない人とみた一本を私は一人でみたと言い張る

あとがき | 『水上バス浅草行き』©2022 岡本真帆/ナナロク社

そういえば、映画は「みた」んだな。ひらがなの動詞がちょこちょこあって、漢字より、こっちがいいかも、と思うことがあった。ひらがなにしたり、カタカナにしたり、アルファベットにしてみたら、ちょっと日常とは違う歌の世界に迷いこんだ気がするのかもしれない。自分が詠む歌でももうちょっと積極的にいじってみようかな。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。