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百人一首復習ノート:現代語訳、英訳、解釈とその感想(六一、六二)
普段は歌の解釈のみ(恋のお相手のこと、歌会の様子など歌の理解に説明が必要な場合を除き)だが、今回、今年の大河ドラマ『光る君へ』が始まったばかりなので、清少納言・紫式部の解説も引用している。紫式部と関わりのあった伊勢大輔(いせのおおすけ)と、清少納言のペア回。
普段、現代語で短歌を詠んでいるのであって、文語に親しみたいわけでも、文語で短歌を詠みたいわけでもない。けど、永く日本人の体に染みついたリズムで、教養ある人が一度は親しんだ(無理やり覚えさせられた)歌に接することには、意味があることかもしれない。
教養としてではなく、自分の作歌の養分と作歌のテクニックという実利を期待して、いまさらながら百人一首を復習してみようと思う。情報は、手元にあった百人一首の本三冊から(『百人一首がよくわかる(橋本治)』『英語で読む百人一首(ピーター・J・マクミラン)』『百人一首 (平凡社カラー新書)(馬場 あき子)』)。
だいたい週一回、まとめている。一つのnoteには、2首ずつ取り上げる。2首ずつ取り上げる理由は、百人一首が、二人ずつのペアが50組あるという作りだから。どうせなら意味のあるペアの形でインプットしたい。歌をまとめて取り上げる作業は、連作を作るアイデアにもなるかもしれない。
六一.伊勢大輔(いせのおおすけ)
いにしへの 奈良の都の 八重ざくら
けふ九重に にほひぬるかな
(いにしえの ならのみやこの やえざくら
きょうここのえに においぬるかな)
現代語訳
大昔 奈良は都で 八重桜
今は宮中(ここのえ) ここに咲いてる
英訳
The eightfold cherry blossms
from Nara's ancient capital
bloom afresh today
in the new capital
of the nine splendid gates.
解釈
伊勢大輔は上東門院の新参女房であった。そうした春の日、恒例になっている奈良の僧都のもとからの八重桜の献納があり、その取り入れ役を、紫式部は大輔にゆずったのである。伊勢は大中臣家の女、歌の名門の血を引いていた。この歌はそうした栄誉の場において詠み出された晴の歌である。八重桜に象徴される奈良の都からうたいおこして、「けふ九重」といっそうの繁栄にうたい及び祝っている。大輔の才媛の名はこの時よりいっそう高くなった。のち高階成順(たかしななりのぶ)の妻になった。その娘に神祇伯康資王母(じんぎはくやすすけおうのはは)がある。
小式部内侍が「大江山」の和歌を詠んだのは、女子高校生くらいの年頃だそうですが、今度は、「才女のエスプリ対決」になります。伊勢大輔は「みかきもり衛士のたく火の」の大中臣能宣の孫娘です。紫式部や赤染衛門とおなじく、道長の娘の彰子のところで女房をしていました。その女房名がなぜ「伊勢大輔」になったかはよくわからないのですが、彼女の父親が伊勢神宮関係の仕事をしていて、名前が大中臣輔親(おおなかとみすけちか)だったから、「伊勢大輔」になったのではないかなどと考えられています。
この歌は、中宮彰子と宮中にいた時のもので、奈良から八重桜が一条天皇のところへ贈られて来て、「じゃ、この八重桜で和歌を一首詠め」と言われて詠んだのだそうです。桜は「八重」ですが、贈られて来た宮中には「九重」という別称があります。だから、「九重ににほひぬるかな」です。べつに、奈良から京都にやって来たとたん、桜の花びらが増えたというわけではありません。でも、ある種のギャグみたいな歌です。
感想
贈られて来た桜を持ち上げつつも、今の都をさらに持ち上げる。英訳の「in the new capital nine splendid gates(華麗な九門の新都)」という言い方が荘厳。なるほど、そんな印象を与える歌だったのか。数を重ねる、足し上げて、それ以上に見せる(もちろん、その言葉が存在してないといけないけど)方法は、どっかで使いたい。
六二.清少納言(せいしょうなごん)
夜をこめて 鶏の空音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ
(よをこめて とりのそらねは はかるとも
よにおうさかの せきはゆるさじ)
現代語訳
一晩中 鶏のうそ鳴き 仕掛けても
だめ 逢坂の関はだめなの
英訳
Wishing to leave white still night,
you crow like a cock pretending it is dawn.
As I will never meet you again,
may the guards of the Meeting Hill
forever block your passage through.
解釈
清少納言は清原元輔の娘であり、深養父(ふかやぶ)以来の和歌の名門に生まれた。この一首は中国の故事、風雲急の秦を脱出しようとする孟嘗君(もうしょうくん)が、夜陰の函谷の関に鶏鳴をまねさせ、朝が来たと関の戸を明けさせ逃去した逸話を巧みに取り入れつつ、函谷関の戸はあいても、あなたとの逢坂の関の戸はあけたりしない、とうたっている。
これは、大納言行成が内裏の物忌に籠るため、夜深く辞していった翌朝「きのうはどうも失礼しました。つい鳥の声に促されまして」と言ってきたので、「鳥とは函谷関の鳥ですか」と洒落ていうと、「いいえ、あなたとの逢坂の関の鳥で」と艶言がかえってきたのに、おもしろさを刺戟されて詠んだもの。会話といい、歌といい、当時の宮廷の文芸的雰囲気を知るに充分な一こまといえよう。
伊勢大輔と対決するのは、清少納言です。清少納言は、多くの優秀な女房を抱える中宮彰子とはライバル関係にある、中宮定子に仕えた女房です。中宮定子は、栄華の絶頂から没落する儀同三司母の娘で、清少納言は、その没落する皇后に仕えたのです。しかも、娘の彰子のために藤原道長が優秀な女房達を集めたのは、ライバル定子のそばに清少納言という有名な女がいたことも原因になっています。清少納言としては複雑でしょう。この和歌は、彼女が得意の絶頂にいた頃のものです。
大昔の中国に孟嘗君(もうしょうくん)という貴公子がいた。敵国に行って、そこから脱出するため夜の道を急いでいた彼は、函谷関という関所に来る。朝にならないと関所は開かない。困った彼は、連れていた物まねの名人に、鶏の鳴きまねをさせて、「朝だ」と敵をだまして脱出に成功するーーそういう有名な話があって、「でもこおこは日本で、逢坂の関なの。開けないわ。逢うのはだめよ」と言って、男を振ってしまった歌です。
感想
教養のある人にはわかる程度の故事って、教科書で漢文が扱われなくなるとさらに難度が高くなるけど、それを踏み台にして、さらに、我が国の誰もが知る場所を引き合いに、艶っぽい話をする。でも、艶っぽい話は、そのままだと品がないし、こういう扱いをしてあげることで、さらっとした返しにできることを覚えておきたい。
※引用図書の紹介
『百人一首がよくわかる』
国語の教科書にあるような、文法的に正しい訳ではなく、短歌の長さ程度の軽妙な日本語訳と、短い解説書。
『英語で読む百人一首』
百人一首の英訳。古語や現代語訳より、歌の情景が浮かぶものも多い。
『百人一首 (平凡社カラー新書)』
馬場あき子先生の著作。ただし、教養としての解説であって、歌の解釈は短め。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。