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自信のなさは家庭環境のせいか?①

自信のなさは家庭環境のせいか?と聞かれたら、きっと答えはYESだろう。
でも、私はこのことについて、長いこと自分なりの答えがみつけられなかった。YESだと思ったりNOなのかも?と思ったり。
これは、私が長年このことについて考えて、結論が出るまでの自分の経験や流れを書いたものです。


中学に入ると、私はどんどん自信をなくしていった。人と比べて劣っているとか、人よりできないのでは?とか、とにかくコンプレックスがひどくなっていった。

それまでは天真爛漫で、どちらかというとリーダーっぽいところもあった。
しかし、同い年の子が増えて、もっと活発な子、勉強ができる子、容姿がいい子など、自分より明らかにできる人たちが増えて、自分はそうでもないんだと少しずつ自信がなくなっていった。

でも、それはある意味、自分の実力をちゃんと見極められたということでもあるのかもしれない。
世の中に出れば、もっとたくさんの人がいて、自分より能力の高い人なんてたくさんいる。
まぁ、思春期だし、自意識過剰な時なので、劣等感を持ってもそうおかしいわけでもない。

でも、けっこう根深く、この劣等感は思春期も超えて30代前半くらいまでは続いた。(その後、キツイ劣等感は年齢や子育てがあったからか社会に慣れてきた?からか図太くなってきて、だいぶまろやかにはなってきている。)

自分に自信がない、人と比べて自分は劣っている、とにかく比べて劣っているのだ、というのがすごくあった。

高校生の時、兄が、どうしても読めと貸してくれた本がある。

加藤諦三の『自分を嫌うな』

この本は、スラスラとすぐに読めた。
なぜなら自分のことを書いてあるようだったから。

内容としては、幼少期に親に迎合しすぎたせいで本当の自分がわからなくなるとか、親の顔色を伺い自分の正直な気持ちを抑えすぎるとか、迎合や抑圧によって、劣等感を感じるようになるというようなことだったと思う。著者の子供時代もそうだったと書かれていた。

この本を読んで、劣等感の根源がよくわかった。

兄自身も、ずっと劣等感や違和感を感じていたらしく、この本を読んで、やっとわかったと言っていた。 

思春期に抱きやすい劣等感とか、多分、そんな誰でもあるような出来事に紛れて、私にはもっと根深い劣等感が突き刺さっていたのかと思う。

その時の私は、どんどん暗くなっていって、以前よりあまりしゃべらなくなっていた。

しかし、幼馴染で何でも話せる友達はいたり、家で兄が話を聞いてくれたり、自分の好きなものもあったので(音楽や歌など)心を閉ざすくらいどん底に暗くなるまでにはならなかった。
それは本当によかったと思う。兄や友達には感謝でしかない。それがなかったら、本当に辛かっただろう。

で、なんだったかな、自信のなさは家庭環境のせいかって?

この時はこの本を読んだのもあって、そう思っていた。その通りやん!と思っていた。

家庭環境がよくないのに、精神的に健康的な子供が育つとは思わない。   

でも、後々、これを覆すようなことをたくさん耳にして、混乱する時期がやってくる。




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