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百人一首復習ノート:現代語訳、英訳、解釈とその感想(八七、八八)
普段、現代語で短歌を詠んでいるのであって、文語に親しみたいわけでも、文語で短歌を詠みたいわけでもない。けど、永く日本人の体に染みついたリズムで、教養ある人が一度は親しんだ(無理やり覚えさせられた)歌に接することには、意味があることかもしれない。
教養としてではなく、自分の作歌の養分と作歌のテクニックという実利を期待して、いまさらながら百人一首を復習してみようと思う。情報は、手元にあった百人一首の本三冊から(『百人一首がよくわかる(橋本治)』『英語で読む百人一首(ピーター・J・マクミラン)』『百人一首 (平凡社カラー新書)(馬場 あき子)』)。
だいたい週一回、まとめている。一つのnoteには、2首ずつ取り上げる。2首ずつ取り上げる理由は、百人一首が、二人ずつのペアが50組あるという作りだから。どうせなら意味のあるペアの形でインプットしたい。歌をまとめて取り上げる作業は、連作を作るアイデアにもなるかもしれない。
八七.寂蓮法師(じゃくれんほうし)
むら雨の 露もまだひぬ 真木の葉に
霧たちのぼる 秋の夕ぐれ
(むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに
きりたちのぼる あきのゆうぐれ)
現代語訳
村雨の 露も乾かぬ 真木の葉に
霧たち上る 秋の夕暮れ
英訳
The sudden shower
has not yet dried.
From the leaves of black pines,
wisps of fog rise
in the autumn dusk.
pine /pάɪn/【植物, 植物学】 マツ(の木)
wisp/wísp(米国英語)/小さい束、房、断片、はしきれ、小さくほっそりした人、(シギの)群れ
dusk / dˈʌsk(米国英語)/(たそがれの)薄暗がり、夕やみ
解釈
寂蓮は歌才を愛され、ひとたぶは叔父俊成の養子となったが、定家が生まれたので出家した。こうした一つの人生のえらびは、その歌風にも寂寥の趣きを好む幽玄を愛させたが、歌には厳正で、「なほざりならず歌よみし者」と後鳥羽院にも認められた。六条派の顕昭と激しく絶えず論争を繰返したことは有名である。この一首、深く心象の投影した叙景といえるだろう。
男達は、坊さんも含めて悩みます。自分には悩みがないから「女になって悩む」というややこしい悩み方をするのもいますが、悩みというのは心が騒いで暴れるもので、じっとしているように見えてもうるさいものです。そういうものが続くと、本当に静かな景色を持って来て騒ぎを鎮静させてしまうのが、藤原定家です。
訳す必要なんかないくらい、そのままでもわかる美しい歌です。「真木」というのは、杉や檜のような針葉樹の総称ですから、そういう木だと思うと、雨の後に立ち上る秋の夕霧の中から、深い針葉樹の葉の匂いも立ち上ってくるでしょう。
感想
水の粒子たちが見えるよう。こんな情景を見たことがないのに、木々の香り、湿度が感じられる。と、何度か読んでそう思った。情景表現だけだと、言葉に親しみがないとまるで入ってこない。でも、何度か読めば美しい情景だとわかる。
八八.皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)
難波江の 葦のかり寝の ひとよゆゑ
身をつくしてや 恋わたるべき
(なにわえの あしのかりねの ひとよゆえ
みをつくしてや こいわたるべき)
現代語訳
難波江の 葦の刈り根の 一節(ひとよ)でも
この身をつくして 恋して行くの?
英訳
For the sake of one night
on Naniwa Bay,
short as the nodes
of a root-cut reed,
must I love you with all my heart?
sake /séɪk(米国英語), seɪk(英国英語)/ …のための
reed /ríːd(米国英語), ri:d(英国英語)/アシ、ヨシ、アシの草むら、(屋根ふき用の)干したアシ、ふきわら、(楽器の)舌、リード、リード楽器、(オーケストラの)リード楽器部
解釈
作者は崇徳院中宮であった皇嘉門院聖子(せいし)に仕えた女房。巧緻な技巧を使って掛けことばを重ねつつ、一夜の契りをもとにこれからはじまるであろう心尽くしな恋の行先に思いをはせたもの。技巧が一首の抒情の中に溶けこんで、「かりねのひとよゆゑ」以下に纏綿として本音のひびきのこもるのを艶に感じさせる。
「難波江」は、「難波潟」とおなじで、ここが葦の群生地であることはご存知でしょう。そこには航路を占める「澪標(みおつくし)」もあり、葦の短い節は「節(よ)」とも呼ばれて「夜」と重なる。皇嘉門院別当の歌には、その葦を「刈る」というのも加わります。「刈り根」は「仮り寝」で、これは一夜限りの恋です。難波の海で「恋の歌」になったら、これはもう一生懸命(身をつくし)にならなければいけないのが和歌の必然ですが、皇嘉門院別当は「一夜限りの出会いに命を賭ける女」ではありません。これは、「旅の宿で逢った恋」というテーマで詠まれた和歌なのです。架空の恋歌なのに、「女の恋は一夜限り」というニュアンスが漂うのは、やっぱり時代のせいでしょうか。
感想
難波江という風景が最初にあって、続く、「一節」「身を尽くす」は、どんどん細って集中するように感じられ、その後の五句の「渡る」は広がりを感じさせる。三十一音にしちゃ、ずいぶん、情報量を感じる歌。これが恋を匂わせる歌というのだから、眩暈すら覚えてしまう。
※引用図書の紹介
『百人一首がよくわかる』
国語の教科書にあるような、文法的に正しい訳ではなく、短歌の長さ程度の軽妙な日本語訳と、短い解説書。
『英語で読む百人一首』
百人一首の英訳。古語や現代語訳より、歌の情景が浮かぶものも多い。
『百人一首 (平凡社カラー新書)』
馬場あき子先生の著作。ただし、教養としての解説であって、歌の解釈は短め。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。