![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/127550641/rectangle_large_type_2_2d6ccc5c8b4ac0bcada8a2e7e628abb2.jpg?width=800)
百人一首復習ノート:現代語訳、英訳、解釈とその感想(五七、五八)
いつもは歌の解釈のみ(恋のお相手のこと、歌会の様子など歌の理解に説明が必要な場合を除き)だが、今回、今年の大河ドラマ『光る君へ』が始まったばかりなので、紫式部の解説も引用している。紫式部と、その娘の大弐三位ペア回。
普段、現代語で短歌を詠んでいるのであって、文語に親しみたいわけでも、文語で短歌を詠みたいわけでもない。けど、永く日本人の体に染みついたリズムで、教養ある人が一度は親しんだ(無理やり覚えさせられた)歌に接することには、意味があることかもしれない。
教養としてではなく、自分の作歌の養分と作歌のテクニックという実利を期待して、いまさらながら百人一首を復習してみようと思う。情報は、手元にあった百人一首の本三冊から(『百人一首がよくわかる(橋本治)』『英語で読む百人一首(ピーター・J・マクミラン)』『百人一首 (平凡社カラー新書)(馬場 あき子)』)。
だいたい週一回、まとめている。一つのnoteには、2首ずつ取り上げる。2首ずつ取り上げる理由は、百人一首が、二人ずつのペアが50組あるという作りだから。どうせなら意味のあるペアの形でインプットしたい。歌をまとめて取り上げる作業は、連作を作るアイデアにもなるかもしれない。
五七.紫式部(むらさきしきぶ)
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな
(めぐりあいて みしやそれとも わかぬまに
くもがくれにし よわのつきかな)
現代語訳
めぐり逢い 逢ったと思えば そのままに
雲に隠れた 夜半の月だわ
英訳
Just like the moon,
you had come and gone
before I knew it.
Were you, too, hiding
among the midnight clouds?
解釈
幼なじみの女友達に偶然逢ったのだとも、ふいに訪れて来たのだとも考えられる。いずれにしても月光下の短い歓談のひとときののち、あわただしく行ってしまったその人のあとに、一首の詠歌は生まれている。「雲がくれにし夜半の月影」という実景によせた比喩はどこか物語調の場面を感じさせる力があり、『源氏物語』作者らしい指向が見える。式部ははじめ藤式部とよばれたが、「若紫」の巻のゆかりから紫式部と呼ばれるようになった。上東門院に出仕したが、それ以前に藤原宣孝の女子を生んでいる。大弐三位賢子(たかこ)である。
(かたこ、らしいけど、「たかこ」のふりがな)
和泉式部の次に登場するのは、『源氏物語』の作者、紫式部です。百人一首の前半に、女性は四人しか登場しません。でも、後半になると女性スターがどんどん登場します。王朝文化が全盛期を迎えると、女性の出番も多くなるということです。
和泉式部は、「恋多き女」ですが、紫式部は「恋少なき女」です。そんなに男が好きじゃなかったみたいです。この和歌の「月」は、ある人のことです。「めぐり逢ったと思ったら、そのままもう別れてしまった。まだ輝いているのに雲に隠されてしまった月みたいだわ」と、夜空を眺めて思っているのです。
この「月」にたとえられているのは、彼女の昔からの友達で、女です。紫式部は、転勤生活の多い公務員の娘がそのまま公務員の妻になってしまったというような女性で、小さい頃の友達も、そういう女性だったのです。それで、「もうお別れね、残念ね」という、この歌になります。『源氏物語』の作者は、意外に「カタギの主婦」なんです。
感想
友人との別れ、の後を引く感じをきれいに、あまり後を引かない感じでまとめている。最近の短歌であれば、もっと直接的に訴えるものになるかもしれないけれど、たまにはこういうのもいい。何に例えるときれいで、読んだ友達もいい気分になるだろう… それがパッと浮かぶようならもう歌人になっている。
五八.大弐三位(だいにのさんみ)
有馬山 ゐなの笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
(ありまやま いなのささはら かぜふけば
いでそよひとを わすれやわする)
現代語訳
有馬山 猪名の笹原 風吹けば
ささっとあなたを 思い出すのよ
英訳
Blown down from Mount Arima
through Ina's low bamboo
the wind whispers,
"I swear of my love--
How could I forget you?"
解釈
これは、女を離れていった男が、ふと思いついたように文をよこして、「じつはあなたのお心もおぼつかなくて」などといったのに対してうたった歌、一気にうたい返したような力があり、しかも軽快さを感じさせるのは、やはり、「いでそよ」という風の音感と、感動詞の「いで、そよ」の音を通わせたところにあるだろう。上句の淋しく明るい笹原のイメージに歌枕を採用し、結句の反語も「いでそよ」を受けて柔かになつかしい。巧みな一首である。大弐三位は後冷泉天皇乳母となり越後の弁とよばれ、のち、太宰大弐高階成章(たかしななりあきら)の妻となって大弐三位とよばれた。
恋多くない紫式部とペアになるのは、彼女の娘です。紫式部の本名は明らかではありませんが、娘のほうははっきりしています。藤原賢子(かたこ)です。昔の人は、成人してから名前をつけますから、紫式部の娘は「頭のいい娘」だったのかもしれません。
紫式部の娘は、結婚して子供を生んでから、仕事に就きました。後冷泉(ごれいぜい)天皇の乳母です。そういう高貴な仕事に就いたので、「三位」という位をもらって、本名もはっきりしているのです。彼女の夫は吸収の太宰府の長官である「太宰大弐(だざいのだいに)」というポストに就いていました。そので「大弐三位」と呼ばれるのです。
この歌は、(おそらく結婚前の)彼女が、男から来た手紙の返事として詠んだものです。男は、彼女に飽きてやって来ないーーそのくせ「それはあなたの心があてにならないからだ」と言いがかりをつける。それに対して、ささっと風が吹くように答えたんです。頭がよくて、品のあるいい女だと思いますね。
感想
ドライな紫式部の娘。本人が実際どう思ってたかはわからないけど、強気。個人的には、苦手なタイプ。言葉から受ける感じを、歌の中で変化をつけるとか、馬場あき子さんがおっしゃるくらいだから、やっぱりお上手なんだろうな。橋本治さんも歌の解釈がほとんどなく、紫式部の娘ということ、人物の特徴に触れているだけのところを見ると、私と同じで、彼女が苦手なタイプなのかもしれない。きっとそうに違いない。
※引用図書の紹介
『百人一首がよくわかる』
国語の教科書にあるような、文法的に正しい訳ではなく、短歌の長さ程度の軽妙な日本語訳と、短い解説書。
『英語で読む百人一首』
百人一首の英訳。古語や現代語訳より、歌の情景が浮かぶものも多い。
『百人一首 (平凡社カラー新書)』
馬場あき子先生の著作。ただし、教養としての解説であって、歌の解釈は短め。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。