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孝行できなかった後悔が私にもやってきた

両親には孝行できなかった。

母には結婚式を見せれた。
でも、結婚は私より元妻の働きが大きい。
母は離婚のことは知らずに亡くなった。

父には孫を見せれた。
元妻の働きはともかく、息子の誕生は、授かりものという感じ方が近い。
生殖の仕組みは知っているので、私が関与してないとまでは言わない。

残った父には、孝行をして送ってあげたかった。
結局何もできなかった。

反抗期というか、癇癪が強く出ていたころ、
部屋の壁に穴も開けた。

大学に行ったことも、
就職したことも、
十分に孝行なことかもしれない。

でも自分勝手に能力もない数学科に進むことを決め、
案の定、その道は閉ざされ、
学費、生活費を余計に負担させてしまったことは確かだ。

仕事で偉くもなっていないし、
親に金を無心することはあっても、
私から送ったり、貸したことはない。

とにかく自慢の息子ではなかったろう。

「課長 島耕作」でずっとひっかかっていたシーンがある。

島耕作が離婚の後、娘と会っている時、10歳くらいの娘に対して、島耕作が
「親にだって親の人生がある」というようなセリフを言っていたシーンだ。
「親には尽くす」「子には無償の愛を与える」という道徳を鵜呑みにしていた自分にとって、なんてひどいことを言うんだ、と思った。

自分で残酷だと思ったので、息子に直接言ったことはないが、自分が親になって初めて、確かに親にも人生があることがわかった。もちろん、私の父母にも人生があった。

私は、父母の人生をだいぶポロポロにしたんだろうと思う。

これから二人に手を合わせたところで、それは普段信じない死後の世界があることを前提にした儀式をなぞって、自分を慰めているだけだ。

孝行できなかった話も、親不孝の話も、こんなことも、もっとひどい話も世の中に溢れている。

でも、やっぱり後悔なんだろう。
悲しくて流れる涙のほかに、喪失感と、ちょっぴり悔しさが混じってる。

これからできることと言えば、いただいた恩を先に送るしかない。

ここ数日「孝行できなくて、ごめん」と何度かLINEに打って消した。
結局、送らず仕舞いだった。

送ってしまって「そうだ、そうだ」と思って納得して逝かれても困ると思ったからだ。でも、結局、送らずとも父は逝ってしまった。

自分ができなかったことなので、息子に孝行してほしいなんて、1mmも思わないが、息子が自分の人生において、後悔の念に縛られて、生きることが億劫にならないように、親にもらったものを息子に返そうと思う。

お父さん、おつかれさま。ゆっくり休んでね。ごめんね。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。