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百人一首復習ノート:現代語訳、英訳、解釈とその感想(三、四)
noteに書くことがなく、困った時にだけ作るつもりだった「百人一首復習ノート」だったが、ちょっと作業がおもしろかったので、今日もやってみる。
普段、現代語で短歌を詠んでいるのであって、文語に親しみたいわけでも、文語で短歌を詠みたいわけでもない。けど、永く日本人の体に入ってきたリズムで、教養ある人が一度は親しんだ(無理やり覚えさせられた)歌に接することには、意味があることかもしれない。
教養としてではなく、自分の作歌の養分と作歌時のテクニックという実利を期待して、いまさらながら百人一首を復習してみようと思う。情報は、手元にあった百人一首の本三冊から(『百人一首がよくわかる(橋本治)』『英語で読む百人一首(ピーター・J・マクミラン)』『百人一首 (平凡社カラー新書)(馬場 あき子)』)。
noteで書くことに困った時にまとめようと思う。一つのnoteには、2首もしくは4首を取り上げたい。2首ずつ取り上げる理由は、百人一首が、二人ずつのペアが50組あるという作りだから。どうせなら、意味のあるペアの形でインプットしたい。それが連作を作るアイデアにもなるかもしれない。
三.柿本人麿(かきももとのひとまろ)
あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む
(あしびきの やまどりのおの しだりおの
ながながしよを ひとりかもねむ)
現代語訳
あしびきの 山鳥の尾の だらだらと
ながながし夜を ひとり寝るのかあ
英訳
The
long
tail
of
the
copper
pheasant
traiis,
drags
on
and
on
like
this
long
night
alone
in
the
lonely
mountains,
longing
for
my
love.
cop・per / kάpɚ(米国英語), kˈɔpə(英国英語) 銅、銅製のもの、銅貨、銅色、赤褐色
pheas・ant / féznt(米国英語), ˈfezʌnt(英国英語) キジ科の鳥、キジの肉
traits /trets(米国英語), treɪts(英国英語) traitの複数形。(人・ものの)特性、 特色、 特徴
drag・on ずれ込む、長引く、長びく、だらだら長引く、のろのろと進む、調子がだれる、じゃま物、足手まとい
解釈
定家は「ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜置きまよふ床の月影」と詠んで、人麿本歌への敬意と愛情を示しているが、人麿の歌では「あしひきの」という「山」を飾る枕詞が空疎でなく、「しだり尾のながながし」というイメージと呼応している。
『拾遺集』は恋の歌として採っているが、侘しい独り寝の夜の闇には、遠く離れている妻恋いの情が、やわらかになつかしく動いているようだ。
感想
この歌も、一首目の天智天皇同様に、人麿本人が詠んだ歌ではないらしい。歌聖が詠んだ歌が入っているということが大事なんだろう。
この歌も英訳が効いている。山にかかる枕詞「あしびきの」、長いというだけのための序詞「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」。いかに一人の夜が長いかを伝えるだけの歌。時間の長さと、その時間を過ごすつまらなさを伝える意味では、英訳が成功している。でも、歌としての読んだ時の抒情感までは表現しきれていないような気がして、これも惜しい。でも、上手。英訳すごい。
四.山部赤人(やまべのあかひと)
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪はふりつつ
(たごのうらに うちいでてみれば しろたえの
ふじのたかねに ゆきはふりつつ)
現代語訳
田子の浦に ちょっと出て見りゃ 真っ白な
富士の高嶺に 雪は降ってる
英訳
Coming out on the Bay of Tago,
there before me,
Mount Fuji---
snow still falling on her peak,
a splendid cloak of white.
splen・did / spléndɪd(米国英語), spˈlendɪd(英国英語)/ 華麗な、壮麗な、目もあやな、輝かしい、あっぱれな、りっぱな、見事な、すばらしい、すてきな、たいしたもので
cloak / klóʊk(米国英語), klˈəʊk(英国英語) (ゆったりとした)そでなしの外套(がいとう)、マント、おおい隠すもの、仮面、口実
解釈
山部赤人は、柿本人麿とならぶ有名な『万葉集』の歌人です。三人目と四人目は、そんな「万葉ペア」ですが、もう一つ、「山の和歌のペア」という意味もあるかもしれません。柿本人麿の和歌が「山」という言葉をかなり無意味に使っているのに対して、こちらは、山の代表である富士山の姿を、ストレートかつダイナミックに詠んでいるからです。
いったいこんな景があるであろうか。原歌は「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」とある。『新古今集』の冬の歌として登場するこの歌では、原歌が晴天に白雪を戴く富士の清冽な雄大さに感嘆しているのに対して、いささか新古今風の流麗な声調に執しすぎたのであろうか。あるいはまた、降雪の霏々として細やかな美しさと、秀麗な富士の高嶺とを別個の空想のもとに重ね合せようとしたのであろうか。
感想
実際の景色かどうかわからないけれど、富士山と浦の景色が絵として想像できてしまう。イメージそのままを歌にしている代表的なものかもしれない。今の短歌だと、「で?」とか「物足りない」とか言われてしまいそう。
※引用図書の紹介
『百人一首がよくわかる』
国語の教科書にあるような、文法的に正しい訳ではなく、短歌の長さ程度の軽妙な日本語訳と、短い解説書。
『英語で読む百人一首』
百人一首の英訳。古語や現代語訳より、歌の情景が浮かぶものも多い。
『百人一首 (平凡社カラー新書)』
馬場あき子先生の著作。ただし、教養としての解説であって、歌の解釈は短め。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。