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「展覧会 岡本太郎」で初めての岡本太郎を体験してきました

日曜に「展覧会 岡本太郎」に行ってきましたよ。

事前予約がないと入れない展示でしたし、一週間前に予約した時には、結構空いている時間帯もあったので、全然余裕かと思って向かいましたが、そこそこに混雑してました。それでも、フロアの展示を一通り見て、するすると入口まで戻ってもう一度、見直すことができるくらいには、余裕がある混み具合でした。

12時半に入って、15時まで2時間半、鑑賞できました。地下一階、一階、二階の3フロアの展示です。

展示作品は、ほぼ全作品撮影OK(動画の撮影はNG)だったので、入ってから、ずーっと写真を撮ってました。でも、SNSでの共有はNGということでしたので、このnoteに作品の写真はありません。ずっと写真を撮っていておもしろかったのは、直接目で見る作品と、カメラ越しに見た作品の見え方が違うこと。目で見ても何の形かよくわからないものが、カメラを通してみると、キャラクターの形に気づくことが多かったですね。光の加減の違いや、撮影する時に、ちょっと引いてみることによる効果だと思いますが、手軽に目を取り換えて鑑賞することができて、普通に見るより楽しめたと思います。

人生で初めて岡本太郎さんの作品をたくさん見ました。もちろん、そうとは意識せずに、彼の作品をどこかで見たことはあったかもしれませんし、渋谷駅の『明日の神話』は見たことがあります。

初めて見る前に、少し知識を入れておきたいと、事前に二週間弱、ちょっと予習をしました。経歴、作品、作品評、人物像、など。

岡本太郎さんの作品を強く印象づける要素

初めて見た岡本太郎さんの作品は、構図や、作品の大きさより、色、モチーフ、登場するキャラクターの形のおもしろさ・奇抜さが特に目に止まります。

もちろん、あの色と登場する奇抜な形の生き物、怪獣たちを、大きなサイズにまとめるためには、描くエネルギーも、内的な思考も大量に必要だとは思いますが、バッと目に飛び込んでくるもの、絵の印象は、色、登場するキャラクターたちによるもののように感じました。

でも、『挑み』(1980)なんか、ぐわん、とした印象は絵の大きさによるものだったと思います。

岡本太郎さんの作品の特徴は、色だと思っていましたが、強烈な印象を持った作品のほとんどは、だいたい1950年から1955年ぐらいまでの作品でした。岡本太郎さんの絵だと一目でわかりそうな作品は、この時代の作品が多そうです。

『青空』(1954)、『森の掟』(1954)、『樹木』(1951)、『燃える人』(1955)

戦争のちょっと後ですね。戦争当時、年齢も30代と若くなく、階級も低く、過酷な戦争体験だったそうですが、その時の抑圧されたものが発露したのではないか、と浅い思考をしていました。今見ても、あの色はすごく奇抜に映ります。

その他、時々モチーフに使われた「目」が気になりました。「縁のある目」より「丸い目」のほうが。「丸い目」よりも「立体的な眼球」のほうに気を取られるのはなんなんでしょう?

縁のある目

『青空』(1954)では縁のある目、『クリマ』(1951)では丸い目、『石と樹』(1977)、『にらめっこ』(1978)では、丸い球体です(新しい時代の作品が球体に近づいてるわけではありません)。人の目には縁があるので、そちらのほうが、より現実に見る「人間の目」に近いと思うのですが、なぜ、「眼球」のほうが目を惹くんでしょうね。

展示の工夫

地下1階から一つ上の階、1階に上がった最初の展示はパリ時代から。有名な『痛ましき腕』(1936)もありました。リボンだけの頭部はインパクトがあります。事前に予習した時にはリボンだけに目が行ってましたが、拳も力強い。そうタイトルは、腕なんですよね。力の入った腕と拳に改めて目が行きます。

その後、戦争中の作品は、赤一色の壁を背景に並べられていました。

同じフロアの奥、1940年代後半から1950年代までの展示には、黄色の壁を背景にして作品がありました。旧東京都庁庁舎の壁画のための原画が中心です。あれだけカラフルな絵なのに、作品の後ろの壁が黄色一色で成立してしまうのはなんなんでしょうね。『太陽の神話』(1952)にあるように、背景の大部分が黄色の作品もあるのに。展示の色・配置を決めた方は、岡本太郎さんの色について、その仕組みをきっとご存じなんですね。配置を決められた方に、なぜこの区画の壁を黄色一色にしたのか、ということを聞いてみたいと思いました。

二階には、『太陽の塔』のミニチュア、『明日の神話』のドローイング、下絵(壁画の3分の1サイズ)が並んでいるフロアです。ドローイングの印象を下絵に移す時に、何がどう描かれて、どう詳細化して、現実化したのか。ドローイングと下絵の違いがおもしろく、何度もドローイングと下絵を行き来しました。ドローイングで勢いがある部分は、下絵に起こす時、イメージを残しつつ、どう詳細化したのか。あるいは、下絵のイメージがあって、それをドローイングの時にイメージを固めすぎないように、ラフに描いたのか、など。ここだけであと30分くらいはいてもよかった場所でした。

フロアの最後の絵は、『雷人』(1995)です。
この絵は未完性なんですね。1950年代に通じる、でもそれとは違う、赤が特徴の強烈な色たちがあって、最後、これで未完なんだ… と離れがたい空間になっていました。

他にも、立体造形の展示、写真、照明や椅子といった工芸品もありましたが、一回で何もかもに感想をつけてしまうことはできません。イヤホンガイドの阿部サダヲさんの声で聞いた岡本太郎さんの言葉、関係者の言葉も耳に残っています。でも、初めての岡本太郎は、十分、体いっぱいを岡本太郎にして帰ることができたかなと思います。今度、岡本太郎さん成分を摂取したくなったら、川崎市の岡本太郎美術館、アトリエのあった表参道の岡本太郎記念館にも行ってみようと思います。ありがとうございました。


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