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『オールアラウンドユー』で気になった10首

昨年12月にこちらのイベントに参加しました。

イベントの会場で購入したのが『オールアラウンドユー』です。

短歌相談室の中で、第三者視点、モノ視点で短歌を詠む話がありました。私は、どうしても自分という一人称で詠むことが多くて、その説明を頭で理解しても、まだ第三者視点やモノを中心に置いて、詠むことはできていません。『オールアラウンドユー』にあるそうした歌や、他にも気になった歌があったので10首紹介します。

気になった10首

こころっていつもからだについてきて歩行の邪魔をするからきらい

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

これほんとそう。憂鬱な仕事に向かう途中は体も固くなるし、足も重くなる。もし、こころのせいだとしたら、それを体から切り離せないことが不自由とさえ感じてしまう(切り離せはしないのに)。確かにそうなんだけど、「歩行の邪魔」という言葉はなかなか浮かばない。体と心の距離、つながり、をほどよく表現する言葉だと思う。

鎮火してもらうつもりでくちづけを求めたけれど、けれど、全焼

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

「けれど」を重ねなければ、その分の情報を追加できるのに、それをしていない。「けれど」を重ねたことで、気持ちの逡巡が伝わる。別れなのか、最後のキスはきっとこうなんだろうと思う。しちゃダメ、が正解だろう。きっと「これが最後」がよく燃える火種。

花を嗅ぐひとときだけは許されたような気持ちでマスクを外す

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

コロナ禍でも、花の香りを嗅ぐ時は、もっとよく匂いを知りたければマスクを外すだろう。コロナ禍、人がいる場所、店内でもマスクを外せなかったけれど、正当な理由がなくても、花の匂いを嗅ぐ行為は、人として許されるような気持ちになる。きっとそうだろうと思ってしまう。何かの行為と、マスクを外す場面を組み合わせた歌はもっと他にも作れるかもしれない。いや、すでにたくさんあるだろう。

まわれ右してかなしみを背景にすれば拍手のなかの幕開け

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

喜劇の主人公って、自分の人生だとすれば、それは本人にとっては悲劇だろう。ひどいことが起きる。その時の行動を外から見ると滑稽で笑ってしまう。どんなにつらくても、それが劇であれば、背後の観客はきっとその不幸に沸いているだろう。自分とその周りをメタな視点で見る。自分を登場人物としてみれば、劇の観客だけじゃなく、映画の観客、映画監督、小説家、という目線でも歌が作れそう。

紙の剣・紙の兜でゆくきみの背中に天使たちの寄せ書き

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

小学生の息子がいるので、これはいいな、と思ってしまった。
糸井重里さんがこんなことを言ってた。

後ろ姿を見つめることは、それは相手からの見返りを求めないこと。私にも、息子への祝福が見え、どうか祝福されてくれ、と思ったことがあったので、これはいいなぁと思ってしまった。「神の祝福」ではなく「天使の寄せ書き」というのも、いろいろ言葉の期待が集まっていそうでいい。

終わりだけ記念日となる戦争が馬鹿だからまた始まっちまう

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

戦争は、終わって初めて、よかったと思えるものだ。当たり前だけど開戦記念日をやることはない。特に攻められた国や敗戦国においては絶対にないだろう。でも、終わってよかったね、で済ませてしまうと、戦争を起こさないようにしてきた人の苦悩、戦争中の犠牲、終わらせるための苦労が見えなくなってしまう。なんにでもスタートとゴールがあるのに、終戦記念日だけがあるという事実一つで考えさせられた。こんな事実に気づけるかなぁ、それを歌にできるかなぁ、俺。

爆発のあとのけむりのむこうから無傷のままで登場したい

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

ヒーローの登場シーン。「ヒーローになりたい」「かっこよく登場したい」じゃない。「爆発」のあと「無傷で登場」がいい! 〇〇になりたい、をうまく言い換えることができると、あー、俺もそうなりたい、そうありたい! って思えるんだな。博士になりたい、サイヤ人になりたい、オリンピック選手になりたい、をうまく言い換えると、おもしろい歌になるのかも。

人間へ まだ1割の力しか出してないけど? 消費税より

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

やべー、汲々としてる場合じゃねーな、本気出してなかったのかよ! と突っ込みたくなる消費税さんの短歌。力の発揮具合が、誰もが把握している消費税率で表されてる。同じように一か月の日数、指の本数、とか、よく知る数字が伴うもので詠んでみるとおもしろいかもしれない。でもそれだけだと陳腐なものになりそうな気もするけど、ぜひやってみたい。

熟考の末に五百の腕組みをほどきはじめる千手観音

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

確かに菩薩や如来は、悟りを開くために長く悩んできたのだろう。千手観音にいつから千手があったのかわからないから、もしかすると、悩む前から千手はあったのかもしれない。千手観音のあの姿が、よもや腕組みをほどき始めたところだとは! と思うとおかしく思える歌。こういうことは想像できないなー。昔、徹夜して寝てない時に、こういう種類の妄想はたくさんした気がする。寝ないで作歌してみようか。

食う者と食われる者をはっきりと隔てるために箸は置かれる

『オールアラウンドユー』©2022 木下龍也/ナナロク社

箸を置く。箸の向こうは食べられる側、こちらは食べる側。確かにそうだ。箸一本のその奥と手前だけで歌が詠めてしまうなんて。箸だけじゃない、何かを線としてみて、その前と後ろ、手前と奥、上と下、で何が違うだろうと考えてみたい。

まとめ

うわ、その視点はどこから持ってくるんですか? という歌が多いですね。一つ一つ見ていけば、同じような歌を作れるかもしれないヒントらしいものが見えてくるので、ちょっと試しに詠んでみたい気がしました。

あと、漢字とひらがなのバランスはすごく気をつけられてますよね。一首の中で漢字に頑張らせすぎない、ひらがなが多くても、めいっぱいひらがなにも頑張らせない。エッセイなどで、わりとひらがなを使う人も、文章中は、単語ごとに統一するのが当たり前ですが、短歌って、一首ずつ使いわけてもいいし、なんだったら、一首の中でも、同じ単語に対して、ひらがな、漢字を使い分けてもよいです。私の場合、漢字は意味の視認性が高いため、割と散文同様の比率で漢字を使っていることが多いですが、やわらかさや丸みという感触をまとわせるために、もうちょいひらがなを多めに使ってみようかと思いました。

『オールアラウンドユー』、おもしろい以上に勉強にもなりました。いや、勉強まではできてないな、感心する歌がたくさんありました。読んでおもしろがり、作る目線で感心させられ、考える材料までいただいて、、お腹いっぱいです。楽しい時間をありがとうございました!

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。