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百人一首復習ノート:現代語訳、英訳、解釈とその感想(九五、九六)

普段、現代語で短歌を詠んでいるのであって、文語に親しみたいわけでも、文語で短歌を詠みたいわけでもない。けど、永く日本人の体に染みついたリズムで、教養ある人が一度は親しんだ(無理やり覚えさせられた)歌に接することには、意味があることかもしれない。

教養としてではなく、自分の作歌の養分と作歌のテクニックという実利を期待して、いまさらながら百人一首を復習してみようと思う。情報は、手元にあった百人一首の本三冊から(『百人一首がよくわかる(橋本治)』『英語で読む百人一首(ピーター・J・マクミラン)』『百人一首 (平凡社カラー新書)(馬場 あき子)』)。

だいたい週一回、まとめている。一つのnoteには、2首ずつ取り上げる。2首ずつ取り上げる理由は、百人一首が、二人ずつのペアが50組あるという作りだから。どうせなら意味のあるペアの形でインプットしたい。歌をまとめて取り上げる作業は、連作を作るアイデアにもなるかもしれない。

九五.前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

おほけなく うき世の民に おほふかな
わがたつ杣に すみぞめの袖

(おおけなく うきよのたみに おおうかな
 わがたつそまに すみぞめのそで)

現代語訳

だいそれて 世の人のため 頑張るよ
いま叡山で 修行始めだ!

『百人一首がよくわかる』©2016 橋本治/講談社

英訳

Though I am not good enough,
for the good of the people,
here in these wooded hills
I' ll embrace them with my black robes
of the Buddha's Way.

『英語で読む百人一首』©2017 ピーター・J・マクミラン /文藝春秋

解釈

 慈円は良経の叔父に当り、天台座主に四度も就任した。一首は伝教大師が比叡山を開いた時の歌「阿耨多羅三藐三菩提(あくのたらさんみゃくさんぼだい)の仏たちわか立つ杣に冥加あらせたまへ」に拠っている。「わがたつ杣」は寺を立て宝塔をかかげるべく木を伐り出したことから、比叡山の別称となった。

『百人一首 (平凡社カラー新書)』©1978 馬場あき子/平凡社

「おほけなく」は「だいそれて」です。「だいそれたことだが、つらい憂き世の人の上に墨染めの袖を広げるよ」です。「わがたつ杣」とは、延暦寺のある比叡山のことで、「私は比叡山で、仏教修行の墨染めの衣の袖を広げます」です。つまり「世の人を救うために、これから比叡山で修行をするぞ!」と決意する歌です。百人一首の中でも例外的な、「とても真面目で前向きな歌」です。「慈円なら他にいくらでもいい歌があるのに、なんでこんな歌を選んだんだ?」と言う人もいます。きっと定家は、選びたかったんでしょう。

『百人一首がよくわかる』©2016 橋本治/講談社

感想

こんな大層な宣言をするのは、当時でも、まして今では、はやらないだろう。でも、何かくだらないことを大仰に宣言するのは、あるかもしれない。俵万智さんあたりが詠んでそうな気がする(すぐ見つけられなかった…)

九六.入道前大乗大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)

花さそふ あらしの庭の 雪ならで
ふり行くものは わが身なりけり

(はなさそう あらしのにわの ゆきならで
 ふりゆくものは わがみなりけり)

現代語訳

満開の 嵐の庭は 雪のよう
そこに降るのは 自分自身だ

『百人一首がよくわかる』©2016 橋本治/講談社

英訳

As if lured by the storm
the blossoms are strewn about,
white upon the garden floor,
yet all this whiteness is not snow--
it is me who withers and grows old.

『英語で読む百人一首』©2017 ピーター・J・マクミラン /文藝春秋

lured /lʊrd(米国英語)/ lureの過去形、または過去分詞。誘惑するもの、 魅惑、 魅力
strewn / ˈstrʊən(米国英語), stru:n(英国英語)/(…に)まき散らす、ばらまく、(…に)ばらまかれている

解釈

紛々たる春の落花に老いを歎く歌は、業平の「さくら花散りかひくもれ老いらくのこむといふなる道まがふがに」が想起されるが、業平の浪漫性に対し、これは老いをみつめる沈静な詠歎をもっている。

『百人一首 (平凡社カラー新書)』©1978 馬場あき子/平凡社

 前大僧正慈円の「真面目で前向きな歌」とペアになるのは、この歌です。満開の桜の咲く庭に、激しい風が吹き出しました。つられて、桜の花びらが雪のように降りしきっていきます。それを見て、この作者は思うのです――「これは雪じゃない。自分自身だ」と。
 栄華の末に、壮絶華麗に散っていく自分――それは豪華ではあるかもしれないけれど、でも「むなしい終わり」でもあるのです。そのように、この作者は言っているのです。

『百人一首がよくわかる』©2016 橋本治/講談社

感想

降る雪を自分に例えるって、すごいな。古るにかけてるんだろうけど。何かひらがなにした時の動作がかぶるものがあれば、俺も、雨、風、雲、木、石、に例えてみようかな。もう使い古されてるだろうけど。詩を読むと今でも、そういう単語の持つイメージや、連想が生きている。

※引用図書の紹介

『百人一首がよくわかる』

国語の教科書にあるような、文法的に正しい訳ではなく、短歌の長さ程度の軽妙な日本語訳と、短い解説書。

『英語で読む百人一首』

百人一首の英訳。古語や現代語訳より、歌の情景が浮かぶものも多い。

『百人一首 (平凡社カラー新書)』

馬場あき子先生の著作。ただし、教養としての解説であって、歌の解釈は短め。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。