親元を離れての生活
親元の離れての生活は、私にとって、とても有意義なものだった。
寮生活ではあったが、都会に住むというのは、とても刺激的だったのだ。
門限ギリギリまで、街を散策した。
初めの頃は、1人でただひたすら街を歩いていた。
CD屋、服屋、中古レコード屋、古着屋、クセのある雑貨屋、ライブハウスとか大きな手芸店とか、田舎にはないものが全てここにはある。
特に、音楽やファッションには興味があったので、好きなものが手を伸ばせばそこにある、というような環境が、とにかく楽しかった。
そして、誰にも何も言われない、という状況。
自分の好きなものを好きと言っても、どこに行っても、誰にも何にも言われない。
自由で、ただの自分でいられるような環境で生活できたことは、私の中では、とても大きなことだった。
もちろん、この自由は、学費や生活費を払ってくれている親の元に成り立っているものではあるので、親には感謝しかない。
親の監視がない自由は、親のお金で成り立ってるのだから、いい気なものだけど、この時期に自分の興味のあることに、誰にも縛られず、直にたくさん触れられたことは、本当によかったと思う。
そして、新しい人たちとの出会い。
寮生活での先輩や同級生、クラスの友達、サークルの先輩や仲間とか、音楽関係で知り合った人とか。
特に、音楽の趣味などは、今まで気の合う人はいなかったので、普通に話せる人がいるというのは大きかったし、自分が好きなものを面白がってくれたり、共感し合えるのがうれしかった。
ファッションも、古着の色彩や柄がとても好きになり、かなりぶっ飛んだ格好もしていたけど、そんな自分をいいと言ってくれる人達ばかりだった。
不思議な感覚。
自分の感覚を素直に出して、これが受け入れられている。
こんなこと、今まであっただろうか。
そして、1年後。
寮で一緒だった子たちが、寮を出て、一人暮らしを始めるという。
一人暮らし⁉︎
そんなこと、許されるわけない。
と思ったけれど、親に手紙を書いて頼み込んだ。
そして、なぜか両親は許してくれた。
そして、2回生からは、本格的な私の一人暮らしが始まる。
一人暮らしの準備なども、母と買い出しに行ったり、引越しも手伝ってくれた。
とても順調に、いろんなことが進んでいた。
この間、母の状態はどうだっただろう。
正直、はっきりとは覚えてないのだけれど、多分、そこまで悪くはなかったのだと思う。
電話もよくしていたし、1、2ヶ月に一度は、帰省もしていたけれど、もしかして私の気づいていない間に、少し崩れることもあったのかもしれないけれど、覚えていない。
自分の新しい生活に夢中だったからだろうか。
何かそんな気もした。
とにかく、いろんなものや人に出会い、新しい自分が花開いていく時期だった。
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