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百人一首復習ノート:現代語訳、英訳、解釈とその感想(六三、六四)
普段、現代語で短歌を詠んでいるのであって、文語に親しみたいわけでも、文語で短歌を詠みたいわけでもない。けど、永く日本人の体に染みついたリズムで、教養ある人が一度は親しんだ(無理やり覚えさせられた)歌に接することには、意味があることかもしれない。
教養としてではなく、自分の作歌の養分と作歌のテクニックという実利を期待して、いまさらながら百人一首を復習してみようと思う。情報は、手元にあった百人一首の本三冊から(『百人一首がよくわかる(橋本治)』『英語で読む百人一首(ピーター・J・マクミラン)』『百人一首 (平凡社カラー新書)(馬場 あき子)』)。
だいたい週一回、まとめている。一つのnoteには、2首ずつ取り上げる。2首ずつ取り上げる理由は、百人一首が、二人ずつのペアが50組あるという作りだから。どうせなら意味のあるペアの形でインプットしたい。歌をまとめて取り上げる作業は、連作を作るアイデアにもなるかもしれない。
六三.左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)
いまはただ 思ひたえなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな
(いまはただ おもいたえなむ とばかりを
ひとづてならで いうよしもがな)
現代語訳
今はもう あきらめましたと それだけを
人づてでなく 言ってみたいよ
英訳
Our love has become forbidden,
but I want to meet you one last time.
Rather than your hearing it from others
I want to tell you myself
that we can never meet again.
解釈
さすがに才女の清少納言は、説明するだけでもめんどくさい凝った教養のある歌を詠みますが、しかし、百人一首を作ったとされる藤原定家は、それよりも一枚上手です。清少納言の和歌の後にこの和歌を続けているのを見ればわかるでしょう? 清少納言は、「逢うのはだめよ」と言っていて、その後に続くこの歌は、「はい、あきらめました。でも、そのことを、出来るなら直接、あなたに逢って言いたいんだけど」と言っているからです。
和歌というのは、そういうことをやって遊んでもいいのです。「百人の和歌を選ぶだけじゃつまらない。ただ並べるだけじゃつまらない」と思う藤原定家は、こんなことだってやってしまうのです。しかも、この歌の作者は、清少納言の関係者です。「左京大夫」は、都の東側である「左京」の長者ですが、それをしていた藤原道雅は、清少納言が仕えていた中宮定子の兄さんーかの儀同三司である藤原伊周の息子なのです。
感想
「言うよしもがな」ってね。後を引く感じ。現代の散文をもとに作ると、散文のほうが長くなって、言葉を切らなくちゃいけなくなることが多い気がする。言葉で後を引く感じが難しい(と感じる)。現代の散文をもとに作るとき、後を引く感じを出すには、どうしたらいいんだろう。
六四.権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木
(あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに
あらわれわたる せぜのあじろぎ)
現代語訳
朝が来て 宇治の川霧 薄らいで
現れて来る 川の網代木
英訳
As the dawn mist
thins in patches
on the Uji river,
in the shallows appear
glistening stakes on fishing nets.
glistening /ˈglɪsʌnɪŋ(米国英語)/glistenの現在分詞。(…で)きらきら輝く 、 (…に)きらめく
stakes /steks(米国英語), steɪks(英国英語)/stakeの三人称単数現在。stakeの複数形。(境界標識・植物の支え棒などとして地面に突き刺して用いる先のとがった)くい、 棒
解釈
網代木は、氷魚(ひお)を獲るため、川瀬にしかける竹篢(たけす)を支えておく棒杭を立てたもの。閑静な別荘地であった宇治川べりの朝の景。初冬の川霧の冷えたにおい、強い川音のさわやかな気分がよく伝わる歌である。絵画的な図式の歌が常識であった時代の歌としては、眼前の景をよく捉えて動きがあり、川霧のおもしろさがよく移されている。
定頼は「滝の音は」の歌を持つ公任の子である。小式部に「大江山」の歌を詠まれた時は、その才に呆れて返歌をするゆとりも失ったが、のち愛人として、道長の子教通(のりみち)とその愛を争った。読経の上手で小式部はその声にいたく魅かれていた。
感想
「たえだえに」がおもしろい。今は、「息もたえだえ」くらいでしか耳にしない? そして、橋本治さんは、ほぼ三十一音の制限上、「薄らいで」としか書けなかったけれど(あくまで意味のわかる解釈として)、ピーター・マクミランさんは、「mist thins in patches」と表現している。英訳詩に時々、あぁ、そういう感じね、と驚かされることが多い。
※引用図書の紹介
『百人一首がよくわかる』
国語の教科書にあるような、文法的に正しい訳ではなく、短歌の長さ程度の軽妙な日本語訳と、短い解説書。
『英語で読む百人一首』
百人一首の英訳。古語や現代語訳より、歌の情景が浮かぶものも多い。
『百人一首 (平凡社カラー新書)』
馬場あき子先生の著作。ただし、教養としての解説であって、歌の解釈は短め。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。